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2010年度 世界遺産アカデミー特別講座前ユネスコ事務局長顧問・服部英二氏『文明間の対話と世界遺産~人類の遺産に通底するもの~』(3)

イベントレポート イベントレポート
(2014-12-11更新)

連載第3回目(全4回)

【インドネシアに伝播した大乗仏教とインドの宇宙観】
スリランカを経由して大乗仏教を取り入れたジャワの文化には、その基盤に優れた航海能力があったことは
間違いありません。さらに彼らは、大乗仏教と共に、インドの宇宙観も取り込んでいます。Vastu(ヴァストゥ)が
それです。ヴァストゥは、古代インドで成立した思想・学問で、住居や寺院の立地、間取りの決定にも
応用されていました。自然は、地、火、空、水、風、の5つの要素で構成されている、という考え方で、
寺院の立地を考える場合、東西南北の四方に中央を加えた五方位に置き換えられました。

連載第2回目にて、ボロブドゥールが階段状のピラミッド構造であることはお話しましたが、ピラミッドの4面は、
それぞれ東西南北を向き、各面の中央から、頂上の「中台」に至る階段が「向上門」としてまっすぐ伸びています。
ここに東西南北と中央の五方位が確認できます。この形をインドネシアではモンチョ・パットと呼びます。

もう一つアジアを代表する世界遺産として「アンコールの遺跡群」が

挙げられるでしょう。訪れた人は、その圧倒的な規模と美に深い感銘を

受けます。このクメール文明も、南海の大乗仏教の道に、大きな影響を受けて

いるのです。「アンコール」と言えば、ヒンドゥー教寺院と思われがちです。

代表的な寺院、アンコール・ワットは12世紀にスーリヤヴァルマン2世が

建立しましたが、中央の5つの塔は、古代インドの宇宙観における

世界の中心、メール山(須弥山)を表していることでもわかる通り

ヒンドゥー教寺院です。しかし、ジャヤーヴァルマン7世の立による最大の

18 アンコールの遺跡群 都城「アンコール・トム」、 この中央に建つバイヨン寺院は、大乗仏教の寺院

なのです。

1933年、この遺跡の中央の井戸の地下14mのところで仏像が

発見されました。この仏像は観世音と判定されています。さらに、

都城、アンコール・トムには東西南北に城壁があり、それぞれの

壁の中央には門があります。門からの道は、都城の中央でクロス

しますが、その中央に位置するのがバイヨン寺院なのです。

これも五方位です。

8世紀、カンボジア南部は、シャイレンドラ王朝の属国となっていて、

クメール王朝の創始者、ジャヤーヴァルマン2世は、その幼少期、

シャイレンドラ王朝の人質であったのです。この時期、彼は、

シャイレンドラ王朝が取り入れた大乗仏教と、その建造物に触れていたに      20 アンコール・トムの平面図

違いありません。ここでも情報の伝達による「文明間の対話」が実感できます。

【ボロブドゥールとマヤ文明】

ボロブドゥールの9段の階段状ピラミッド、そして四方位にある頂上に続く階段。
これによく似た建造物があります。
それは、ユカタン半島、代表的なマヤ遺跡と言っても過言ではない
「チチェン・イツァの古代都市」にある「カスティーヨ」と呼ばれるピラミッドです。
カスティーヨも9段の階段状のピラミッドで、四面に頂上まで至る階段があります。
では、古代インドネシアの優れた航海技術は、太平洋を越えたのでしょうか。

21 カスティーヨ

カスティーヨの頂上、つまり中央には、ククルカンの神殿があります。

ククルカンとは「羽のある蛇」すなわち水の神様を意味します。カスティーヨは、ククルカンのための建造物なのです。

このカスティーヨには、とある有名な現象が起こります。毎年2回、春分の日と秋分の日の午後5時、北面階段の

手すりに9段の階段状のピラミッドの影ができます。北面階段の下部にあるククルカンの頭部に、影の胴体が

つながり、水の神ククルカンが、天から舞い降りる姿を演出するのです。

水の神ククルカンに注目してみましょう。

22 人を生み出すケツァルコアトル            ※23 ナーガの口から生命が生まれる

大河を持たないマヤ文明は、その水源を泉=セノーテに頼っていました。水の神は大変大切な神で、マヤ文明にも
大きな影響を与えたマヤ以前のメソ・アメリカ文明、後4~7世紀に全盛期を迎えたテオティワカン文明では、
「ケツァルコアトル(Quetzalcóatl)」と呼ばれていました。そして、マヤ文明にとっては雨も大事です。
雨の神は、マヤ文明では「ユーン・チャック(Yun-Chac)」、テオティワカン文明では「トラロック(Tláloc)」と呼ばれ、
モチーフは「ジャガー」です。

蛇とジャガー、この二つのモチーフはインドネシアに存在し、インド、セイロン、中国、日本にも存在します。
インドでは水の神「ナーガ(Nagá)」と、雨の神「シンハ(Shimha)」として、日本・中国ではナーガは竜に、シンハは
獅子となります。バリ島に伝わるバロンダンスの「聖獣バロン(Barong)」は獅子であり、日本での獅子舞いと
重なります。さらに、付け加えるなら、メソ・アメリカの太陽神は「鷲」、インドネシアでは太陽を運ぶとされる
「ガルーダ(Garuda)」です。

人類が、ベーリング海峡を越えて、北アメリカ大陸に辿り着いたのはおよそ20,000年前、ベーリング海に
氷の原野が広がる氷河期でした。その後、温暖期に入る12,000年前以降、ベーリング海に氷は無くなり
ます。それ以降、例えばB.C.2,000年~3,000年ごろにベーリング海を、何らかの方法で越えた一団があったと
したら、少なくともその頃、東アジアに生まれた竜のイメージは伝えられるかもしれません。
しかし、アメリカ、カナダにその痕跡はありません。
そして、インドネシアとマヤに共通するもう一つの大切なもの、それが「死と再生の思想」です。
メキシコ・シティの人類博物館では、一見怪物が人を食べているように見える発掘品が確認できます。しかしそう
ではありません。これは、トラロックやケツァルコアトルから人が生まれているのです。水の神である蛇(竜)が大きく
口を開け、そこから前向きに人の顔が現れています。すべては「大いなる水の循環による再生」の信念を指向して
います。ところがこの蛇の口から人間が生まれる、という特異な造形がインドネシアにも存在するのです。プランバナン
の寺院群やボロブドゥールの仏教寺院群の四面の階段の下部突端にそれは見えます。階段の欄干がナーガ、
その大きく開けた口から生命が生まれています。それは時には菩薩、時には獅子(狛犬)で、近くには、そこから
生まれて大きくなったような狛犬が愛嬌を振りまいています。これは、1カ所ではありません。いたるところに偏在して
いるのです。

今まで、メソ・アメリカの文明へ影響を与えた「海の道」に関して、大西洋は語られても、太平洋が語られることは
ありませんでした。それは、歴代のメソ・アメリカ文明研究者が西欧人であった事と無関係ではありません。彼らの
見てきた世界地図はヨーロッパを中心とするために、中央左方に大西洋はあっても、太平洋は真ん中で切れて
地図の左右におかれているのです。この地図では太平洋の道は見えてきません。
しかし太平洋をそのまま表す地図を見、赤道直下を西から東に流れる「赤道反流」の存在と併せて考えた時、
私は、太平洋を越えた「伝達」、「文明間の対話」は存在したと結論付けたい、と考えます。

21 ヨーロッパ中心の地図からは太平洋への道が見えてこない

次回、連載第4回目では、インド文化、イスラムの価値観、ヨーロッパの美意識、この一見つながりを
持たない三者に伝達=文明間の対話は存在するのでしょうか。検証していきたいと思います。

(※22、※23 写真提供:服部英二氏)
(※19 写真提供:小泉澄夫氏)