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2010年度 世界遺産アカデミー特別講座前ユネスコ事務局長顧問・服部英二氏『文明間の対話と世界遺産~人類の遺産に通底するもの~』(2)

イベントレポート イベントレポート
(2014-12-11更新)

連載第2回目(全4回)

【ピラミッド、パルテノン神殿、そしてエッフェル塔】

世界遺産と言えば、多くの方がまず頭に思い浮かべる物件として、
パルテノン神殿が挙げられるでしょう。ギリシア建築の代表であり、

石造建造物を代表するモニュメントの一つです。

※6 パルテノン神殿

もう一つ、代表的な世界遺産と言えば、エジプトのピラミッドが挙げられます。

古代エジプト文明の思想は、日本と同じく、自然と同調した循環の思想です。 その

思想はラー(太陽神)信仰に現れています。毎日姿を消す太陽が、翌日再び

地平に現れる。そのラーにファラオが合体する場所がピラミッドであり、それを司る

のは、冥界の神であり農耕の神であるオシリスでした。

※7 エジプトのピラミッド

対して、ギリシア文明は人間宣言であったと、私は考えていました。

「自然は曲線を創り、人間は直線を創る」

という湯川秀樹の言葉は真理で、だからギリシア文明は直線の文化なのだ、と。

ところが、最近ギリシアの考古学者から「パルテノン神殿に直線は無い。すべて曲線でできている」と聞き、目から

鱗が落ちる思いがしました。床も曲線を描いており、エンタシスを持つ列柱もすべてわずかに内傾している。この内傾

した列柱は上空1700mで一点に収斂する、というのです。つまり、パルテノン神殿は、天空に見えないピラミッドを

描いていたのです。ですから、この二つの一見異質に見える文明は、断絶せず、継承されていたのです。

そして、ギリシア文明は、古代ローマ帝国の傘下に入ります。

方や、エジプト文明におけるピラミッドはどうなったか。
我々がエジプトと言えば思い浮かべるギザの三大ピラミッドのような正四角錐形の

ピラミッドは、実は今から4500年前に始まる古王国時代のみで、その後姿を消し

ます。しかし、古代エジプト文明のピラミッドの思想は残ります。現在のピラミッドでは

確認が難しいのですが、ピラミッドにはキャップストーンという冠石が不可欠です。

このキャップストーンには原初の太陽神の霊魂が宿ると信じられていたからです。

※8 カフラ王のピラミッド

それは金色でした。

ピラミッドの四角錐の形状は消えますが、キャップストーンはオベリスクに受け継がれました。
ルクソール神殿のオベリスクは、パリのコンコルド広場に運ばれ現存します。パリでは21世紀を

迎えるセレモニーに備え、このオベリスクの頂点には金色が施されました。コンコルド広場の

オベリスクは、いま、昔の色に帰ったキャップストーンを身に纏っています。

シーザーのローマ帝国が、エジプトをも傘下に収めた時、ピラミッドの建造はすでに無く、

オベリスク形を基本とするものだけが残っていました。

9 ルクソール神殿のオベリスク

※10 夕暮れのエッフェル塔

私のパリの家からは、エッフェル塔が良く見えます。夕暮れに染まるエッフェル塔の景観は、時の経つのを忘れ
させるほどですが、19世紀の建設当初、パリの景観を壊す、という理由で反対する意見が圧倒的だったのは
有名な話です。鉄の魔術師と謳われたギュスターヴ・エッフェルが設計したエッフェル塔ですが、実のところ、
パリ万博当局はどうも最初からエッフェルに任せる意図があったようです。一応、公募し、一般から多くの設計案を
募るのですが、締め切りまでの期日が、わずか15日間というのは、あまりにも不自然です。私は、エッフェルが
提唱したのは「鉄の時代の幕開けに、鉄のピラミッドを」というアイディアだったと思います。というのも、エッフェルが
イメージを刺激されたと考えられる建造物が実存するからです。

フランス南東部の町リヨンは、古代ローマ帝国が造った町を起源とします。このリヨン
の南、約50kmにヴィエンヌという、紀元前1世紀にやはりローマ人が造った町が
あります。ここにローマ人が造った”ピラミッド”がある、と友人から聞いた私は、現地を
訪れました。私が見た”ピラミッド”と呼ばれるモニュメントは、オベリスクの形をしており、
下部構造は凱旋門のようなアーチが四方向に開く門でした。その時私は「これは
エッフェル塔ではないか」と直感しました。ヴィエンヌには、このモニュメントを
“オベリスク”と呼ぶ人は誰もいません。2000年にわたり、”ピラミッド”と呼んでいるの
です。エッフェルは、自分の塔の形が醜悪だと、著名人連盟から攻撃を受けた際に、
ル・タン誌に「エジプトで称賛されているものが、なぜパリでは醜悪なものとなるのか」
と反論を掲載しています。
こうしてみると、ピラミッドの思想は、エジプトからギリシアへ、そしてローマ、そして
現代へと伝達により継承されているのです。
※11 フランス、ヴィエンヌの
ピラミッドと呼ばれる建造物

【モン・サン・ミシェルは巨石文明時代の遺跡を継承】
モン・サン・ミシェルも人気のある世界遺産です。
モン・サン・ミシェルはフランス北西部ノルマンディー地方の南、ブルターニュ地方
との境に近いサン・マロ湾にあります。この岩の島は、もともと先住民のケルト人が
信仰する聖地でした。ケルト人の聖地が、カトリックの聖地になっていくのですが、
これも”聖地”が異文化に継承されることを表します。

では、そもそも、なぜケルト人はこの地を聖地としたのでしょうか。
それは、メンヒルという先史時代の巨石文明の遺跡群に関わりを持つのです。
ブルターニュには紀元前数千年に遡る「カルナック列石」という、              ※12 モン・サン・ミシェル(1)
メンヒル巨石遺跡群を代表する列石があります。このメンヒル遺跡は基本的には
死者の灰の上に建てられました。ケルト人は、モン・サン・ミシェルのある島を
「モン・トンブ(墓の山)」と呼び大事にしていました。先史時代の祭祀の文化がケルト人に受け継がれたのです。
ブルターニュにはメンヒルがいくつもあり、それはほぼ一直線にモン・サン・ミシェルに向かっているのです。さらに、
スカンジナビアのルーンストンはメンヒルの一角を構成しています。


つまり、モン・サン・ミシェルは、ブルターニュからスカンジナビアを結ぶ
巨石文明の線上に位置しているわけです。先史時代の文化をケルト人が
受け継ぎ、のちにカトリックの聖地になったのです。そしてこの聖地は遠く、
巡礼の道でサンティアゴ・デ・コンポステーラにも繋がっているのです。

※13 モン・サン・ミシェル(2) 

【仏教を伝えた海の道】
仏教の聖地はどうでしょう。
インドネシアのボロブドゥールは仏教遺跡を代表する建造物であり、
代表的な世界遺産の一つと言えます。紀元前500年頃、釈迦が
悟りを啓きアジアに広まるその教えは、仏滅後500年、紀元前後に、
ガンダーラにおいてヘレニズムと出会い、大乗仏教という新しい
仏教を誕生させます。大乗仏教は、北伝仏教とも言われ、
シルクロードの要衝、敦煌から朝鮮半島を経由して日本に伝わった
と言われています。古くからの仏教は上座部仏教と言われますが、
※14 ボルブドゥールの仏教寺院群    大乗仏教との大きな違いは、形=仏像を持たなかったことです。

連載第1回目でもご説明したように、人間は「形」を求めます。
形を持つ大乗仏教が栄え、上座部仏教は衰退していきます。現在、東南アジアで大切に
されている仏教は、南伝仏教とも呼ばれ、上座部仏教ですが、これは11世紀頃に仏像を
取り入れ、復活した上座部仏教です。インドネシアは東南アジアに位置しますから、
従来の南伝仏教=上座部という解釈では、当然ボロブドゥールも上座部仏教の遺跡と
ならねばなりません。                                        15 ボルブドゥールの
仏教寺院群の空撮
ところが、これは大乗仏教、それもよく見ると真言密教の寺だったのです。
なぜ大乗仏教、それも真言密教のお寺と判るかというと、ボロブドゥールを上から見ると、
ボロブドゥール全体が、曼荼羅(まんだら)を表しているのです。曼荼羅は、密教の大日如来を
中心とした宇宙観を、視覚的に表現したものです。ボロブドゥールは、全部で6層の方形壇、
3層の円形壇で階段ピラミッドの様相を呈しています。ピラミッド状の建造物は、この地の
山岳信仰を体現するだけでなく、一段目の基壇が欲界、その他の方形壇が色界、最上部の
円形壇が無色界という仏教の三界を表現しています。これは全くの大乗仏教のお寺です。
したがって、このボロブドゥールも情報の伝達が無ければ存在し得なかったのです。          16 曼荼羅


ボロブドゥールを建造したのは、8世紀中ごろから9世紀前半にかけてジャワ島に
興ったシャイレンドラ朝でした。シャイレンドラ朝に大乗仏教を伝えたスリランカからの
ルートに、海の道があったことを、私は海のシルクロード調査で検証しました。
ガンダーラで興った大乗仏教は、南下してガンジス川に出会います。そして、
ガンジス川を経由し、ナーランダに仏教大学が出来ます。ここから河口に出ると海の
道が広がり、スリランカに伝播して行きました。スリランカでは、どこが大乗仏教の
拠点となったのか。今ではスリランカ上座部仏教の聖地となった古代の首都、
アヌダラプーラです。その三大仏塔は世界遺産登録物件ですが、三大仏塔の一つ、
アバヤギリ仏塔は、高さ75mと最も高い仏塔で、ここにあったアバヤギリ僧院に
由来します。このアバヤギリ僧院こそが、スリランカ大乗仏教の中心であり、4世紀、
法顕もここに滞在しました。そして、この大乗仏教は、インドネシア、シャイレンドラ
17 アバヤギリ仏塔 王朝へ継承されていくのです。

この伝達は、インドネシアのスマトラ島に興ったスリーヴィジャヤ王国の力によるものと考えられます。
スリーヴィジャヤ王国は、港湾都市国家の連合体で、中心が時代により移動したアメーバー状の王国です。
そういった意味では、シャイレンドラ王朝もスリーヴィジャヤ連合都市群にみられる一つの中 心の推移と見る事が
妥当でしょう。このスリーヴィジャヤ王国は、マレー半島、スマトラ島を中心としてインドネシア一帯に、一大勢力を
築いていました。インド、中国との交易にも大きな力を持ち、交易ルートとして、スリーヴィジャヤ王国が確立した
海の道は、ものだけでなく情報も伝達したのです。8世紀からは同じ道をアラビアのダウ船も行き来しています。
アヌダラプーラから、当時の中国の海の玄関、広東を経由して、長安を目指すセイロンの僧達は、この海の道を
辿っていました。海賊の出没するマラッカ海峡を避け、スンダ海峡への道を選んだ僧達は、当時のシャイレンドラ朝の
首都とも言われるプランバナンに滞在したようです。

世界遺産「プランバナンの寺院群」を構成するチャンディ・セウは、ヒンドゥー教の
形式に大乗仏教の要素が加味されたものです。ここがセイロンの僧達が身を
寄せた寺院だと考えられます。また、空海が長安に滞在していたとされる
のが、804年~806年。インドネシアにボロブドゥール建設されていた、まさに
その時です。南海の大乗仏教の道は、大乗仏教を長安で大成させ「真言密」を
生み出します。長安に留学していた空海は、慧果から真言の秘儀を授かり、
日本に真言密教をもたらしたのでした。
18プランバナンの寺院群

次回、連載第3回目では、この大乗仏教についての「文明間の対話」を掘り下げて、インドで誕生した
宇宙観との関連、またマヤ文明にいたる情報の伝達についてご説明したいと思います。

(※9~11、※14~16 写真提供:服部英二氏)
(※12 写真提供:小泉澄夫氏)