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第33回世界遺産委員会ニュース②(新規文化遺産の紹介[1])

2009年 世界遺産委員会ニュース②

1世紀建造の灯台から、20世紀初頭ウィーン分離派の邸宅まで!

スペインのセビーリャで開催された第33回世界遺産委員会で新規登録が決まった13物件(文化遺産11物件、自然遺産2物件)のうち、まずはその中から文化遺産の5物件を紹介します。

● 五台山 (中国)

中国山西省、「5つの台地がある山」という意味の五台山は、文殊菩薩の聖地として中国三大霊山のひとつとして数えられます。山中に53の寺院があることで文化的景観として認められました。
中国北部では最も高い山であり、その山並みは、切り立った斜面と、円く禿げた5つの山頂とによって印象的なものとなっています。
山内の寺院群は、1世紀から20世紀初頭までの間に建造されました。佛光寺の東大殿は、唐の時代に建てられた木造建築としては最も高地に造られたもので、木造建築で、等身大の粘土像が安置されています。殊像寺は明の時代に建てられたもので、五百羅漢像が川を渡る様子が表現されています。
五台山の寺院は、仏教建築が1000年以上にわたり中国の広い範囲における宮殿建築物に影響を与え、広がっていった過程を教えてくれます。

英 語 名:Mount Wutai
仏 語 名:Mont Wutai
登録基準:(ii)(iii)(iv)(vi)

 
● 聖山スレイマン・トー (キルギス)

フェルガナ渓谷の景観を含み、オシュの町の背景を形作る聖山スレイマン・トーは、中央アジアのシルクロードの重要な交差点です。約1500年以上にわたり、この山は旅人にとって灯台のような存在であり、すべての人に敬われた聖山でした。
5つの鋭峰と山腹には、数多くの古代の耕作跡地と岩面画のある洞窟群、16世紀に大規模に再建された2つのモスクが含まれます。調査の結果、101もの遺跡から人間や動物、幾何学模様が描かれた岩面画が見つかりました。ここにはまた数多くの宗教的儀礼の場所があり、そのうち17は現在でも使われています。
これらは峰々の周囲に分散し小道で繋がっていて、不妊症、偏頭痛、背中の痛みなどの治癒、そして長寿の祈願といった信仰と結びついています。この崇拝の地ではイスラム教以前の、そしてイスラム教の両者の信仰が入り混じっています。何千年にもわたって敬愛されてきた中央アジアの聖山の完全な典型と考えられる遺産です。

英 語 名:Sulaiman-Too Sacred Mountain
仏 語 名:Montagne sacrée de Sulaiman-Too
登録基準: (iii)(vi)

 
● ストックレ邸 (ベルギー)

この邸宅は、銀行家で収集家でもあったアドルフ・ストックレの依頼により、ウィーン分離派の中心メンバーの一人、建築家ヨーゼフ・ホフマンにより、1905年に設計されました。
ホフマンは金銭的な、また美学的な制限を課せられることなく自由に手腕を発揮することができました。純化された幾何学主義に沿って1911年に完成した邸宅と庭園は、アールヌーヴォーにおける革新的な変化を打ちたて、この変革は20世紀前半のアールデコとモダニズム建築の潮流の端緒となりました。ストックレ邸はウィーン分離派による建築物で、最も完成度の高いもののひとつです。設計段階から「ゲザムトクンストヴェルク」(建築、彫刻、絵画そして装飾がひとつの作品として統合されること。総合芸術作品)の方針に従い、外観設計や内装に、家具や照明、食器や調度品に至るまで高いレベルで融合させた、ウィーン分離派の各領域の結晶といえるからです。邸内では共に「ウィーン工房」を立ち上げたコロマン・モーザーや、グスタフ・クリムトら、ウィーン分離派を代表する芸術家たちの作品群を収蔵しています。

英 語 名:Stoclet House
仏 語 名:Palais Stoclet
登録基準:(i)(ii)

 
● ヘラクレスの塔 (スペイン)

古くから「ファルム・ブリガンティウム」(ブリガンティウムの塔)と呼ばれ、近代になってからはギリシャ神話にちなみ「ヘラクレスの塔」と呼ばれるようになったこの塔は、ガリシア地方を占領したローマ人によって1世紀末、ア・コルーニャ港の入り口に建てられたものを起源とする、57mの岩山の上に建つ55mの高さの灯台です。
そもそもブリガンティウムとは、ローマ帝国時代以前にイングランド北部、アイルランド南東部、そしてイベリア半島北西部の現ガリシア地方を治めたケルト人の一派、ブリガンテス族の土地という意味です。ヨーロッパの大西洋岸では青銅器時代から海洋交易が行われていて、ケルトの伝説では、ブリガンテスの王ブレオガンが、ガリシアの海岸に立つ見張り塔の上からアイルランドを発見し、一族を派遣し植民した、といわれています。この一帯ではローマ人の到達以前から、海岸に面していくつもの塔が立っていたようで、ローマ人はそのうちのひとつを作り直し灯台にして、「ファルム・ブリガンティウム」と名づけたのではと考えられています。
塔はこれまでの増改築や修復により、大きく分けて3段階の構造となっています。最も基礎である灯台の土台部分はローマ時代のもので、1990年代の発掘の際に掘り出されました。幾度もの破壊や改築を経て、18世紀末に行われた修復で現在の姿になりました。またこの遺産は、鉄器時代にさかのぼるモンテ・ドス・ビコスの岩面画などもある野外彫刻公園とイスラム教徒の墓地も登録範囲に含みます。
古代ローマの時代から今日まで残され、かつ現在も稼動している灯台は、このヘラクレスの塔が世界で唯一であり、2000年にわたり大西洋を航行する多くの船を導いてきた功績は大きいです。また、ケルトの血を引くガリシアの人々にとっては、自らのアイデンティティを常に感じることができる、無数の伝説に彩られた郷土のシンボルといえます。

英 語 名:Tower of Hercules
仏 語 名:Tour d’Hercule
登録基準:(iii)

 
● ラ・ショー・ド・フォン/ル・ロクル、時計製造都市の都市計画 (スイス)

スイス・ジュラ山脈の中、農業には不都合な土地で、ラ・ショー・ド・フォンとル・ロクルの隣り合った2つの都市は、効率的な時計製造のための仕組みを必要としていることを反映させた、独自の都市開発を行ってきました。
19世紀初頭に計画され、3回の大規模な火災を経て、2つの都市は時計製造という単一工業に特化した都市開発がなされました。公的なスキームに沿い、同時並行で進行した2つの都市計画の図面は、居住区とアトリエ地区が入り組んだもので、17世紀に勃興し今日もなお継続する時計製造のプロフェッショナル文化の必要性に直結したものです。この遺産は単一工業の経済活動に方向付けられた、良く保存され、さらにいまだ現役である都市の顕著な例です。
2つの都市計画は、19世紀末から20世紀にかけて、近世の職人的な家内制手工業から工場制手工業への変遷にうまく適合しました。カール・マルクスが『資本論』の中で労働の分業について考察した際、彼はスイス・ジュラの時計製造業を例としてあげ、ラ・ショー・ド・フォンに触れて「工業都市」という用語を考案したのです。

英 語 名:La Chaux-de-Fonds / Le Locle, watchmaking town planning
仏 語 名:La Chaux-de-Fonds / Le Locle, urbanisme horloger
登録基準:(iv)

※この文章は、UNESCOホームページに掲載されているニュースをもとに執筆・編集しています。https://whc.unesco.org/en/newproperties/(英語) https://whc.unesco.org/fr/nouveauxbiens/(仏語)

※UNESCOのニュースだけでなく、物件を保有する国や地方自治体など、現地の組織が提供する情報を解説文中に加えているものもあります。

※新規登録物件および範囲拡張物件の遺産名はまだ正式決定のものではなく、その日本語訳も世界遺産アカデミーが独自に付けたものであり、今後変更の場合があります。

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