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■ 研究員ブログ116 ■ 富士山の時とは違う、沖ノ島の登録勧告

毎年、GW頃には、世界遺産候補に対する勧告がどうなるのか?
ということが話題になるのですが、
今年はGWの最後、5月5日に「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」に対する
イコモスからの勧告が出されました。

内容は、もうご存知の方も多いと思いますが、
条件付の「登録」勧告でした。

このままイコモスからの指摘に沿って進めれば
7月2日から12日までポーランドのクラクフで開催される
第41回世界遺産委員会において「登録」される可能性は高いと思います。

今回の勧告は、構成資産を
1.宗像大社沖津宮(沖ノ島)
2.宗像大社沖津宮(小屋島)
3.宗像大社沖津宮(御門柱)
4.宗像大社沖津宮(天狗岩)
の4資産とすること、
遺産名を「『神宿る島』沖ノ島」とすること、
その条件であれば「登録」を勧告する、というものでした。

僕は、推薦していた8件の構成資産の中で、
「新原・奴山古墳(しんばる・ぬやまこふん)」は
保全状況などから見て注文がつくだろうけど、
それ以外の7資産については、
「登録」もしくは「情報照会」勧告になるだろうと思っていたので、
今回の勧告内容には驚きました。

日本が推薦書で説明した「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」の価値は、
大きく分けて「考古学的な側面」と「信仰の側面」からできています。

「考古学的な側面」は、4~9世紀にかけて東アジア文化圏で文化交流があり、
その証拠となる品々が多く残されている点、
自然崇拝に始まる古代祭祀の場が巨岩から岩陰、露天へと移り変わり、
やがては宗像大社の三社へと、社殿を伴う祭祀に変化した証拠が残されている点です。

「信仰の側面」は、天照大神(あまてらすおおみかみ)が誓約(うけい)で生み出した宗像三女神を、
宗像大社沖津宮は「田心姫神(たごりひめのかみ)」、
宗像大社中津宮は「湍津姫神(たぎつひめのかみ)」、
宗像大社辺津宮は「市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)」とそれぞれ祀っており、
この三社が一体となった信仰が続いている点、
今も厳しい禁忌で宗像大社沖津宮(沖ノ島)が守られており、
現在の海上安全を願う信仰と強い結びつきがある点です。

この「考古学的な側面」と「信仰の側面」は、
重なり合い、分けがたく結びついているのですが、
今回の勧告では、こうした価値の2つの側面のうち、
「考古学的な側面」の、さらに一部分のみが認められたということでした。

報道などを見ていると、
『富士山-信仰の対象と芸術の源泉』の時も今回と同じく
「三保松原」を外しての「登録勧告」だったところから、
「三保松原」を含めた形での「登録決議」にもっていくことができたと、
「富士山」の事例と比較しているものがあります。

しかし、「富士山」の時と、「宗像・沖ノ島」では、
状況が全く違っています。

「富士山」の時は、
シリアル・ノミネーション・サイトをつなぐ
構成資産全体のストーリーに「顕著な普遍的価値」が認められており、
その中の一部だけが認められませんでした。
一方で「宗像・沖ノ島」では
シリアル・ノミネーション・サイトをつなぐ
構成資産全体のストーリーが認められず、
その一部にだけ「顕著な普遍的価値」が認められました。

全体像が評価されて、一部が除外されたのか、
全体像は評価されず、一部のみ価値が認められたのか。

先述したように、
「宗像・沖ノ島」の「遺産全体」の価値として日本が説明していたことは、
ほとんど評価されていません。
「登録」の勧告が出たのは、個別の資産の、ひとつの価値に過ぎないからです。

ここから、遺産全体の価値を評価してもらい、
「8資産全てでの登録」を目指す、というのは、
相当難しい作業になると思います。

「遺産全体の価値」ということは
8資産で構成される「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」の価値、
ということなので、
世界遺産委員会やイコモスが納得できるような説明内容に
「推薦書そのもの」を修正するに等しい作業です。

個別の構成資産の価値の説明を修正するのとは
困難さが全く違います。

ただ、イコモスの勧告の中で、
4資産の除外を勧める理由として
「価値が国家的なもので、世界的な価値とは認められない」と説明していますが、
その理由もどうなのかな、と思うところもあります。

確かに世界遺産は、国家や民族を超えた「人類」にとって重要な
「顕著な普遍的価値」をもつものです。
その観点から行くと、「日本の国家的な祭祀」は「普遍的」とは言えず、
世界遺産にするのは難しいのかもしれません。

しかし、「人類」共通の価値なんて存在するのでしょうか。

さまざまな「地域・民族的」な価値が集まって
「人類」共通の価値を作り上げているのではないかと、僕は思うのです。
つまり、「顕著な普遍的価値」の中には、
さまざまな地域や文化、宗教、民族、歴史・伝統に属する
雑多な価値が含まれているのだと。

世界遺産条約の前文に、
「いずれの国民に属するものであってもこの無類のかけがえのない物件を保護することが
世界のすべての国民のために重要であることを明らかにしている……」
とあります。

個々の国家や文化で大切に守られている資産を世界遺産として守ることが、
世界のすべての国民にとっても重要である。
それこそが、ユネスコが世界遺産活動でやろうとしている
「世界の多様性」の擁護につながっていくはずです。

今回の登録に関しては、今後のスケジュールと困難さを考えると、
イコモスの判断に従って4資産のみで登録するというのでも、僕はよいと思います。
三社一体の世界遺産登録は理想ですが、
三社一体でなければ、宗像・沖ノ島の信仰が損なわれるなんてことは決してありません。
仮に、宗像大社沖津宮(沖ノ島)だけの世界遺産登録であったとしても、
これまで通りに信仰を守り伝えてゆけばよいのです。

「世界遺産」というのは「文化財・自然保護の枠組み」です。
信仰や生活などの「文化そのもの」をどうこうするものでは本来ありません。
「評価された価値」がこちらの意図していたものとずれていたとしても、
世界遺産に登録して保護し、世界に発信していくというのが重要です。

今後、世界遺産委員会までにどのような判断がなされるのか見守りたいですが、
まず宗像大社沖津宮(沖ノ島)を世界遺産にする、
という方向を目指すのがよいのではないでしょうか。

次回の研究員ブログでは、観光など他の側面について考えてみたいと思います。

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