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◆世界遺産クラブ通信◆ 活動レポート‐4

【ウズベキスタン:シルクロードのオアシスを訪ねて】
              ~後編~

シルクロード屈指の交易都市ブハラへ

ヒヴァで一泊し、再びウルゲンチ経由で東南へ1時間、ブハラ到着。カリヤン・モスク
ブハラの歴史は2,500年も遡るが、その黄金期は9世紀ごろから。13世紀に入るとチンギス・ハーンの来襲で、その栄華はひとたび灰燼に帰してしまうが、16世紀には蘇り、多くのモスクやマドラサが建造された。今もシルクロードの面影を色濃く残すブハラの街並みはこの頃完成し、1993年「ブハラの歴史地区」として世界遺産に登録となった。
ブハラにある多数のマドラサのうち10か所を半日弱で見学するハードスケジュールだったが、ブハラのシンボル「カリアン(=大きい)・ミナレット」と288の丸屋根をもつ「カリヤン・モスク」は特に印象に残っている。(右写真)
 

ティムールゆかりの地シャフリサプス

アク・サライ宮殿跡さらに東へバスで4時間、シャフリサプスへ。道中はずっと砂漠同然で、道端の灌木に隠れての青空公衆トイレを体験した。また、家族総出で綿花を摘んでいた農場で途中下車。カメラを向けると、子供たちは首にかけた大袋から綿を取り出してにっこりとポーズをとってくれた。
シャフリサプスは、1336年この近くでティムールが生まれたことで、歴史の表舞台に登場する。しかし16世紀後半、ブハラのアブドゥール・ハーンがティムールゆかりの建造物を破壊したため往時の華やかさはないが、「アク・サライ宮殿跡」(写真左)やティムールが葬られるはずだった「ドルッサオダット建築群」などが残り、「シャフリサプスの歴史地区」は2000年、世界遺産に登録された。
その後、再びバスに揺られ3時間、サマルカンドを目指す。今度は、途中の民家に立ち寄ってのトイレ休憩。64歳のおじいさんを筆頭に子供11人、孫13人から大歓迎を受けた。
 

異文化が交差する”青の都”サマルカンド

「青の都」「イスラムの宝石」「東方の真珠」など、その美しさからも多くの異名をもつサマルカンドは、常にシルクロードの中心都市として栄えてきたものの、1220年モンゴル軍の猛攻により、人口の4分の3が殺されるほどの壊滅的なダメージを受けた。そして16世紀後半、ティムール帝国の首都として華々しく復興する。「文化交差路サマルカンド」は2001年、世界遺産に登録された。
ここでは連泊だったので、サマルカンドはゆっくり観光できた。最初に、まだガイドブックにも紹介されていない郊外の新名所「アル・ブハリ建築群」を訪ねた後、レギスタン広場(写真下)を囲む3つのマドラサを見学。ティムール族が眠る「グリ・アミール廟」、中央アジア最大のモスク「ビビニハム・モスク」などを廻り、ティムール朝文化の頂点を堪能。夕方にはワイナリーでワインとコニャックを試飲し、民家で中央アジアの代表的な料理「プロフ」などを御馳走になった。レギスタン広場

 

帰国の途へ…
そして私の世界遺産の旅は続く

2002年開通の「シルクロード・エキスプレス」に乗ってタシケントへ向かう。車両は古く、時速70kmで293kmの道のりをノンストップ4時間!という「ウズベキスタンの新幹線」が、旅の想い出にまたしても腰痛と苦笑いをプラスしてくれた。
タシケントでは、ウズベキスタン日本語センターに立ち寄る。熱心に日本語を学ぶ学生たちとの懇談は思いのほか楽しかった。

今回で私の海外旅行は59回目。うち中国12回、ヨーロッパ21カ国と偏りがあるてめ、訪問国総数は46カ国にすぎない。見学した世界遺産は総登録数878件中、157か所である。一個人としてはよく行ったものだと思うが、これでもまだ全体の2割に足らない。今後も体力と好奇心の続く限り、私の世界遺産への旅は終わらないであろう。          

                                                                                                                          中川勝博