2010年度 世界遺産アカデミー特別講座前ユネスコ事務局長顧問・服部英二氏『文明間の対話と世界遺産~人類の遺産に通底するもの~』
前ユネスコ事務局長顧問・服部英二氏による特別講演『文明間の対話と世界遺産~人類の遺産に通底するもの~』が、
2010年7月3日(土)に開催され、大好評のうちに終了いたしました。
このたび服部氏のご厚意によって、その特別講演の全容を公開させていただくことになりました。
※1 服部英二氏 ※2 ご講演のご様子
【人類の遺産は見えない糸で結ばれている】
まずは世界遺産条約の特色から話を始めます。世界遺産条約が採択されたのは1972年の国際連合教育科学
文化機関(以下:ユネスコ)総会だったことは皆さんもよくご存じでしょう。しかしながら、この世界遺産条約が、
地球環境問題に直結していることは、意外と見落とされている点かもしれません。世界遺産誕生の大きな契機
として、ユネスコによる「アブ・シンベル神殿」や「フィラエのイシス神殿」など「ヌビアの遺跡群」に含まれる文化財
への救済事業があったことはよく知られています。
ところが、実は、世界遺産条約を形作る時に、それを主導したのはユネスコの文化局ではなく、自然科学局の
「人と生命圏部局(MAB)」であったことはあまり知られていません。1972年には、ストックホルムで、
国連人間環境会議が開催されました。また、かのローマクラブが、有名な「成長の限界」という報告書を発表した
のも1972年でした。
つまり、人間の活動と自然環境の相関性が注目されていく中で採択されたのが世界遺産条約で、
その大きな特徴は、「文化財と自然環境を一体として保全していく」ことにありました。
日本が世界遺産条約を批准したのは1992年ですが、この年、リオ・デ・ジャネイロでは「環境と開発に関する
国際連合会議」、通称「地球サミット」が開催されています。そして、この席上で生物多様性条約が採択されています。
このように、世界遺産条約の歴史には、文化と自然、それぞれの遺産が相互に深くつながり合っている様子が
よく表れています。
【文化の多様性と平和の文化、そして文明間の対話】
さて、ここでユネスコの「文化の多様性」に対する活動の歴史を振り返ってみたいと思います。この流れは、
文化遺産登録の歴史にも関わってきます。
1988年、ユネスコは「文明間の対話」をキーワードに、「シルクロード・対話の道 総合調査」を発足させました。
これは、私が長年提案してきたプロジェクトで、この調査によって、「他」の存在がその独自の文明成立に
不可欠であることが実証されました。
すなわち、シルクロードという交易の道は、文明同士の出会いの道でもあったのです。
地球には多様な文化が存在します。
1995年、東京の国連大学におけるユネスコ50周年記念シンポジウムで、フランスの海洋学者
ジャック=イヴ・クストーは、「生物の種の数の多い所では生態系(エコ・システム)は強い。南極のように種の
数の少ない所では生態系は脆い。それは文化にもそのまま当てはまる」と証言しました。クストーは、
アクアラング(潜水用の呼吸装置スキューバ)の発明でも有名ですが、実際に自ら世界中の海に潜り、
その経験から得た深い知識で知られ、20世紀の地球環境学の先駆者となった人でもあります。
そのクストーが、生態系の多様性と文化・文明の多様性の結びつきに言及したのです。
ユネスコの提案で、2000年を、国連による「平和の文化国際年」とする事が決定されます。
「平和の文化」には、文化の多様性、文明間の対話が不可欠です。2001年には「文明間の対話国際年」が
国連により実施されます。これは当時のイランのハタミ大統領の提案を受け入れたものですが、ハタミ大統領は
アメリカの政治学者サミュエル・ハンチントンが提唱した「文明の衝突」に対し、ユネスコプロジェクトのキーワードを
持ち出し、「文明間の対話」の必要性を訴えたのです。
ところが、皮肉にも、まさにこの2001年、衝撃的な事件が起こります。9・11、アメリカ同時多発テロです。
この事件により、ハンチントンの「文明の衝突」に、再度注目を集まり、ブッシュ大統領(当時)は
「我々につくか、テロリストにつくか(”You are either with us or with the terrorists.”)」と世界に
二者選一を迫ります。
しかし、ユネスコは、そのわずか1カ月半後の10月の総会で「文化の多様性に関する世界宣言」を
満場一致で採択しました。「文化の多様性は人類共通の遺産である」とするこの条約は、その第1条で、
「時代、地域によって、文化のとる形態は様々である。人類全体の構成要素である様々な集団や個々の
社会のアイデンティティーは唯一無比のものであり、また多元的である。このことに、文化の多様性が
示されている。交流、革新、創造の源として、文化の多様性は、生物多様性が自然にとって必要であるのと
同様に、人類に必要なものである。この意味において、文化の多様性は人類共通の遺産であり、
現在及び将来の世代のためにその重要性が認識され、主張されねばならない」と述べています。
文化の多様性は、人類共通の遺産であること、それは世界遺産の理念につながります。
世界遺産から実感できる文化の多様性は、「文明間の対話」ともつながっているのです。
【世界遺産に見る通底する価値と文明間の対話】
世界遺産を「地球の品位」と喩えたのは、桑原武夫先生(元ユネスコ協会連盟副会長)でした。
「……千年余の風雪に堪えて今日に生き残ったモニュメントは、その偉大さによって、
地域性、民族性、さらに本来の思想まで超えたといえる。今日シャルトルの大聖堂、
ブルー・モスク、アンコール・ワットは、仏教徒にも、キリスト教徒にも、イスラム教徒にも、
ひとしく美しく見えるようになりつつある。世界的美意識の誕生であり、ここに地球市民として
の自覚の拠点が見出されつつあると言える……」
これは桑原先生の発言の一部ですが、世界遺産に対する先生の思いがよく表れています。
世界遺産の価値とは、人間の深層に潜むものにつながり、異文化を超越し、通底(Transversal)
する価値を意味します。つまり、多様な文化を認め合いつつ、世界平和の基礎としての
「文明間の対話」の契機ともなり得るものが世界遺産と言えるのです。
※3 シャルトルの大聖堂
ここからは、「通底する価値」について考えてみましょう。
人間の深層に潜むもの、それは「サクレ-聖なるもの-」への志向であり、「アニマ-いのち、魂-」への志向です。
それが「祈り」という「形」になります。人は「形」を求めます。様々な文化が創り上げる「形」は、似てくるのでしょうか、
別の形を求めるのでしょうか。人は弱い存在です。大乗仏教における仏像、儒教の仁に対する礼、キリスト教のミサ、
イスラムの礼拝、人は形ある物や、形式に寄り添いながら生きていきます。そして人が寄り添う形には、「美」が
必要となるでしょう。フランスのシャルトルのカテドラル(大聖堂)は中世の神学者トマス・アキナスの『神学大全』の
形を取ったものです。近代になって美のための美(Art pour art)が生まれますが、かつて美は真の現れでした。
真=真正なもの、とは人を人としてあらしめるもの、と考えれば、文化や宗教の違いを超越する美があるはずです。
「これは仏様ですね」
シャルトルの大聖堂を訪れ、ファサードの聖人像と対面した、宗教哲学の権威、
京都大学教授で私の指導教官でもあった西谷啓治先生が漏らした感慨でした。
これを聞き、私はハッとしました。カトリックの大聖堂で仏様を感じる、私には
口にし得なかった感慨ですが、フランスのイエズス会士ティヤール・ド・
シャルダンの「すべて高みに登るものは収斂する」という言葉をいみじくも
表しています。洋の東西を超えて、精神の深みが「美」に収斂しているのです。
※4 ファザードの聖人像(1) |
それでは、世界遺産の通底する価値とは、Convergence(精神の収斂)によってのみ
結ばれているのでしょうか。確かにイギリスの比較文明学者アーノルド・J・トインビーは
「文明の同質性は差異性よりも源的である」と言っており、私も「深みにおける出会い」が
存在する、と考えています。
しかし、もうひとつDiffusion(情報の伝達)による結びつきも存在します。
対話による情報の伝達、文明間の対話の実態調査、これこそが1988年に始まる
「シルクロード・対話の道総合調査」の目標であり、2001年のユネスコ「文化の多様性に
関する世界宣言」に結び付いていくのです。「文明は出会いによって子を孕む」、
フランスの哲学者ロジェ・ガロディの言葉です。
※5 ファザードの聖人像(2) |
私は、「文明は生き物のように移動する」と考えていますし、情報が文明を変えると確信しています。
それでは次回、連載第2回目より、伝達により結ばれた通底性、それを有名な世界遺産の中に見ていきましょう。
(※5 写真提供:服部英二氏)