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■ 研究員ブログ147 ■ 祝・世界遺産:長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産<上>潜伏キリシタンの時代を証明する遺産

歴史的な大雨が続いています。皆さまご無事でしょうか。

自然災害というのは、自分ではどうしようもならない、
人間の非力さを感じてしまうものですが、
今回、日本で22件目の世界遺産となった
『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』は、
自分ではどうしようもならないような強い力に対して、
人々の内なる力がその外圧を克服しうることを証明する遺産だといえます。

この『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』は、
日本のキリシタンに対する「禁教」期の遺産ですが、
激しい「弾圧」を伝える遺産ではありません。
そのため、雲仙火口のような「弾圧」のみを伝える資産は含まれていないのです。
キリシタン弾圧を証明する遺産は、九州だけでなく日本各地にあります。

厳しい時代にカトリックの宣教師がいないまま
約250年も密かに信仰を続けてきた潜伏キリシタンの伝統を伝える遺産。
日本各地で禁教期にキリスト教信仰を捨てた(捨てざるを得なかった)人々があった中で、
長崎を中心とするこの地域では、早くから布教が行われ、
組織的な信仰の基盤が整っていたために、
苦しい思いをしながらも潜伏キリシタンとして信仰が続けられました。
そうした時代を証明する遺産なので、
登録基準は「時代の証明」の(iii)のみで登録されました。
集落が構成資産の中心ですが、登録基準(v)が入っていないのもそのためです。

よく誤解をされるのですが、
潜伏キリシタン達は、個人個人で信仰を選んで続けたわけではありません。
「個人」ではなく、共同体の指導者に導かれ「集団」でキリスト教へと改宗しました。
その背後にあるのが、キリシタン大名です。

日本を訪れた宣教師たちは、手っ取り早くキリスト教を広めるために
大名などの支配階級をまずキリスト教徒にしようとしました。
大名たちは、ヨーロッパとの交易のためにキリスト教に改宗します。
一方で、領民たちは上からの指示でキリスト教に改宗しました。
その時に中心になったのが、
数が足りない宣教師の代わりに人々を導いた指導者たちです。

キリスト教徒たちを、国を支配する上で危険だと感じた豊臣秀吉や徳川幕府は、
宣教師を国外追放し、キリスト教信仰を禁止します。

キリスト教の教えに感銘を受けて改宗したわけではない多くのキリシタン大名は、
禁教令が出たらさっさと信仰を捨て仏教などに復帰しました。
しかし、神の前では誰もが平等である、というキリスト教の教えが
心に響き浸透した下々の領民たちは、
簡単にキリスト教を捨てることができず、
「島原・天草一揆」をきっかけとして、潜伏していきました。

この「島原・天草一揆」は、キリスト教徒VS幕府、というように考えられがちですが
一揆を起こした農民たちの中にはキリスト教徒以外もいましたし、
禁教後もヨーロッパのキリスト教徒たちは日本で交易を続けていました。

ここには、日本との交易を巡るヨーロッパの国々の中での対立がありました。

<中>カトリックとプロテスタントの対立
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