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■ 研究員ブログ28 ■ 日本食を無形文化遺産にする前に

東京は突然すごい雷雨になりました。
窓から見ているとあまりに雨脚がすごくて
なんだか非現実的な、人工的に降らせている雨のように見えます。
ここ数年の天気って、なんだか変な気がします。

8/21(日)の朝日新聞GLOBEに、
「日本とユネスコ 無形文化遺産を愛するが故の深い溝」
という面白い記事がありました。

無形文化遺産の登録数に制限を設けるべき、というユネスコと、
制限は設けるべきではない、という日本。

「見境なく登録すれば、リストが信頼されなくなり、
無形文化遺産の価値自体が損なわれる」というユネスコの意見も、
「数の制限は、遺産の優劣だけでなく、
遺産を守るコミュニティに優劣をつけることになる」という日本の意見も、
どちらも、確かに! と思ってしまいます。

しかしこの議論、どうもどこかズレてしまっているような気がします。

確かに「フランス料理」などが無形文化遺産登録されている現状は、
「見境がない登録」と言われても仕方のない状態です。
この現状こそが問題なのであって、
遺産数の制限をどうのこうの、というのは論点がずれています。

世界遺産も無形文化遺産も、
「歴史・文化的に価値の高いもの」を「次の世代に受け継いでゆく」
というものであると、僕は認識しています。
そのために「世界遺産」や「無形文化遺産」といった「名前」を与え、
目に見える存在にして保護・保全をしてゆく。
それは、観光名所的なお墨付きや政治的な思惑とは別のものです。

そう考えると、日本やフランス、インドなどが主張するように、
制限すべきは「無形文化遺産の内容」であって、
遺産数を制限すべきではない、ということになります。
僕はこの立場です。

特に無形文化遺産は、その文化に属する人々の生活やアイデンティティと
深く結びついていることが多いので、
それを他の文化に属する人々が
「これは無形文化遺産にふさわしいけれど、こちらはふさわしくない」などと
判断することは、それが書類上の不備が理由だったとしても、
多くの問題を孕んでくることになります。
文化というのは非常にデリケートな問題です。

その一方で、ユネスコやイタリア、スペインなどが主張する
遺産数の制限にも理があるのは、
「制限をしないと地域バランスが崩れる」という点です。

世界遺産がヨーロッパやキリスト教関連に偏っているのと同じように、
無形文化遺産も、無形文化財保護の歴史の長い日本や韓国、中国に偏っています。
遺産数に制限を加えなければ、書類作成のノウハウや人材を持つ国から
無制限に推薦書が届き、その事務処理だけでユネスコの業務はパンクしてしまいます。
そしてほとんど審議されないまま、
本当に「無形文化遺産」という名前の下で守らないといけないものかどうか
疑わしいものまで、「無形文化遺産リスト」に加わっていき、
その結果「無形文化遺産リストの信頼性が損なわれる」ということになっているのです。

ここで重要なのは、無形文化遺産に推薦する前の国内審査の段階で
いかに審議を重ねることが出来るのか、というコトです。
国内の文化もひとつではないため、
ここでの審議も慎重にならざるをえないのは当然です。

重要無形文化財として無形の文化を保護・保全してきたノウハウのある日本は、
そのノウハウを「無形文化遺産委員会」よりも下の各国レヴェルで共有し、
無形文化遺産リストの質の向上に積極的に寄与すべきだと思います。

食の安全をアピールするために日本料理を無形文化遺産に!
などという、条約の主旨から逸れた活動はいりません。

無形遺産条約の成立に力を発揮した日本は、
その運用においても力を発揮すべきなのです。

フランス料理も日本料理も大好きですが、
「無形文化遺産」としてではなく、普通(?)に味わいたいと僕は思います。