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■ 研究員ブログ66 ■ 明治日本の産業革命遺産③:富岡製糸場から産業革命遺産へ

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前回まで2回にわたって
「明治日本の産業革命遺産」がアジア初の産業革命関連の遺産であること、
『富岡製糸場と絹産業遺産群』と違って日本の近代化の時代を証明する遺産であること、
などを書いてきました。

アジア初の産業革命関連の遺産という点では、
富岡製糸場だって産業革命関連の遺産でしょう?
と考える方もいらっしゃると思います。
確かにそう考えることも可能です。

僕はここでは、産業革命を
工場制機械工業の導入による工業化と国家・社会の価値観の変化
というように考えています。

『富岡製糸場と絹産業遺産群』が世界遺産で認められている価値は、
工場制手工業による日本の絹産業の近代化と発展です。

その意味で『富岡製糸場と絹産業遺産群』と「明治日本の産業革命遺産」は
連続しているといえます。
近代化を目指した日本は、工場制手工業から工場制機械工業へ
一気に突き進んだのです。

江戸末期の日本は、突然海に現れた黒船の技術力に仰天します。
そしてその欧米に、隣の大国であった清が太刀打ちできなかったことで、
恐ろしいほどの危機感を覚えました。
その危機感の前では、欧米式の近代化を目指さない、なんて選択肢はあり得ません。
必然のように明治維新がおこり、社会体制が大きく変化しました。

欧米式の近代化を目指す上で必須なのが
重工業(製鉄業や鉄鋼業、造船業など)による産業化です。
しかし重工業を本気で行うには多くのお金がいります。

そこで目をつけたのが、絹産業(軽工業)です。
もともと広く行われていた生糸の生産にフランスの技術を導入し、
高品質の生糸を生産して輸出することに成功しました。
それを証明しているのが『富岡製糸場と絹産業遺産群』です。

そこで得たお金を使って、
日本は工場制機械工業による本格的な産業革命を推し進めたのです。
つまり『富岡製糸場と絹産業遺産群』があってこその
「明治日本の産業革命遺産」というワケです。

日本の2014年と2015年の世界遺産登録は、
価値として連続性のある遺産が、登録年としても連続している、
という点において、世界でも非常に珍しいと言えます。
もちろん、今年「明治日本の産業革命遺産」が登録されたらの話ですが。

一方で、『富岡製糸場と絹産業遺産群』と大きく異なっている点は、
「明治日本の産業革命遺産」には、現在稼働中の資産が含まれている点です。

稼働中の資産を保護していく上での課題は、
民間企業が経済活動で使用していくと、
当然、劣化し老朽化するわけですが、
それをどの段階でどのように守っていくのか、その資金は誰が出すのか、
ということだと思います。

民間企業ですから、経営的に割に合わなければ、
どこかで建て直すなり最先端の技術への改良なりが行われるはずです。
しかし、それをしてしまうと
産業革命期の資産としての世界遺産の価値は損なわれてしまいます。
そうであれば、経済活動で使えなくなったときに、
移築して守るのか、そのまま国が買い取るのか……。
その辺りの保全計画というのはどのようになっているのでしょうか。

稼働中の資産を世界遺産に登録する、というのは、
別に「明治日本の産業革命遺産」が初めてではありません。
しかし産業遺産の多くは、稼動終了後に博物館などとして整備し、
それから世界遺産に登録しています。
僕も他の稼働中の遺産の保全計画はよく知らないので、
いつか調べてみたいと思っています。

「明治日本の産業革命遺産④:ICOMOSの勧告を予想」はコチラ