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●マイスターのささやき NO.3 森羅万象・世界遺産 (1)スロベニア

森羅万象・世界遺産 中欧の旅 スロベニアとクロアチア  

 マイスターの三芳けんじと申します。5月にスロベニアとクロアチアを旅しましたので、

4回シリーズで御紹介させていただきます。

 

 ●(1)スロベニア● 

 

  世界は狭くなったと言われ、ドイツのフランクフルトまでは12時間足らずで行ける。クロアチアも其処から飛行機で約1時間半程度、日本を朝出発すれば、夜はホテルのベットで足を伸ばしてゆっくり眠れる筈であった。然し、今回の旅行は、クロアチアの首都・ザグレブまで、なんと約18時間、おまけに最初の宿泊地がスロベニアのブレッドということで、バスで更に4時間、着いたのは現地時間で翌日の午前3時、時差6時間として延べ22時間、ほぼ丸1日の旅程であった。これは2度の乗り継ぎと、それによる待ち時間によるもので、交通事情とはいえ、とてつもなく遠い国となった。しかもこの日は、午前4時半にやっと床に入ったと思ったら、6時半にモーニングコール、8時半にはバスで出発と正に強行軍、観光も楽ではない。因みに、平日にはザグレブまでの直行便があり、12時間程度で行けるらしい。今回は5月のゴールデンウイークに夫婦でツアーに参加したのだが、次の旅行はどこを訪ねようと、飛行機は直行便か、せめて乗り継ぎは一度までに抑えたいものである。

 クロアチアとスロベニアは、ともに1929年にユーゴスラビア王国、1945年からの共和制を経て、1963年以後は他の4カ国とともに旧ユーゴスラビア連邦を構成し、独自の社会主義体制下にあった。その後東欧革命がおこり、1991年6月にスロベニア、クロアチア両国が連邦からの独立を宣言し、所謂ユーゴスラビア紛争が始まった。スロベニアは十日間戦争の後にいち早く独立したが、クロアチア紛争は4年におよび、ボスニア・ヘルツゴビナ紛争とともに1995年のデイトン合意によって凍結された。このためクロアチアの多くの都市は壊滅状態となったが、戦後の市民の努力で、町は嘗ての輝きを取り戻しているという。この両国はバルカン半島にあって、アドリア海を挟んでイタリアと対峙し、古代ギリシャから古代ローマの遺跡、15-16世紀の地中海貿易の繁栄、20世紀末の内戦後の復興と活力、何れも興味津々、さらに素晴しい自然にも期待が出来た。

 

 

 

 

ブレッド湖 初めに訪れたのは、スロベニア北西部にあるブレッド湖で、オーストリアとイタリアの国境近くにあり、晴れていれば雪を被ったアルプスの山々に囲まれた素晴らしい景色が見られるという。この日はあいにくの雨であったが、小雨に煙る朝の湖面はあくまでも静かで、白く浮かぶ数羽の白鳥も昔から其処にいたかのように全く動かず、一枚の絵を見ている様であった。時に発する白鳥の声も周囲に溶け込み、何事も無かったように再び静寂が戻る。湖畔にはかつての指導者・チトー大統領の別荘が残されていて、この国の歴史を偲ばせる。

 ブレッド湖の中の小島にある聖マリア教会は、周囲に調和し、この絵に欠かせないものになっていた。この教会へは湖岸にある手漕ぎボートに乗って渡る。船は15-16人乗りで、キリスト顔の船頭がバランスを気にしながらゆっくりと漕ぐ。雨で沈黙した湖面に櫓の音が小さく響き、それだけで敬虔な気持ちになってゆく。島に着くと、教会へは98段の石段を登るのだが、傾斜はかなりきつい。私達夫婦は脇にある小さな坂道を廻るようにしてゆっくり登った。 

途中、一羽の白鳥が道端の巣で卵を抱いていた。私たちを警戒するでもなく、全く動かず、何もかも自然で、此処でも2枚目の絵を見ることが出来た。島には、紀元前7世紀の初め頃から人が住み始め、紀元8-9世紀に最初の教会が出来た。その後12世紀には石造りで3廊式のロマネスク様式の教会となり、15世紀にはゴシックと鐘楼、16世紀以後はバロックに修復されている。主祭壇には、木彫りで金メッキされたキリストを抱いた聖母マリア像がある。祭壇の前には鐘を鳴らすための太いロープが下がっており、言い伝えられている幸運を求めて、礼拝者の多くが紐を引き、鐘を鳴らしていた。

 ブレッド湖の景色にもう一つ欠かせないものは、湖畔の高台に建つブレッド城である。小さな石門を入ると石畳を登る。途中広くなっていて,兵舎や王宮があり、今は趣のあるレストランや土産物店となっている。石段の一部には、こじんまりしたワイナリーもあり、修道士がいて年代物のワインを紹介していた。
周囲は城壁で囲まれ、全景を見渡すことができる。庭園から見るブレッド湖の景色は雄大で、美しく、もし私が画家だったら、その題材に困ることは無かっただろう。

 ブレッド湖から西南に約100km、ポストイナには巨大な鍾乳洞がある。スロベニアは南部を中心に、広く石灰岩層に覆われており、近くには世界遺産になっているシュコツィアンの洞窟群も見られる。南のクロアチア国境沿いのクラス地方は、地質学で いうカルスト地形の名の由来ともなっており、他に大小6000近くの鍾乳洞があるといわれている。

 ポストイナ鍾乳洞は世界で3番目の大きさで、全長24kmで四方に伸びている、洞内は、観光や探索のためにトロッコ電車が走っていて片道3.5kmもある。それぞれ6-7両のトロッコが連結され、一度に60-70人の観光客を運んでいる。中は寒く、セーターを着て、その上に、雨具をかねた防寒具を頭まですっぽり被る。走行中、頭がぶつかりそうになり、おもわず首を引っ込めたかと思うと、いきなり視界が開け、ライトアップされた巨大な石筍、鍾乳石が現れ、歓声と共にインディー・ジョーンズの世界に入り込む。これらのモンスターは熊に似ていたり、ラクダに似ていたり、はたまたマリア様に似ていたりで、感じる人様々に夢が広がってゆく。

 洞窟内とは思えぬ巨大な空間でトロッコを降りる。此処から約1.5kmは歩いての散策である。洞窟内は世界各地から来た観光客で大混雑、初めは人の流れのままに歩く。説明は5ヶ国語で行われていて、夫々のガイドを中心にしてグループが出来てゆく。日本語の説明が無いため、私達は英語ガイドのグループに加わった。石灰岩の凹凸のある散策路、ある時は人一人がやっと通れる細い道、下は地軸に及び、眼がくらむ。地中から突き出した白く輝く巨大な石筍、我々を超えて高く誇る。石筍は1cm伸びるのに300年と説明され、まさに気が遠くなる思いである。天井はあくまでも高く、ゴシック様式の巨大なリブ・フォールトに支えられているかの如く、大小様々、数え切れないほどの鍾乳石が怪しく光り、我々を圧倒する。途中、道が幾分広くなった所に、実物大のホライモリのレプリカが展示されていた。1m以上の大きな両生類で、この洞窟内で住んでいたためか、盲目で、色や形から、類人魚とも呼ばれている。

その先は巨大な広場になっている。10m以上の恐竜の化石が組み立てられ、派手な照明に浮かび上がっていて、多くの観光客が記念写真を撮っていた。ちなみに洞窟内は撮影禁止だが、ここだけは許されている。この巨大空間は一万人を収容できるコンサートホールとしても使用され、年間15回のコンサートが開催されているという。此処は散策路の終点になっていて、此処から再びトロッコに乗り、出口に向かった。この間約1時間半の探索であった。洞窟の外は雨が上がり曇っていたが、やけにまぶしい。太古の世界からいきなり現実へ、目だけでなく、気持ちも戸惑うが、心地よさだけが残った。その後はバスで約200km南下、国境を超えて、クロアチアの景勝地・プリトヴィツェに着いた時は、午後8時を過ぎていた。

 (2)へつづく