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■ 研究員ブログ89 ■ 神鹿か害獣か……古都奈良の文化財

2016.03.04

うちにはもう14歳になる猫が一匹います。
僕が家に帰ると真っ先に玄関まで迎えに出てきて、
靴を脱ぐ僕の足に、にゃあにゃあと体をすり寄せてきます。
本を読んでいても彼が歩いているのが目の端に入るし、
食事中に視線を感じて振り返ると彼がじっとこちらを見ていたりします。

マンションなので完全に家の中で飼っているのですが、
家の中に動物がいるっていいなぁと思います。
アニマルセラピーじゃないですが、
無機質な家具や電化製品に囲まれた空間に動物がいると、
直接触れたりしなくても空気を柔らかくする気がします。

僕は奈良が好きなのですが、
その理由のひとつに、街中のシカの存在があります。
普通の街中に、表情からは何を考えているのかよくわからないシカが、
のん気に歩いている環境が、いいなぁと思うのです。
身近に動物がいる環境が。

しかしそれは観光客としての視点であって、
そこで生活している人々にはまた別の視点があります。

特に、奈良公園の近くで農業を営む人にとっては
シカが農作物などを食べてしまう食害は深刻で、
実効性のある対策が長い間、求められていました。

2016年3月1日、奈良県は、シカの保護を
「重点保護地区」「準重点保護地区」「保護管理地区」「管理地区」の
4段階に分けて行い、
一番外側に当たる「管理地区」では個体数を調整できるようにしました。

奈良公園のシカは、春日大社の祭神である武甕槌命が
鹿島神宮から白鹿に乗って御蓋山(三笠山)に降臨したとの伝説から、
神鹿として手厚く保護されてきました。
しかし明治時代になり価値観が大きく転換すると、
これまでの反動もあって乱獲され、
また第二次世界大戦中には食糧難による密猟で数が激減します。

大戦後は、社会の安定やシカの激減に対する反省から、
再び保護されるようになり、
1957年には国の天然記念物に指定され、
捕獲や駆除は控えられるようになりました。

奈良にとってシカの存在は、
宗教的な重要性であったり、街の象徴であったり、観光客集めであったり、
プラスの側面がある一方で、
過剰な個体数の増加による、食害や生態系の異変など、
マイナスの側面も無視できないものです。

生態系では、シカが好まない植物ばかりが増えてしまったり、
シカが食い荒らしたあとに外来種が繁殖するなど、
現実問題として変化が表われてきています。

こうしたマイナス面に対処するものとして、
個体数の調整を行うのはやむをえないことだと思います。
僕たち人間が暮らしやすいように世界を改変してしまっている以上、
人間が手付かずの自然の一部としての存在に戻ることは現実的ではなく、
人間が管理に責任をもつ必要があると考えるからです。

確かにこれは傲慢な考え方かもしれません。

人間が、ニホンオオカミなどを駆除し、
自分たちに都合のよい生き物を保護してきたことで生態系が崩れ、
それによって人間の生活に悪影響が出たら
今度は保護してきた生き物を駆除する。

人間は勝手すぎるでしょ、というのも全くその通りです。

これまでの人間の自然に対する傲慢さというのは
大いに反省すべきです。

しかしこれからは、反省すべき過去も受け継いでの未来に
していかないといけないのです。
人間が手を加えておかしくしたのなら、
人間が何とかしようと努力しなくては。

自然や生態系に関わる保護・保全というのは、
バランスの取れた長期的な視野が必要になります。
生物生態学の視点、農業の視点、観光の視点、環境保護の視点、
地域住民のアイデンティティ形成の視点、など、
さまざまな視点から見て、納得がいく合意点を見つけなければなりません。

そのためには、地域の文化や自然、将来像について
地域の人々自身が話し合って、自分たちの力で将来像を作り上げる、という
本当に大変なプロセスが必要です。
外部の学者や国の役人が考えたものでなく、
自分たちの中から出てきた保護・保全策でなければ、
持続可能な保護は難しいのです。
学者や役人などができるのは、それに手を貸すことことだけです。

世界遺産でのシカの駆除というのは、
すでに『知床』で行われています。
『知床』では、自然環境を守り、生態系のバランスを保つために、
2010年よりエゾシカの個体数管理を行っています。
これはIUCNから個体数管理をするように指摘されていた点でもあります。

かわいそうという意見もあると思いますが、
このままバランスを崩したまま
地域住民の生活と動物の生態との間に軋轢が続けば
お互いにとってもっと「かわいそう」なことになると思います。

個体数の管理は、むやみに乱獲することとは違います。
生きている物を殺すことに抵抗があるのは当然のことです。
それは個体数を管理している人々も同じ思いです。

僕たちは経済的な面も含めて、何ができるのか、
どのような未来を求めているのか、
真剣に考えるときにきています。
増えすぎた人間が地球環境や資源について一番の責任があるのですから。