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◆世界遺産クラブ通信◆ 活動レポート-3

【ウズベキスタン:シルクロードのオアシスを訪ねて】
              ~前編~ 

はじめまして、世界遺産クラブの中川です。
9月24日から10月1日、ウズベキスタンを訪問しました。その足跡の一部をこちらの紹介させていただきます。

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古くて新しい国 ウズベキスタン

シルクロードの定義やルートには諸説あるが、最も代表的なものはローマから西安。ウズベキスタンはそのほぼ中間に位置し、かつてシルクロードを旅した商人から「シルクロードのオアシス」と呼ばれ、東西貿易の中継地点として古来より栄えていた。
国土面積は日本の約1.2倍ながら大半が砂漠のため、人口は2,700万人ほど。1991年ソ連の解体に伴って独立、国としての諸制度もようやく整い、世界遺産にも4か所が登録されるなど、観光面でも注目されるようになっている(日本からは、ウズベキスタン航空が首都タシケントまで週2往復の直行便を運航)。

大都会タシケント

タシケントは、”中央アジアの首都”と言われるだけあって人口210万人超、ビルが建ち並ぶ現代的な大都会で、シルクロードの風情は感じられない。ソ連時代にできた中央アジア唯一の地下鉄はモスクワのものと似ており、とても立派。エスカレータも一寸緊張するくらいのスピードで人々を運ぶ。 ここでは、第二次大戦後ソ連によって抑留された旧日本兵など捕虜が造った「ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場」、郊外にある日本人墓地(当時の捕虜79名が眠る)、ウズベキスタン工芸博物館などを見学。博物館は展示品よりも、元ロシア公使私邸だっという建物が素晴らしく、天井の精巧な彫刻と彩色に感動した。

“中央アジアの首都”ヒヴァ イチャン・カラ

翌日は早朝タシケントから西へ700㎞のウルゲンチを経由してヒヴァへ。ここに至る国内線の機材はかなりの年代物らしく、椅子の背もたれが前後に倒れてしまうという代物も。さらに、束の間のひと休みを期待して辿り着いたヒヴァのホテルは水道工事中で、顔も洗えないまま観光に出発!という苦笑続きとなった。
さて、ヒヴァの歴史は古いが、この地方の中心となったのは17世紀以降で、町は外敵の侵入を防ぐため二重の城壁が築かれた。内側の城壁に囲まれた旧市街:内城には新旧2つの宮殿のほか、20のモスク、20のマドラサと6基のミナレットがあり、1990年、「ヒヴァのイチャン・カラ」として世界遺産に登録された。
「イチャン・カラ」はさほど広くはなく、徒歩で見て回れるが、見所すべてを駆け足で廻ったため疲れてしまい、ヒヴァで最も高い45mの「イスラーム・ホジャ・ミナレット」へ登るのは断念。それでも、未完成の大ミナレット「カルタ・ミナル」(写真)をはじめ、どの建造物も素晴らしく、中世にタイムスリップしたような気分だった。特に、「キョフナ・アルク」と呼ばれる牢獄や造幣所も備えた旧宮殿の見張り台からは、ヒヴァの街が一望でき、とても感動した。
 (以下次号)                                       中川勝博