whablog
NPO法人 世界遺産アカデミーTOP  >  オフィシャルブログ  >  ■ 研究員ブログ130 ■ 石見銀山遺跡は人でもつ:石見銀山遺跡とその文化的景観①

■ 研究員ブログ130 ■ 石見銀山遺跡は人でもつ:石見銀山遺跡とその文化的景観①

この仕事をしていると、あぁこの世界遺産に行ってみたいなぁ、と
長い時間、ぼーっとしながら写真を見つめ現実逃避してしまうことが
しばしば……いや、結構あります。

その多くが、僕の好きなヨーロッパの街並みだったり、
南米の古代遺跡だったりするわけなのですが、
そんな行ってみたい世界遺産のなかにひとつ、
他とはちょっと毛色の異なるものがありました。

『石見銀山遺跡とその文化的景観』です。

「石見銀山遺跡」を日本の中で最も注目する世界遺産に挙げる人は
そんなに多くないと思います。僕も含めて。
しかし、2007年に登録されたこの世界遺産は、
さまざまな意味で注目された遺産でした。

まず、日本で初めて世界遺産登録された「産業遺産」であったということ。
次に、日本で初めて諮問機関から
「登録」勧告が出されなかった遺産であったということ。
そして、世界遺産委員会でのロビー活動などによって、
「登録延期」勧告から2段階アップでの「登録」決議になったということ。

また登録後に、街並みの中への車の進入を禁止するなど、
観光客の受け入れに対して試行錯誤をくり返していることも、
地域住民と世界遺産地域のあり方において、
白川郷・五箇山などと共に注目されてきました。

今回、島根県のご好意もあり、
秋の始まりというにはまだまだ早い先月末、
世界遺産登録から10年を迎える石見銀山を訪れることができました。

大森の伝統的な街並みを歩き、銀山柵内を通って龍源寺間歩を訪れ、
自分の手も見えないような大久保間歩で震え、
肌が赤くなるほど熱い温泉津の湯にしびれ、
草をかき分け鞆ヶ浦道を越えて猫を追いかけ感じたのは、
「石見銀山遺跡は人でもつ」ということです。

石見銀山遺跡を訪れると、大森の街から龍源寺間歩まで歩くのですが、
(レンタルサイクルを利用することも可能です)
そこで気がつくのは、街がとても清潔に保たれている、ということです。

ゴミが落ちていないだけではなく、落ち葉なども掃き集められています。
これは人々が街を大切にしているというだけではなく、
世界遺産登録後の試行錯誤の結果でもあります。

石見銀山が世界遺産登録を目指しているとき、
地域住民の間では、登録に賛成と反対が半々だったそうです。
それが登録に向けて盛り上がっていくのですが、
いざ世界遺産登録されると、静かだった山間の街に
あまりに多くの観光客が訪れます。

人口400人弱の街に、
登録翌年の最盛期で80万人以上の観光客が訪れたわけですから、
その混乱ぶりは想像に難くありません。

石見銀山遺跡は「人が暮らす世界遺産」というのも特徴だったのですが、
その世界遺産で暮らす人々にとって、
登録による変化はネガティヴなものでしかありませんでした。

それを肌で感じていたのが、「石見銀山ガイドの会」の方々です。
「石見銀山ガイドの会」の安立聖会長によると、
最初は、地域住民から「石見銀山ガイドの会」への風当たりも強かったそうです。
「家の前で立ち止まり大きな声で話してうるさい」
「道いっぱいに広がって歩いて迷惑だ」など。

観光客が増えると、当然ゴミのポイ捨てが問題となります。
地域の人々が自主的にゴミ袋をもってゴミ拾いをしているのをみて、
ガイドの会の方々もゴミ拾いに参加するようになりました。
今では、ガイドの方はゴミ袋をもってガイドをしています。
ガイドの方々が地域の人々の暮らしを意識し、活動に参加することで、
観光に対するネガティヴなイメージも減ってきました。

また、大森の伝統的な街並は、
ただ近代的な発展からこぼれ落ちたことで残されたわけではありません。
ここでも地域の人々が地元の街並や暮らしを愛してきたことに加え、
この小さな街に本社を置く「中村ブレイス」と「群言堂」という
2つの企業の社長を中心とする街並保存の活動がありました。

世界規模で義肢・装具などを扱う医療機器メーカー「中村ブレイス」の中村俊郎社長は、
この街に恩返しがしたいと、
私財を投じて伝統的な家屋の修復や買取保護などを行うだけでなく、
世界中に散逸していた石見の銀や、絵巻・古地図などの資料を買い戻し、
石見銀山の歴史を後世に伝えるものとして公開しています。

こうした人々の積極的な努力によって、街並は守られてきたのです。
人々が手間をかけて街を守ると、当然、地元を大切に思うようになります。
日本各地の同じような山間の集落で過疎化が続く中、
この大森では県外から若い世代の移住者も複数あり、
銀山柵内にある「大森さくら保育園」では、
園児が増えていることが話題となりました。

銀山柵内を龍源寺間歩まで歩く時には
ぜひ全国でも珍しくなった木造校舎の大森小学校と
大森さくら保育園を覗いて見てください。
静かな街並とは対照的な元気な声が聞こえてきますから。

もうひとつ、街並保護に繋がる動きが
地元の小中学校で始まった「銀山学習」です。
これまで石見銀山を訪れその歴史などを学ぶ銀山学習を行っていたのは
銀山柵内にある大森小学校だけでしたが、
世界遺産登録後には市内全域の小中学校で行われるようになりました。
今は静かなこの地域が、世界を驚かすほどの繁栄をしていた歴史を学ぶことは
子ども達のアイデンティティ形成にとてもプラスだと思います。
島根県大田市観光振興課の松村和典さんの
「銀山学習を受けた最初の子どもが来年成人を迎えるんです。
彼らがどのような大人になったのかとても楽しみなんです。」
という言葉がとても印象に残りました。
子ども達の心に地域を大切に思うための、ひとつの核をつくる。
これこそ世界遺産登録がもたらす最大の利点ではないでしょうか。

石見銀山遺跡だけでなく、特に産業遺産は
「わかりにくい」遺産であることは確かです。
行って見たところで、姫路城のような秀麗な城もなければ、
屋久島のような鬱蒼として神秘な森もありません。

しかし、いや、だからこそ、
産業遺産には、知れば知るほど魅力が深まる
スルメのような味わいがあるのです。

きっと産業遺産ほど、
現在の私たちの暮らしとの結びつきを実感して驚く遺産はないでしょう。
ガイドの方々の話を聞きながら、実際に歩いて肌で感じることが
こんなにも遺産の理解に繋がるのだと再認識するのも産業遺産です。
……僕が産業遺産への知識が乏しかったというのもあるでしょうが。

ぜひ石見銀山遺跡を訪れて、地域の人々と接してみてください。
どこか無機質なイメージの産業遺産に、
血や熱を感じますから、
ほんとに。


偶然、街中でお会いしてお話を聞かせていただいた中村ブレイスの中村俊郎社長


全校生徒の11人が学ぶ木造校舎の大森小学校


若い人が増えているのはとてもよい兆しです


清潔に保たれている大森の伝統的な街並


地域の広さに対して多い墓からは、炭坑夫が多かったことと大切に葬られたことがわかる

<関連記事>
■ 研究員ブログ132 ■ 石見銀山遺跡の目的地はどこ?:石見銀山遺跡とその文化的景観②