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◇遺産復興応援ブログ:第10回 崩壊が続く「万里の長城」のもう一つの顔「野長城」とは(後編)

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(2022-04-29更新/ WHA 秘書

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                    左:1986年冬に訪れた際の閑散とした八達嶺長城・女坂
                     右:1993年冬に訪れた際の八達嶺長城・登り口付近

   2012年夏に訪れた「居庸関」は八達嶺長城から20km程離れた位置にあり、西域へ向かう中継地として“難攻不落(なんこうふらく)の九塞(きゅうさい)”に数えられており、居庸関と繋がる長城は大勢の観光客で賑わっていた。春秋・戦国時代に構築されたのが始まりとされ、歴代の王朝が長城線上の重要拠点として軍隊を駐留させてきた。明代になって元軍の度重なる侵略を防衛するため、強固な要塞として大規模な改修が行われたが、清代になって北方民族に対する防衛拠点としての役割が薄まったことから荒廃が進んだ。中華人民共和国の誕生後、1992年以降になって明代の状態に復元され、現在に至っている。居庸関が考古学的に重要なのは「雲台(うんだい)」という元代に建築されたラマ塔遺蹟で、中央がトンネル状になっており、南側上部にはカルーダ、北側にはナーダのレリーフが彫られている。トンネル内部には四天王のレリーフ、陀羅尼経文とともに雲台建設の由来を記した造塔功徳記が刻まれており、それぞれ漢字、サンスクリット文字、ウイグル文字、チベット文字、パスパ文字、西夏(せいか)文字の6種類の文字で刻まれており、謎とされた西夏文字の解読の大きな手掛かりになったことである。

          
                     2012年夏に訪れた1990年代修復の「居庸関」

 現在、万里の長城は国の重要な歴史的文化財としても保護されているが、観光用に整備された八達嶺長城や居庸関、山海関など、一部の長城を除いてそのほとんどが明代に構築されたままの状態で放置され、風化などで既に崩落または崩壊寸前の状態にある。このため、中国政府は2006年に、崩壊しつつある長城跡を保護し修復・維持する目的で「長城保護条例」を発布した。この条例で、長城付近での工事や管理外の長城跡に登ったりする行為が全て禁止されることとなった。

12月に施行の万里の長城保護条例を発表■【2006年10月26日・Record China】

  観光用に整備されていない管理外の長城跡は、中国では「野長城」(やちょうじょう)とも呼ばれており、各地に散在する野長城のうちでも、北京市懐柔(かいじゅう)にある「箭扣(せんこう)長城」は知名度も高く、万里の長城の現存する城壁の中でも最も険しい地形に築かれた壁の一つとされている。また、密雲県古北口にある「蟠龍山(ばんりゅうざん)長城」は観光地化されているが、あえて全く補修を行わずに公開されていることで知られている。

 こうした野長城の多くが大自然の山岳地帯の危険な稜線にあって、崩落寸前の長城跡は風化が激しく近づくことも困難ながらも秘境として一部の人々の間では人気があり、「長城保護条例」を無視して登壁に挑戦する者もいて、遭難事故も起こっている。その野長城で、2012年11月に日本から訪れたツアー客が河北省(かほく・しょう)張家口市(ちょうかこう・し)懐来県(かいらい・けん)の長城跡で遭難し、日本人観光客4名のうち3名が死亡する痛ましい事故が発生し、現地でも大きく報じられたことは記憶に新しい。事故発生の場所は北京からわずか50km程離れた標高1,000m近い管理外の危険な長城跡であった。

 「中国長城学会」が2014年に行った調査によると、状態が良好に保たれているのは全体の約8%だけで、大部分は暴風雨や長城に生えた植物などによる損壊が大きな原因となっているとのこと。また、国家文物局が2015年に行った調査によれば、万里の長城が風雨による浸食や人為的な損壊などの影響を受け、明代に構築された全長約6,352kmのうち、約3割が既に消失しているとのこと。別途、中国では以前から地元住民が崩壊した長城のレンガを建築用に持ち帰ったり、盗んだ煉瓦(れんが)を骨董品(こっとうひん)や土産物として販売したりするケースが横行しており、更に近年の開発に伴う道路建設やダム工事で破壊されるケースもあり、“人災”による長城跡の破壊が後を絶たないとも言われている。

 このように天災や人災の被害による長城の崩壊が叫ばれる中、2016年9月に遼寧省(りょうねい・しょう)にある長城の一画が、修復作業の際に業者が“コンクリート”で平らに塗り固めていたことが、ネットユーザーのSNSでアップされた写真で判明し、中国国内で怒りの声が挙がっているとのニュースが世界中に流れ、我が国でも驚きの声が上がった。遼寧省綏中県の「最も美しい野長城」と呼ばれている「錐子山長城」での出来事で、修復当時の省文化庁文物保護センターの責任者は「すべてコンクリートで固めたという報道は事実ではない」と反論し、「壁面や上部を固めて補強しなければ、数年のうちに全体が崩壊する恐れもあった」と指摘した。この大自然の中に取り残された城壁が続く一画での出来事に対し、中国政府も「歴史的な容姿が著しく損なわれた」として、後に修復作業に関わった業者の責任者らを処分する方針を示したと伝えられている。大自然の中で風化が加速化する長城跡に対し、歴史的な容姿の維持を優先して自然崩壊を最小限に止める限定的な修復にしておくべきか、様々な問題を抱えつつも長城全体の崩壊を防ぐために抜本的な修復を急ぐべきか、長城跡の修復問題に関する難しい論争が続いている。

万里の長城、当局の修復で真っ平らに「爆破した方がまし」との声も■【2016年9月23日・AFPBB News】

コンクリで無残に修復された「最も美しい万里の長城」、担当責任者「たしかに見た目はあまりよくない」―中国メディア■【2016年9月28日・Record China】

 2006年12月に「長城保護条例」が施行されてから約15年が経過した現在も、「錐子山(かんすざん)長城」のような歴史的容姿が損なわれる修復の例が、中国各地に散在する野長城で発生しているとの噂が絶えない。崩壊しつつある長城を保護し修復、維持するのが保護条例の大きな目的だったはずだが、施行後に行われている修復工事の中には、未だに予算不足や専門家不在もあって、結果的に杜撰(ずさん)な修復が行われており、保護条例が有名無実化していると言える。

 そのような状況下、2019年1月26日付の朝日新聞デジタルによると、国家文物局は同年1月24日、コンクリートによる修復を「文化の破壊」と非難されたことを受け、万里の長城の新たな保護計画を発表し、「保護の名を借りた『新築』をしてはならない」と明記し、今後、監視網を整備し、自然破壊や歴史的な景観に配慮しない修復、無許可で城壁を登ったり削ったりする行為を防ぐとする一方で、異民族侵入を防ぐ拠点だった長城の歴史から、愛国や抗戦などの「長城精神」を学べるとして、教育への活用をも盛り込んだとのこと。更に、同年2月2日の中国国際放送局の報道によると、国家文物局の宋 新潮 副局長は国務院新聞弁公室で行われた万里の長城保護計画に関する発表会で、「近年、長城の保護にハイテク技術の導入を試みている。今後、24時間体制の観測と管理を実現させていく」ことを明らかにしたとのこと。2021年は、中国の考古学界にとって「中国現代考古学誕生百周年」の記念すべき節目の年であったことでもあり、改めて新たな保護計画とともに「長城保護条例」の周知徹底に期待したい。

 崩壊が続く世界文化遺産「万里の長城」のもう一つの顔でもある「野長城」を早急に保護し、修復・維持していくためには、更なる現地調査と膨大な予算が求められるが、総延長は21,196kmと言われる遠大な長城すべての実態調査は至難の業(わざ)でもある。しかし、このまま崩壊が進めば、いずれ「危機にさらされている世界遺産リスト」に掲載される可能性もあると危惧する声も囁かれており、今後の行方が注目される。

(文・写真:T.Koriyama)
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