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■ 研究員ブログ132 ■ 石見銀山遺跡の目的地はどこ?:石見銀山遺跡とその文化的景観②

引き続き、石見銀山遺跡への旅です。

前回も触れましたが、
『石見銀山遺跡とその文化的景観』は、
日本で初めて諮問機関のICOMOSから
「登録」以外の「登録延期」という厳しい勧告が出され、
それが世界遺産委員会で2段階アップでの「登録」決議になったことが
当時大きく注目されました。

現在では諮問機関の勧告を覆して登録されることは珍しくなくなってきましたが、
当時は、外交力が世界遺産の登録に大きな影響を与えたということが、
世界にも衝撃を与えました。
世界が感じたその衝撃については、
当時ユネスコの主要なポストにいた方にお話を伺った際にも出てきました。

石見銀山遺跡の登録の経緯は、
現在の悪しき傾向の先鞭をつけたかのように言われることも多いのですが、
大田市教育委員会石見銀山課の遠藤浩巳さんと中田健一さんにお話を伺うと、
異なる姿が見えてきました。

おふたりも、世界遺産登録に関しては、
特命全権大使であった近藤誠一さんの力が大きかったと話されており、
以前、近藤さんにお話を伺った際に、
「外交官ってこうして交渉をまとめあげるんだ!」と驚いたことを思い出しました。
しかし、調査・保全の専門家である遠藤さんと中田さんの話からは、
近藤さんが外交力を発揮するための、
資料作成や証拠集めが万全であったことが伺えます。

ICOMOSから「登録延期勧告」が出されてから約1ヶ月の間に、
英文で100ページを超える追加資料が用意されます。
この短期間でこれだけの資料が用意できるということは、
すでに充分な調査・研究が行われていたことを意味しています。
ICOMOSからの指摘には、価値に対する誤解であったり、
実現困難な他の遺産との比較なども含まれており、
追加資料は、ICOMOSを含む世界遺産委員会に対し、
「遺産価値を正しく理解してもらう」ためのものでした。
近藤さんは横車を押すようなことをしたわけではなく、
その追加資料を手に、委員達に遺産理解を促した、のです。

石見銀山遺跡に対する遺産価値の理解不足、
というのは一般の私達にもありました。

この遺産が世界遺産登録を目指している頃、
メディア等で取り上げられたこともあり、
登録前から観光客の数が増えていきました。

しかし、遺産価値をわかりやすく単純化する中で、
「石見銀山」が世界遺産を目指しており、
銀山の坑道である「間歩」こそが世界遺産の価値をもつ、
という誤解が生じてしまいます。

そのため、「龍源寺間歩」まで延々と歩かされる、
というのは、観光客にとって苦痛でしかありませんでした。
例えるなら、姫路の駅を出てから『姫路城』まで
山道を延々と歩かされているようなものです。

「龍源寺間歩」を世界遺産の目的地と考えると、確かに苦痛でしょう。
しかし、石見銀山遺跡は
大森の街並みから銀山柵内を通って龍源寺間歩まで、
その全てが世界遺産であり目的地なのです。
『屋久島』で宮之浦岳の山道を歩きながら
「苦痛だ」という人が恐らく少ないのと同じで、
そう考えれば、龍源寺間歩に向かって歩く道も
世界遺産散策にふさわしい道といえます。

石見銀山ガイドの会の方の話を聞きながら歩けば、
今は1,000以上も見つかっている間歩があちらこちらにあること、
使われなくなった間歩を住民が冷蔵庫代わりにしていた話、
石見銀山周辺には多くの神社や寺院などがあり「銀山百ヵ寺」と呼ばれていたこと、
鉱脈を見つける目印となる植物ヘビノネゴザはどれか、
自然の力は強くあっという間に木々に覆われてしまうことなどなど、
龍源寺間歩までの道のりは飽きることがありません。

石見銀山遺跡を語る上で重要な場所が、世界遺産以外にもあります。
今回、その中で訪れることができたのが邑南町の久喜・大林銀山遺跡です。

久喜・大林銀山は16世紀の中頃から本格的な銀鉱山開発が行われていました。
この地の鉱石の特徴は、大森銀山とは異なり「鉛」の含有量が多いということです。
99%が鉛のため、大森銀山のように鉛を加えて銀を抽出する必要がなく、
効率よく鉱石から銀を取り出すことができました。
また久喜・大林銀山で取れた鉛は、大森銀山に運ばれて銀の精錬に使われました。

日本の銀が世界の銀産出量の3分の1を占めたと言われる時、
「日本の銀」の多くは「石見の銀」が占めていましたが、
その「石見の銀」には、世界遺産に含まれていない
久喜・大林銀山の銀も含まれていました。

久喜・大林銀山はなかなか訪れにくい場所ではありますが、
石見銀山遺跡をより深く理解するためには、
ぜひ観にいってもらいたいと思います。
銀を精錬する際に出る不純物「からみ」が、
地形が変わるほど打ち捨てられている姿は驚くべきものがあります。

真っ暗闇の中を懐中電灯片手に歩く「大久保間歩」は、
新たに「福石場」と呼ばれる巨大採石場の公開も始まり
探検好きにはたまらない場所だし、
タヌキが傷を癒したという温泉津の湯は、
火傷するほど熱いのにまた入りたくなる不思議な魅力があるし、
沖泊や鞆ヶ浦の港はかつての繁栄が嘘のような静けさがあるし、
なんといっても猫があちこちにいるし、
石見銀山遺跡にはまだまだ書ききれないことが沢山あります。

温泉津で泊まった「旅館 後楽」なんて、
映画『男はつらいよ』の中で「寅さん」が泊まっているような
古き良き日本の宿、という感じで、
センチメンタルな気持ちになるたまらない魅力がありました。
(実際に『男はつらいよ』の撮影で渥美清さんたちが泊まったそうです。)

『石見銀山遺跡とその文化的景観』の価値は、学ばなければわからない。
でも学んだだけでもわかりません。やっぱり行ってみないと。

これはどの遺産でも言えることですが、
特に石見銀山遺跡は「写真を見ただけで心惹かれる絶景」というわけではないので、
やはり行って肌で感じることが大切だと思いました。

石見銀山遺跡、ぜひ再訪したいと思います。
あの温泉津の湯……また入りたくなるんですよね。


ダンジョンのような大久保間歩。日本でも珍しい本格的な鉱山観光ができる


「銀山百ヵ寺」と呼ばれただけあり、多くの寺や寺跡が残る


草に覆われた鞆ヶ浦街道。かつてはこの道で多くの銀が運ばれた


石見の有力商人の生活を伝える熊谷家住宅。ここも地域の住民によって守られている


不純物「からみ」が捨てられている久喜・大林銀山の「からみ原」


タヌキが傷を癒したとの伝説がのこる温泉津の「元湯温泉」

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