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■ 研究員ブログ41 ■ 映画で想うギマランイス

富士山の世界遺産登録で、わっと盛り上がった祝祭的な雰囲気は、
ようやく少し落ち着いてきているように感じます。

観光の観点からばかり語られるコトに
少し食傷気味だったので、ほっとしてもいます。

そんな中、ポルトガル映画
ポルトガル、ここに誕生す~ギマランイス歴史地区
を観せて頂く機会がありました。

世界遺産としてのギマランイスを描いているわけではないのですが、
世界遺産をどのように捉えるのか、またどのように描くのか、
ということを考えさせられるものでした。

2012年の欧州文化首都だったギマランイスで企画され、
その文化事業の一環として制作されたこのオムニバス映画は、
観光的に街の名所を描くことなく、
ギマランイスのもつさまざまな表情を観せてくれます。

世界遺産に登録された美しい街並や遺跡が見られることを期待して
映画館に足を運ぶと違和感を覚えるかもしれませんが、
この映画こそ、世界遺産としてのギマランイスの魅力を描いていると
僕は思うのです。

ポルトガル王国初代国王アルフォンソ1世が生まれた街として、
「ポルトガル発祥の地」とも呼ばれるギマランイスは、
ヨーロッパの端にある小さく静かな街です。

観光地としての魅力や引力であれば、
もしかしたらパリやローマには及ばないかもしれません。
しかし、ギマランイスにはギマランイスにしかない、
そこに住む人々が積み重ねてきた思いや出来事があります。

観光名所としてショーウィンドウに並ぶような
一面的な煌びやかさはありませんが、
ギマランイスを訪れたり暮らしていたりする人々が、
その時の気持ちや経験、ちょっとした出来事で感じる
さまざまな表情が必ずあるのです。

もちろん、そうした多面的な表情は、
パリやローマといった有名な世界遺産にもあります。
しかし「観光地」として世界遺産を訪れる人は、
世界遺産の「煌びやかな」側面だけに期待して、
それが感じられないとがっかりしてしまいます。

石見銀山やベルリンのモダニズム住宅などを訪れて、
「へっ、へー、ここが世界遺産なんだ……ふーん。」と
落胆したという話はよく聞くことです。

しかし、世界遺産はそういったものではありません。
この映画ははっきりと、そうした世界遺産の街の多面性を、
観る者に突きつけてきます。

例えば、ペドロ・コスタやヴィクトル・エリセは、
ギマランイスを描いてはいません。
しかし、登場人物が語る記憶、
……それは、カーネーション革命における植民地出身の黒人の記憶であったり、
リオ・ヴィゼラ紡績繊維工場で働いてきた労働者の記憶であったりするのですが、
そうした記憶や思いは個人に属していながら、普遍性をもっています。

民族の記憶とでも言うのでしょうか。
植民地出身の黒人の記憶は、確実に一本の糸として
現在のポルトガルを織り上げていますし、
工場労働者の記憶は、あの時代を生きた人であれば
少なからず同じような経験をしてきたものです。

そうした個々の記憶や思いが、
ギマランイスをつくり上げ、ポルトガルを作り上げている。
そしてそれは日本人の僕にも何かしらの個人的な記憶を想起させる。
観る人誰もが、他人の記憶から何かを感じ思い出す。
イマジネーションを刺激するその描き方が、
まさしく世界遺産としてのギマランイスを描いていると思います。

104歳のマノエル・ド・オリヴェイラ監督が
アイロニーを込めて団体ツアー客を描いた作品では、
ギマランイスの街並にツアー客以外は誰も登場しません。
そこで暮らしている人々が存在しないのです。

多くの観光客が見ている世界遺産はきっとこうなのでしょう。
世界遺産の写真を撮る時に、出来る限り人が映りこまないようにするというのも、
その顕れなのかもしれません。

世界遺産には、さまざまな人々がさまざまな日常を送っているというのに!

……こう書くと、何だか小難しい映画のような感じがしてしまいますが、
僕は好きな映画監督のアキ・カウリスマキとヴィクトル・エリセが
参加していたこともあって、とても楽しめました。
このふたりの作品は甲乙つけ難かったなぁ。
一番、監督の思いを感じたのはペドロ・コスタの作品でしたが。

彼ら4人の監督が描いたギマランイスも、
ギマランイスのもつ表情のひとつにすぎません。
ペドロ・コスタやヴィクトル・エリセなんて、
ギマランイスがそもそも登場しないし。

僕も、僕だけに見せるギマランイスの表情を見に
ギマランイスを旅してみたくなりました。
感性や想像力を研ぎ澄ませて。