■ 研究員ブログ⑯ ■ 景観を守るというコトは?
ここのところ雪が降ったり生暖かい風が吹いたり、
365歩のマーチ的なスピードではありますが、
少しずつ春に近づいているようです。
皇居の近くでは紅梅が咲いています。
最近は世界遺産とちょびっと関係するニュースをよく耳にします。
チュニジアやエジプトを始めとするイスラム社会では市民運動が盛り上がり、
ハ・ロン湾では観光船が沈没して死傷者をだし、
日本では臨済宗相国寺派の管長が追徴課税され、
鳥獣戯画の面白い新発見があるなどなど。
直接世界遺産に関係しそうなものでは、
仁和寺観音堂の解体修理でしょうか。
その中で気になったのが、
『モン・サン・ミシェルとその湾』の景観にまつわるニュースです。
モン・サン・ミシェルから約17キロ離れた場所に
風力発電のためのタービンを建設する計画があって、
それがモン・サン・ミシェルの景観を乱す、というものです。
世界遺産を「点」ではなく「面」で守るという流れの中で、
「景観」というのは重要な要素になっています。
2009年に世界遺産リストから
『ドレスデン・エルベ渓谷の文化的景観』が削除された一番の理由が、
エルベ川に架けられる予定の橋が、18世紀から19世紀の歴史的景観を損なう、
というものだったのは象徴的です。
しかし僕には「景観を守る」とは何か、
という根本的な疑問があります。
私たちが世界遺産を訪れる時、
その遺産が作られた「当時」の姿に思いを馳せます。
しかし私たちがイメージしている「当時」とは
そもそもいつを指しているのでしょうか。
例えば、東大寺や唐招提寺はかつて、色鮮やかな寺院でした。
万葉集に歌われる
「あをによし 奈良の都は 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり」
の「あをによし」は、
「あお(現在の緑色)」と「に(現在の朱色)」を指し、
寺院で柱や桟に使われていた色を表しているとも言われています。
しかし「侘・寂」こそが日本の文化と思いがちな私たちは、
色鮮やかに再現された東大寺や唐招提寺を見ると、
どうしても違和感を感じてしまいます。
現在のように色あせた姿が「当時」の「本当の」姿であると考えてしまうのです。
同じことは、遺産を取り巻く景観にも言えます。
景観というのは生きています。
時代と共に変化し、それを人々が受け入れながら
現在私たちの目の前にいるのです。
そう考えると「今」の景観を守るというのはナンセンスです。
「今」というのは常に「過去」になっていくからです。
先ほどの『ドレスデン・エルベ渓谷の文化的景観』を
18世紀から21世紀の歴史的景観、と考えることは
出来なかったのでしょうか。
和ロウソクをイメージした京都タワーが作られたとき、
京都の人々は大反対をしましたが、
今では京都の玄関口のシンボルのひとつになっています。
また『パリのセーヌ河岸』のエッフェル塔も、
ギ・ドゥ・モーパッサン達の猛反対にあいながらも、
現在ではパリの象徴として、
世界遺産の構成物件のひとつになっています。
遺産そのものに手を加えてエレヴェーターをつけたりするのは
問題ありだとは思いますが、
景観を理由に世界遺産リストから削除したりするのは、
どうなのかな、と思います。
もちろん程度の問題はありますし、
美しい景観が保たれるに越したことはないですが。
僕も世界遺産の写真を撮る時、
イメージと合わない建物とかが入らないように苦労して、
変な姿勢で写真を撮ったりしていますから。
私たちは、変化を受け入れながら景観を守る、という
柔軟さも必要なのだと思いますが、
景観や文化には人それぞれの思い入れがありますから、
「どの景観」を守ってゆくとよいのか、というのは、
以前書いた「世界遺産は誰のもの?」とも通じる、
難しい問題だと思います。