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◇遺産復興応援ブログ:第9回「映画の中の世界遺産 ~人口減少社会が映し出すこれから~」

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(2022-01-19更新/ WHA 秘書

野首集落跡と旧野首教会堂

 コロナ禍の影響で旅行どころか外出もままならないので、自宅で古い映画のDVDを引っ張り出して視聴する機会が増えました。ある日、日本映画『火宅の人』(東映1986年公開/原作:檀 一雄、監督:深作 欣二、主演:緒形 拳)を久しぶりに見直しました。著名な作品なので内容には触れませんがストーリー展開の中で世界遺産に関係する場面がありました。主人公の男性作家が知り合いの東京のホステスとともに彼女の故郷を訪れます。その場所が2018年に世界遺産登録された『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』のひとつ長崎県五島列島野崎島(北松浦郡小値賀町)でした。
 「野崎島の集落跡」(野首集落跡)は12件ある構成資産のひとつです。もともとは神道の霊地であった沖ノ神嶋神社(おきのこうじま・じんじゃ)の神官と氏子しか人が住んでいなかった野崎島に、大胆にも潜伏キリシタンの一部が移り住みました。その後、神社の氏子として信仰をカモフラージュしながら、ひそかに共同体を維持しました。「潜伏キリシタンが信仰の共同体を維持するに当たり、どのような場所を移住先として選んだのか※1」を示す拠りどころとして「旧野首教会」を包括します。
 気になったのは映画に映された野崎島の光景です。主人公の作家がフェリーの甲板から初めての島を見ながら「なんだか寂しそうな島だね」とつぶやくとホステスは「おっかさんの手紙にも(中略)年々ひともすくのうなるって」と書いてあったと言い、さらに船から見える野首教会を指さしながら「あの教会もね、いまはもう神父さんがいなくなっちゃったんだって」と作家に告げます。小さな船で漁港に着くと魚の加工をしたり手持ち無沙汰にしている島の人々が、突然あらわれた都会の美服をまとった男女二人に好奇の目を注ぎます。教会の中は荒れ放題で人の気配はありません。
 映画の公開は1986年ですから今から35年以上前のシーンになります。作家の言う「寂しい島」ながら当時はまだ人が住み、農業や漁業中心の生活があったと思われます。

 潜伏キリシタン関連遺産が世界遺産登録された2018年の産経新聞に野崎島の記事が掲載されました。『辺(へん)鄙(ぴ)な場所に遺産があるのは、禁教期の潜伏キリシタンが、監視の目の届きにくい山間や陸路で近づくのが困難な海辺の狭い土地に集落を形成したため(中略)長崎港沖約100キロの五島列島は、本土から直接渡る交通手段のない二次離島が多く、高度成長期以降に人口流出が進んだ。構成資産「野崎島の集落跡」(長崎県小値賀町)の島は無人化し、繁殖したイノシシが集落跡の石積みを崩すなど遺産に影響が生じている。(中略)長崎県世界遺産登録推進課は「教会堂は生きた信仰の場。公開を断られないよう、信仰と観光の調和が大切だ」とする。※2』
 日本の世界遺産の中で、もともとそこに居住する(地域)住民の継続した生活がある住宅地が世界遺産になるのは2018年当時『白川郷・五箇山の合掌造り集落』以来でした。ドイツの建築家ブルーノ・タウトが称賛した「合掌造り」集落は家屋そのものが登録されていますが「潜伏キリシタン集落」は文化的環境と呼ばれる、開墾された土地や造成された宅地、田畑などの日常生活から生まれる文化(を育てる場所や空間)という「村落景観」が主体となる初の事例です。
 本州のほぼ中央から、やや西寄りに位置し観光客が陸路で、自家用車に乗って訪れることができる『白川郷・五箇山の合掌造り集落』では住民生活を無視した無断駐車をはじめとする交通被害、観光客目当ての旅館、土産物屋、喫茶店などが増え景観保護との関連でも問題視されていることについては多くの方がご存じかと思います。
 しかし地理的条件が白川郷・五箇山とは対極に位置すると思われる野崎島では高度経済成長期以降、現金収入を得るために多くの人々が出稼ぎのため離島し「平成13年(筆者注:西暦2001年)当時最後の住民であり島を守り続けてきた沖ノ神嶋神社宮司の離村により、人の営みの灯が消えました。現在は、簡易宿泊施設・休憩施設「野崎島自然学塾村」の管理者以外、無人の島になっています。※3」というのが現在の状況です。

     
              旧野首教会                       内部の様子(許可を得て撮影)

 日本の人口減少を食い止めるための手立てというような大き過ぎる(国家的な)テーマは筆者の手には負えません。それと同時に人口減少による世界遺産保全・保護の担い手確保という課題に対しても妙案があるわけではありませんが、やはり以下に尽きるのではないでしょうか。

 奈良教育大学の田渕 五十生(たぶち・いそお)氏、奈良市教育委員会の中澤 静男(なかざわ・しずお)氏の論文『ESDを視野に入れた世界遺産教育-ユネスコの提起する教育をどう受けとめるか-』では漠然とした「世界遺産教育(World Heritage Education)」を、より具体的に進めるための提言が行われています。(以下、抜粋のうえ筆者が加筆します。ESD=Education for Sustainable Development「持続可能な開発のための教育」はユネスコが推進しています)
① 「世界遺産についての教育」世界遺産についての知識やその価値に気づかせる教育
 (筆者注:現在は無人島である野崎島になぜ教会があるのか? 世界遺産としてどのような価値があるのか?
 などを学ぶ)
②「世界遺産のための教育」世界遺産に接する態度に焦点を合わせて行う
 (筆者注:①の野崎島の歴史や自然環境を理解したうえで、どのように振舞うのかというモラルや倫理の
 教育。
③「世界遺産を通しての教育」国際理解、国際協力の重要性に気づかせ、平和や人権の意義を確認させる
 (筆者注:野崎島の潜伏キリシタンを含む当時の弾圧について、なぜ信仰(キリスト教)を捨てなかった
 のか? またそれに至る当時の国際関係や現在とは異なる人権意識、信教の自由“宗教の自由”などを学ぶ)

 結局「量(人口)でまかなうことができないのであれば、質(教育を基礎とする世界遺産保護の意識醸成)でおぎなう」それしか適当な方法がないのかもしれません。この場合の質とは個々人が世界遺産保全・保護に対して向き合う際の態度、あるいは姿勢とでも言えばよいでしょうか。そしてこの「向き合う態度」は教育を通じて以外での方法では、簡単には身につくことがないように思われます。

 東映映画『火宅の人』後半最大のドラマツルギーと思われる一連のシーンの始まりで、桂一雄(作家・檀 一雄を演じる緒形 拳)が野崎島から帰路につく漁港で、見送りに来た葉子(ホステスを演じる松坂 慶子)が突然、母親を振り切って桂の乗る漁船に飛び乗ります。桂の「それからであった、私と葉子の不思議な二人旅が始まったのは……」との独白のあと二人で各地を巡る有名な放浪シーンがありました。
 ところが実はこれは深作 欣二 監督の完全な創作で、檀 一雄の原作『火宅の人』では、島の女は出てくるものの、彼女と放浪などはしていなかった……ということを今回筆者は初めて知って絶句しました。
 ネタバレかもしれませんが悪しからず。

(了)

NPO法人 世界遺産アカデミー 元事務局長 猪俣 浩太郎

【注釈】
 ※1:長崎県公式HP「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」
 ※2:2018/6/30産経新聞「信仰と観光の調和が不可欠 人口減…保護の担い手確保も課題」より筆者抜粋
 ※3:おぢかアイランドツーリズムHP「野崎島のこと」