◇遺産復興応援ブログ:第11回「『紀伊山地の霊場と参詣道』~世界遺産とともに暮らす街「新宮」の文化的景観~」
今回は『紀伊山地の霊場と参詣道』について、中でも、熊野三山のひとつ「熊野速玉大社」のある“新宮(しんぐう)”という街と“世界遺産との関わり”について書かせてください。
『紀伊山地の霊場と参詣道』は、日本の世界遺産で初めて“道”が登録されたものであり、文化遺産のカテゴリーの中でも、「文化的景観」にも日本で初めて選ばれた世界遺産です。和歌山・奈良・三重にまたがる3つの霊場(吉野・大峰、熊野三山、高野山)と参詣道で構成されています。その世界遺産のほぼ南端エリア南紀・熊野の中心都市、それが新宮です。
何を隠そう、「新宮」という街、わが母親の生まれ故郷なのであります。少年時代、毎年のように夏休みを過ごした“縁のある街”なのです。「新宮」という街は、日本書紀にもその名が登場したという歴史ある街です。吉野熊野国立公園にも指定され、四方を深い森と熊野川、そして青く広がる熊野灘(なだ)など豊かな自然に囲まれ、古くからの自然崇拝に根ざす『熊野信仰』が受け継がれた地です。文化人も数多く輩出し、佐藤 春夫や中上 健司(芥川賞作家)もこの新宮の出身です。ふたりとも、新宮を舞台に幾編もの作品を送り出しています。古くから文化的な景観に恵まれた街です。
この新宮は、かつては約4万の人口を誇りましたが、近年では、人口は2万6千人程(2022年人口推計)に減少、少し元気をなくしていました。かつて賑わいを見せていた新宮駅前の商店街も、シャッター街と化してしまい、町全体に委縮した雰囲気と衰退感すら感じてしまいそうでした。
しかし、そんな新宮の街に誇りと輝きをもたらそうとしてくれているのが世界遺産なのです。新宮の街の世界遺産には、熊野三山として有名な熊野速玉大社がありますが、それ以外にも、この街には、いくつもの世界遺産が点在しています。新宮市観光協会のホームページでは「神代と現代、神域と俗界がまるでモザイクのように織り重なる“不思議のまち新宮市”」と謳われています。
そんな新宮市の人々の暮らしと供にある世界遺産のひとつに、2016年に追加登録された「阿須賀(あすか)神社」という神社があります。小生が、少年時代、蝉(せみ)を取り、カブト虫を捕まえるためにトマトの仕掛けを置いた、あの神社と裏山。昔から新宮で暮らす人たちの暮らしの日常の中に溶け込む、まさに普通の神社です。しかし、調べてみると歴史は古く、社伝によれば紀元前423年の孝昭(こうしょう)天皇の代に創建されたのだそうです。秦の始皇帝の命を受け渡来した徐福(じょふく)にもゆかりが深く、徐福一行が上陸したのが阿須賀神社の建立地と伝えられています。かつては、手入れが行き届いたとまでは言えなかったこの神社が、世界遺産を機に、ふたたび輝きを放ち始めました。そして、今も、そこで暮らす人々の暮らしに寄り添うように存在しています。これこそが、まさに、「文化的景観」なのではないでしょうか。
先日、久しぶりに新宮を訪れました。元気のなくなっていた新宮の街が、世界遺産のある街として、もう一度、プライドと輝きを取り戻しつつあるように見えました。街には、いくつものゲストハウスができ、コロナ前には海外からの観光客も少しずつ増えてきていたようです。これから、コロナも収まってくれば、また全国各地や海外からの観光客も増え、たくさんの人々がやって来てくれることと思います。
考えてみると、世界遺産とは、街の復興を応援することのできる魔法の遺産なのかもしれません。世界遺産には「街と“人の心”を復興させる」そんな力があるように思えてならないのです。新宮だけでなく、世界遺産のある街の人々には、その大切な遺産を守り、その遺産を誇りに輝いていってほしいと思います。
皆さんも、機会があれば、ぜひこの世界遺産の街「新宮」をぜひ訪れてみてください。そして、神代と現代、神域と俗界が、まるでモザイクのように織り重なる“不思議のまち新宮”を体験してください。
村上 千明