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■ 研究員ブログ63 ■ 青い海は生きている……グレート・バリア・リーフ

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先日、いくつかの幸運もあり、宮古島に行くことができました。
自分だけではなかなか足を延ばさないであろう場所だったので、
とてもよい機会でした。

あの海は本当に美しいですね。
大学院生の頃に調査で一週間ほどタヒチに滞在したことがあるのですが、
たまに青く美しい海と空に囲まれるというのは
人生の中で大切なことなのではないか、なんて思ってしまいました。

自然というのは不思議です。
常に変化を続ける波は意思をもつかのように融通無碍で、
浜辺に座ってぼうっと水面を見ていても飽きることがありません。
自然は「生きている」んだなと感じるのですが、
もっとよく見てみると、
自然の美しさは「生きている」者たちの集合体なのだとわかります。

古来、人類はさまざまな自然環境による制約の中で、
社会的、経済的、文化的に影響を受けながら歴史を刻んできました。
自然の生命力に翻弄されると同時に多くの恩恵も受けてきたのです。

文化遺産と自然遺産を共にひとつの条約で守るという考え方が
世界遺産条約で初めて形になったというのは、
当時とても画期的なことでした。

それから半世紀近くが経ち、
人々の暮らしや文化・経済活動は、
その人々が住む気候風土と結びついていると俯瞰して見ることは
わりと常識レヴェルで捉えられていると思います。

一方で、特に経済分野のグローバル化が進む中で、
ローカルな気候風土や自然環境が軽視されてきているように感じます。
風土と切り離された人類の活動に合わせて
勝手な都合で自然を搾取し、勝手な都合で保護する。
生かすも殺すもこちら次第というような傲慢さというか……。

昨年の世界遺産委員会でも議論された
『グレート・バリア・リーフ』も
同じような人類の身勝手さが見えます。

水質悪化などによりグレート・バリア・リーフの珊瑚礁が
1985年以降でも半分近く減っているのに、
リーフのすぐ近くでの港湾拡張計画と海域への土砂の投棄を
オーストラリア政府が認めるなど、
自然環境の保護よりも経済活動を優先する姿が
世界遺産委員会でも問題視され、危機遺産リスト入りが審議されました。

2014年の段階では危機遺産リスト入りは見送られましたが、
現状からの改善がなければ
2015年には危機遺産リスト入りすると考えられています。

そこで先月、オーストラリア政府は初めて保護計画を発表し、
現状改善の意思を示しました。

しかし、これも背景にあるのは、
危機遺産リストに記載されると、観光産業に大きな影響が出るとの政府の懸念です。

もちろん純粋な環礁保護の意識もあると思いますが、
危機遺産リスト入りを指摘されてはじめて、
具体的な保護計画を出すあたり、どうしても疑って見てしまいます。
これまでの対応の遅さと、ここのところの対応の早さが、
結局は保護するのも経済活動の視点からではないかと思ってしまうのです。

これはグレート・バリア・リーフだけの特別な事例ではありません。
日本の辺野古なども同じです。
政治に関わることなのでここでは論じませんが、
辺野古の環礁をつぶすことが、本当に「唯一」の解決策なのかは疑問です。

美しい自然環境を破壊することは、
それを創り上げている「生きている」者たちを殺すということです。
一度、殺してしまうと元に戻すのは非常に困難です。
殺すのは一瞬ですが、
元に戻すのには気の遠くなるような長い年月が必要なのです。
もちろん、その美しい自然に影響を受けている文化や社会も含まれています。

『モン・サン・ミシェルとその湾』では、
潮の満ち引きが創り上げる、以前の自然環境と景観を取り戻すために、
2005年から約10年かけて堰を取り除き橋を完成させました。
プロジェクトはこれでひとまず終わりかもしれませんが、
ここから自然環境や生態系が元に戻るプロセスが始まります。

人類だってこの美しい自然を構成する「生きている」者のひとつです。
自然と文化、なんて分けて考えるのはナンセンスじゃないかなと、
美しい海を見ながら思いました。

自然と文化のバランス。
どこから何を見るかで違ってきますが、
両者のバランスと調和は、常に意識していきたいですね。