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■ 研究員ブログ100 ■ 英国のEU離脱から世界遺産条約を考える……アンコールの遺跡群

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今回も引き続きゼウスの話から始めたいと思います。

ある時、ゼウスはフェニキア王の美しい娘エウロペに目を留めました。
ゼウスは何とかエウロペを我が物にしようと考え、
美しく白い牡牛に姿を変えるとエウロペに近づきます。
何も知らないエウロペは、おとなしく美しい牡牛を気に入り、
摘んでいた花を首にかけたり、背中を撫でたりしていました。
すると突然、牡牛はエウロペを背に乗せて猛然と走り出し、
遠いクレタ島に連れ去ってしまいました。

まぁ、誘拐ですね。

このエウロペを語源としているのが「ヨーロッパ」です。
ゼウスがエウロペを背に乗せて走り回った地域を指すとか、
自分のものになるなら後世に名を残すとゼウスが言ったとか、
諸説ありますが、ヨーロッパといえばゼウスなのです。

そのヨーロッパに今日、エウロペ誘拐なみの衝撃が走りました。
英国の国民投票でEU離脱派が勝利した、というものです。
何だかんだいって、現状維持になるだろうと僕は思っていたので、
ニュースを聞いたときはちょっと仕事が手につかないくらい驚いてしまいました。

英国のEU離脱の背景や世界への影響については、
僕なんかよりも詳しい人が解説するので触れませんが、
世界遺産関連で僕の思うところを書きたいと思います。

EUは2度も大きな大戦を経験したヨーロッパが
理想を掲げて取り組んだ壮大な実験です。
国家の枠組みを越え資源や人材、知識、制度などを共有することで、
ヨーロッパの平和と安定を目指しました。

これは、ユネスコの理想ともよく似ています。
ユネスコの活動も、国家の枠組みを超えて世界が協働することで、
世界的な平和と安定を目指すものです。
世界遺産条約も、当然その一翼を担っているわけです。

もちろん、EUが政治的な動きであるのに対し、
ユネスコは政治以外の文化的な動きである点で大きく異なっています。
しかし、「国家の枠組みを超えて協働する」という理想を掲げている点で、
非常によく似ています。

この「国家の枠組みを超える」というのは本当に可能なのか?
ということが今、問題になっているのです。

英国の人々のEU離脱という決断のきっかけは、
移民の問題とギリシャ金融危機の問題でした。

同じEU圏内の東欧の奴らが自分たちの仕事と金を奪っていく、
中東からの宗教も文化も違う移民が治安を悪化させる、
自分たちの払った税金は他の国の経済を支える前に使い道があるはずだ、
……こうした不満が、EUに向けられました。

これはEUが、国民国家の連合体であるため、
「国家の枠組みを超える」という理想とは裏腹に、
国家(ナショナル)の思考から脱することが出来ないことが原因です。
自分たちの「国」はもっと違う姿になれるはずだ、と思ってしまうのです。
実際、国家単位の経済格差が理想の足を引っ張っています。

これは世界遺産条約でも言えることです。

世界遺産の政治利用や、世界遺産登録による国家間の対立など、
人類共通の「顕著な普遍的価値」を掲げる世界遺産でも、
国家(ナショナル)に結びついた問題が指摘されています。

例えばカンボジアは、民族全員が深い傷を抱えたカンボジア内戦後、
1993年に新しい国家を立ち上げました。
その際、国民をまとめ上げる象徴としたのが、
内戦後すぐの1992年に世界遺産登録された『アンコールの遺跡群』です。
『アンコールの遺跡群』を作り上げたクメール文化を、
新国家のナショナリズムの中心に据えました。
国旗に世界遺産が描かれている唯一の例が
『アンコールの遺跡群』であることからもそれがわかります。

タイとカンボジアが世界遺産登録でもめた『プレア・ビヒア寺院』も、
アンコール・ワットなどとほぼ同時期にクメール人が築いた寺院です。

カンボジアにとって、『プレア・ビヒア寺院』は譲ることの出来ない、
国家(ナショナル)にとって重要な遺跡だったのです。

一方で、タイが『プレア・ビヒア寺院』の登録に反対したのも、
登録を容認していたタクシン派の政権に対抗する
反タクシン派によるナショナリズムを視野に入れた政治的な動きでした。

世界遺産は、民族も人種も、世代も性別も全て超えた
「顕著な普遍的価値」を謳っているものの、
世界遺産条約への加盟や、保護・保全の主体が国家であるために、
結局は、文化と国家を切り離すことが出来ているとはいえません。

世界遺産のこうした例はいくつも挙げることが可能です。

ならば、世界遺産条約なんて理想論であって、
実際はドロドロとした俗物なのだから意味がないかというと、
僕はそうは思っていません。

理想ってすごく大事だと思うからです。
理想があるから、それに向かって何をすべきか考えることが出来ます。
何を譲って何は守らないといけないのか話し合うことが出来るのです。
理想と現実の間に深い溝を作る必要はありません。

英国の決断が本当によかったのかどうか、
遠い日本で暮らす僕にはわかりません。
もともと英国はユーロにも参加していないし、
シェンゲン協定にも参加していないし、
EECにも最初は入っていなかったし、
EUからは一歩ひいた独自のスタンスを取ってきていました。

世界経済や政治にどの程度の影響があるのか、
僕たちの生活がどれほど変わるのか想像がつきませんが、
少なくとも昨日と今日で、歴史は大きく変わったはずです。

これも元を辿れば、エウロペの誘拐犯ゼウスのせいだったりして。

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