whablog
NPO法人 世界遺産アカデミーTOP  >  オフィシャルブログ  >  ■ 研究員ブログ⑥ ■ 街の記憶 と ショパンの秋

■ 研究員ブログ⑥ ■ 街の記憶 と ショパンの秋

先日、最終便の飛行機で羽田に戻ってくると、
ひんやりとした夜風に金木犀の香りがして、
すっかり秋らしくなっていました。

無機質なマンションに住んで、
無機質な会社でエアコンが年中温度管理する部屋にいて、
現代消費社会の申し子のような食生活を送っていると、
季節の移り変わりが判らなくなってしまいますが、
地球は健気にもぐるんぐるん回っているのですね。

季節の変化と共に、時代も流れてゆきます。
東西ドイツの統一から20年、
イラン・イラク戦争開戦から30年、
もっと遡れば、
日本がポルトガルと修好通商条約を結んでから150年、
フレデリック・ショパンが生まれてから200年が、
この2010年までの間に経っているのです。

ドイツにもポルトガルにも、
イランやイラクにも世界遺産がありますが、
素晴らしい音楽を生み出したショパンは
世界遺産ではありません、もちろん。

しかし、そこに生きた人間や文化・芸術と
深く結びついているのが世界遺産です。
むしろその結びつきが文化遺産の価値の根底であるともいえます。

ショパンと関係のある世界遺産もあり、
ショパンが家族と3年を過ごした「クラシンスキ宮殿」や
ショパンの心臓が埋め込まれている「聖十字架聖堂」が、
ポーランドの『ワルシャワの歴史地区』に含まれています。
世界遺産を守る、ということは、
そこで暮らした人々や出来事など「街の記憶」を守ることでもあります。

『ワルシャワの歴史地区』は特に、
「街の記憶」を重視した世界遺産であるといえます。

ワルシャワは第二次世界大戦中、
ナチス・ドイツの報復的な攻撃によって、
街の約85%が破壊され、市民の約70%が犠牲となりました。
それは戦後に首都移転も検討されたほど、徹底的なものでした。

しかしワルシャワの人々は、
ポーランドのシンボルであるワルシャワの街を取り戻すために、
18-19世紀の絵画や建築図面、人々の記憶までも頼りにして、
かつての街並み、ショパンが暮らしていた頃の街並みを
復元させたのです。

ポーランドを離れていても故郷を想い続けたショパンが
心に描いていたであろう街並みは、
こうした人々の努力と熱意のおかげで、
今も私たちの目の前にあるのです。

厳密には「真正性」に疑問符がつく『ワルシャワの歴史地区』ですが、
街や文化財を守る、という人々の強い思いが評価され、
1980年に世界遺産登録されました。
登録基準に(vi)が含まれるのも、そのためです。

美しい旋律の内に、憂いと芯の強さを感じさせるショパンの音楽は、
『ワルシャワの歴史地区』そのもののような気がします。

秋の澄んだ高い空には、美しい旋律がよく似合います。

破壊されたワルシャワの街