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● マイスターのささやき:マイスターの弾丸世界遺産紀行 ~パリで年越し編②~

世界遺産検定マイスター 本田陽子

旅のスケジュール

Bonjour!

さあーて、おフランスに到着しました!ただいま朝の7時でございます。
シャルル・ド・ゴール空港の透明なチューブ式エスカレーターを上って、いざ出国!
外はまだ暗いので、空港全体が目覚めを待っているようなぼんやりとした
空気をまとっていますが、空港内のちょっとしたディスプレイやそこかしこにフランスらしさが感じられて、なんだかウキウキしてしまいます。

ここで、先に種明かしですが、旅の行程をお伝えしておきましょう。
これからパリ近郊の世界遺産を回る方や、年末年始にパリに行く方の参考になるといいのですが。
ツアーではなくて、全部自己手配です(手配ってほどの手配はしてないんですが・・)。
パリは4、5回訪問したことがあるので、だいたいの土地勘はありました。
今回行きたいところはパリのほかに、イル・ド・フランスと呼ばれる郊外に点在しています。
パリの宿を拠点として、郊外を朝から攻めて、午後はパリに戻ってきてパリ市内の世界遺産や美術館、教会をまわることにしました。
シャルトルとヴェルサイユは方向的には同じなので1日で回れなくはないようなんですが、どちらもゆっくり見たかったので別々の日に行くことにしました。

■ 12月29日(木) 
早朝パリに到着。空港のツーリストインフォメーションでミュージアムパスを購入。
パリ市内はまだクリスマス気分が残ってる感じ。
宿にチェックインしたあとに「フォンテーヌブローの宮殿と庭園」へ。たどりつくのに想定外の時間がかかり、旅の勘が鈍っているのを感じる。
パリに戻ったらもう夜。「ダ・ヴィンチ・コード」の舞台となったサンシュルピス教会だけ見て宿へ戻る。

■ 12月30日(金) 
朝から「ヴェルサイユ宮殿と庭園」へ。
夕方パリに戻り、サン・ジェルマン・デ・プレ教会と中世博物館(中世に関心がある人にはすごくおすすめ)、ルーブル美術館を駆け足でまわる。ルーブルは金曜は22時まで開いてます。お目当ての中世絵画や工芸品を閉館前の1時間でダッシュで見ました。

■ 12月31日(土) 
朝から「シャルトル大聖堂」へ。午後パリに戻ってシテ島付近の世界遺産を見て回る(サント・シャペル、コンシェルジュリー、ノートルダム大聖堂)。
夜はニューイヤーのカウントダウンへ繰り出すが、メトロの中は異常事態であった。なんとか地上出て、きらめくエッフェル塔を見ながら年越し!が、その後事件が・・・・(この話はまたいずれ)。へろへろ状態で宿に戻った後、旅人同士で明け方まで飲みました~

■ 1月1日(日) 
昼までうとうと(ぐったり笑)・・・。午後、パリ市内をお散歩。かなりの施設や店はクローズ。それでも人出は割とある。元日も入れるミュージアムや教会をみてまわる。

■ 1月2日(月) 
朝から「中世市場都市プロヴァン」へ。年越しの事件に続き、ここでも似たような展開がああ・・・・(この話もまたいずれ)
パリに戻った後はモンマルトルを散策してサン・ピエール教会などを見て回る。教会周りではまだクリスマス・マーケットをやっている。そして夕方以降、ル・コルビジェのサヴォア邸はあきらめて、ショッピングにあてることに。それまでかなり物欲をおさえていたので、買う気満々だったのに、日本からリストアップしていったお目当ての店がなんとほとんどクローズ・・・・・!?げええええ。元日だけ休みではなかったのか・・・(明らかに下調べ不足の影響)。ショックに打ちのめされつつも、オペラ座近くのフレンチに舌鼓をうち、満足☆

■ 1月3日(火) 
帰国。ああ、楽しい時間はあっという間に過ぎ去ってしまう。すっかりパリの魅力にやられてしまいました。後ろ髪をひかれつつ、また来ることを誓う。

おわり。

・・・・あっかーーん!!
これから始まるんですよ!
かなり必死でまわったんですが、弾丸な感じ伝わってるかしら。てか別に誰に弾丸でいけというミッションを与えられたわけでもないんですが・・・。毎朝早起きして、薄暗いなか1時間ほど郊外に向かう電車にのる、の繰り返しでした。
それでは世界遺産を巡った順にご紹介していきますね。
前回は、やたらと「教会」を連呼してましたが、回った順でいくと宮殿からのご紹介になります。

近くて遠いフォンテーヌブロー

さて、旅の話に戻りましょう。
空港からバスにのってまずはパリ市内の宿へ向かいました。9時頃にようやく明るくなってきた感じです。日本より夜明けがちょっと遅いですよね。街はまだクリスマスのイルミネーションやモニュメントが飾られていてとてもキレイ。ショーウインドウもポップ。日本とは違って、25日を過ぎても飾り付けは年内いっぱい続くみたいです。
宿にチェックインして身支度を整えたらお昼前になってしまいました。まずは、なんとなく気楽にいけそうという理由でフォンテーヌブロー宮殿へ行ってみることにしました。

パリを中心とした半径100キロに広がる地域はイル・ド・フランスと呼ばれます。大都会のパリとは違う、緑豊かな田園風景が広がります。わたしはそれまでヴェルサイユ以外には行ったことがなかったのですが、魅力的なところがたくさんあるんですよね。
王族や貴族が建てた城館や王宮が点在していたり、印象派ゆかりの地であったり、著名なゴシック教会があったり。その自然が、支配階級も芸術家も魅了したということなんでしょう。いずれもパリから日帰りで観光できます。
フォンテーヌブロー宮殿は、フォンテーヌブローという場所にある宮殿で、パリから1時間程度、とガイドブックに書いてあります。
 
そうそう、パリには国鉄の主要ターミナル駅が7つあります。
行き先によって発着駅が決まってるので、気をつけましょう。
……しつこく言いますが、今回下調べの時間があまりにもなかったために、
わたしは各地へ行くためのアクセスを、ほとんど調べてませんでした。
ガイドブックを片手に、あとは現地で聞けばなんとかなるだろう、くらい思ってたんですが、それって長旅してたときのやり方だったことを忘れてました……。
長旅のときは、時間はいくらでもあるからちょっとやそっと迷ってもいいんです。現地の人にカタコトで行き先を伝えて、みんなが違う方向を指さすから同じところをぐるぐるまわる、なんてのもむしろ旅の醍醐味っぽくていいんです。
しかし、限られた時間でいく普通のツーリスト、それもツアーじゃなくて自力、公共の乗り物を利用、という場合には、移動のロスを少なくするために、事前に現地の時刻表を調べるくらいのことはやっておくほうがいいかもしれません。せめて到着駅くらいは調べておきましょう……。

フランス国鉄のキップの購入方法ですが、券売機はもちろんあります。しかしこいつが曲者で、どうやら日本のクレジットカードは使えないんですね。で、お札が使えなくて、コインしか受け付けない……。十数ユーロのチケット買うのに、どうやってコインだけって支払えっていうんじゃ!!おりゃ!!
しかたなく販売窓口の長い行列に並ぶ羽目に。窓口の対応はかなりのんびりペース。そして購入者も、延々と相談するんです。挙句の果てに、買わずに去る人も。だったらインフォメーションで相談せんかい!!おりゃ!!!
こうして電車に乗るまでに時間がかかり、さらにガイドブックを読み間違えて1つ手前の駅で降りてしまいました。それに気づいたのは旅を終えた後だったんですが、どうりで、駅周りに宮殿に関するインフォメーションが皆無だったわけだ……。そこから宮殿にむかうバスは、昼は1時間に1本しかなく、とどめに宮殿のひとつ手前でバスを降りる、というあまりにもぐだぐだな展開に。時計はすでに3時をまわってます。おかしい、予定では1時には着いてるはずだったのだが……。

とにかく広い宮殿

変なところでバスを降りたせいで、真正面の門から入場せずに裏側から回り込んでしまいましたが、ともかく気を取り直して宮殿へ。
この宮殿は、フランスで最大規模と言われています。フォンテーヌブローの森は王の狩猟場で、もともと狩りの館がありました。それを フランソワ1世(1494-1547)がほぼ現在の形に改修しました。王は、イタリアに遠征にいったときに、ルネサンス芸術に感銘を受けます。どうやらその当時、フランスはまだ野蛮な一地方とみなされていたようで、ヨーロッパ文化の中心はまさにルネサンスが花開いたイタリアにありました。
そして彼はイタリア人建築家や芸術家をフランスに連れてきて、自分の城の建築やデザインを任せたのです。
ですから、この宮殿はフランス・ルネサンス発祥の地であり、芸術振興の拠点となります。
フランソワ1世は、晩年のレオナルド・ダ・ヴィンチを招聘し保護したことでもよく知られています。彼はダ・ヴィンチの死後、「モナ・リザ」を買い上げたので、イタリアではなくフランスに「モナ・リザ」があるのは、フランソワ1世のおかげといえましょう。グッジョブ、フランソワ。(やはりイタリア人は真逆の評価なんでしょうか。)
その後も代々の王が居城として、主に秋の狩猟の時期に滞在していたようです。ここには中世から19世紀までの800年の歴史があり、さまざまな時代の最高職人の装飾を見ることができます。

ここは、ナポレオンゆかりのお城でもあるんですよ。
彼は、フランス革命で荒れ果てた宮殿を修復してここで生活しており、ここで過ごすときだけがリラックスできたようです。しかし戦争に負けて帝位を追われ、島流しにあいます。その直前、正面の馬蹄形の階段で部下たちに別れを告げたそうです。

中央にみえるのが、ナポレオンたちが涙の別れをかわした階段。たしかにひづめっぽい形をしてました。

おお、ようやく「ザ・観光」な気分になってきた~~!
外観は、割と地味な感じです。ルネサンス様式の特徴といわれる、左右対称を取り入れています。

そして、あらかじめ空港で購入しておいた、「ミュージアムパス」(4日通し券で50ユーロ)で宮殿の中に入場しました。2日くらいだと元を取るのは難しいと思いますが、ミュージアムや歴史的施設を観光のメインとする方は、ぜひ事前に調べていってください。パリ市内のほかに、イル・ド・フランスもかなりカバーしています。料金的なお徳感ももちろんですが、優先的に入場させてくれるのは非常にありがたいです。

入り口で日本語のオーディオガイドを借りることができます。これが情け容赦なく、ものすごい情報量なんです。まともに全部聞いてると、2時間でもたりないと思います。
で、この宮殿。なかなか品がいいように感じました。ヴェルサイユ宮殿が、王の権威をゴリゴリに全面に出してるのと比較して、もう少ししっとりしてるというか、優美というか。
それにしても、広い……。広すぎる。歴代の王が増築を重ねて拡張していったみたいです。正面こそ左右対称でしたが、その奥はいかにも、「どんどんくっつけた」って構造になっていて、上から見た図はけっこういびつです。ここで暮した人たちは、宮殿内をどうやって移動してたんでしょうか。まさか王や王妃はおみこしにかつがれてたわけないし。
とにかくたくさん部屋があるんですが、すべての部屋のドアがつながっていて、ひとつ部屋をみてまた次の部屋、とずっと連続してるので、だんだん何が何だかわかんなくなってきます。それを補うのがオーディオガイドのはずなんですが、怒涛の情報量で消化不良をおこすこと必至です(笑)。
そもそも、ヨーロッパの宮殿に廊下という概念はないんでしょうか。かなりの違和感。臣下や使用人たちは、王の寝室を通り抜けてちょっと向こうの部屋へ、なんてことをやってたんでしょうか。
この辺はちょっと宿題にさせてください。

ここの観光の目玉はおそらく「フランソワ1世の回廊」と「舞踏会の広間」でしょう。ヴェルサイユ宮殿でいうところの「鏡の間」みたいな。
いかにも贅をこらした「フランソワ1世の回廊」は木目調でなかなかシックです。
王の住居塔と礼拝堂を結ぶ60mの回廊で、壁には隙間なく彫像や絵画でびっちりと埋め尽くされています。とても手が込んでいます。


光があまり入らないのでちょっとぼやけ気味ですが。壁の「F」の文字はフランソワ1世のイニシャルです。

次なる「舞踏会の宮殿」はどこ?と警備員に聞いたら、4時に閉めたよと言われました。はい?、と思って時計をみたらわずかに4時をまわっています。ここまではるばるやってきて(はるばるもなにも、自分がアクセスをまちがえただけなんだが)、メインを見逃すわけにいきません!自分の勘を頼りに宮殿内をやみくもに歩いたら、いきなり広い空間に。
ここだー!!しかし、警備のおじさんに、「さあもう出て出て」と詰め寄られ、滞在時間はおそらく1分程度だったと思われます・・・。


あせって写真をとったのでブレブレ。みんな退出を迫られています。すばらしいと賞賛される壁画・天井画の記憶は皆無。この広間のスゴさをお伝えできずにすみません……。

部屋をつまみ出された後、ドアがばたんと閉められました。わたしは入れたからまだいいけど、直後に来た観光客は、「もうここクローズだから」と突き放されていました。宮殿自体の閉館は5時なんですが、事前に閉めるなんてそんな大事なこと、入場するときにアナウンスしてくれよ……。
まさに「出て出て詐欺」。シーーーン……

約2時間、ひたすら宮殿内を歩き回りましたたが、これでも一部しか見ていないし、その奥の庭園なんていったいどうやったらたどりつくんでしょうか。そういえば、世界遺産の登録名は「フォンテーヌブロー宮殿と『庭園』」だった……。
庭園はチラ見すらしてませんが、もう閉館だし、寒いし暗くなってきたし、まいっか。
その広大さと、長い歴史の中で蓄積されたあまりの情報量に、くらくらしながらパリに戻ったのでした。

ほんとはヴェルサイユ宮殿の話までするつもりだったんですが、
すっかり長くなってしまったので、今日はここまで~~~。
Au revoir…