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■ 研究員ブログ⑬ ■ 世界遺産は誰のもの?

今日は大寒、そして満月です。

なんだか神様は、やたらと寒くしすぎた分を
夕焼けや月の美しさでごまかしているのでは!?
なんてくだらないことを考えてしまうくらい、
最近の空は綺麗です。

1月17日の毎日新聞朝刊に、
コモド国立公園に関する興味深い記事が出ていました。
「インドネシア:村襲うオオトカゲ 「餌付け」やめ、崩れた共存」
(毎日新聞2011年1月17日朝刊)

政府によるコモドオオトカゲの保護政策が逆に、
住民の生活を脅かしている、というもの。

コモド国立公園は、サンゴ礁が作り出す景観と共に、
危急種であるコモドオオトカゲの生息域として、
登録基準の(vii)と(x)が認められ、
1991年に世界遺産登録されました。

それに先立つ1990年に政府が定めた、
コモドオオトカゲの餌であるシカやイノシシなどの禁猟が、
住民の間で古くから続いてきた共存関係を崩し、
コモドオオトカゲが家畜のヤギや人間までを襲うようになった、
というのです。

さらには世界遺産になることによって、
コモド国立公園観光の流れが変わり、
以前はガイド収入で潤った村を観光客が素通りするようになった、
とも書かれています。

これはシステムとしての世界遺産保全(危急種の保護)が、
古くから続いてきた人間や共同体の知恵を活かしていない、
という問題だけでなく、
「世界遺産は誰のものなのか」、
という難しい問題提起もしている気がします。

世界遺産はそこで暮らしてきた住民たちのものなのか、
世界遺産の保全を行う国家や政府のものなのか、
はたまたユネスコや地球市民としての我々のものなのか。

これは様々なレヴェルの視点が入り混じっているため、
一概に「誰のもの」ということは出来ません。

世界遺産登録によって、先住民が伝統的な生活を送れなくなったり、
観光化により住民よりも観光客のための遺産になっている、
などという変化の例は、いくつも見ることができます。

しかし、そもそも「伝統文化が昔から変わらず続いて存在している」
なんていうのはロマンチックな思い違いであり、
文化というのは常に現状の中で再生産・再構築されてゆくものだ、
というのは文化人類学では常識のように言われていることです。

それは世界遺産登録によって文化や生活が変化するのは、
仕方のないこと、必然である、として、
その変化の中で不動産の世界遺産を「保存」しつつ、
住民にとってのその「存在の意味」や「文化の中での位置づけ」は
常に更新してゆかなければならない、ということでもあります。

そう考えると、世界遺産登録は、
住民の日常生活というコンテクストから、
遺産なり街なりを別のコンテクストへ切り離す作業である、
ということも可能だと思います。

これは恐らく、その通りなのでしょう。

だとしたら、住民の手から突然取り上げられた遺産や街を、
彼らの手に取り戻す作業、彼らがそれを新たなアイデンティティとする作業が、
今後の世界遺産の責任である気がします。
……「世界遺産の責任」などという
主体を曖昧にした言い方しか今は出来ませんが。

僕の頭の中でも全くまとまっていないため、
判りにくい文章になってしまいましたが、
世界遺産に関心のある人にはぜひ考えてもらいたい問題だと思います。

このだらだらと長いブログを読んで目が疲れたら、
もちろん夜空の満月を見上げてくださいね!