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●マイスターのささやきNO.6 森羅万象・世界遺産 中欧の旅 スロベニアとクロアチア

 ●マイスターのささやきNO.6  森羅万象・世界遺産(4)  中欧の旅 スロベニアとクロアチア

 マイスターの三芳けんじと申します。5月にスロベニアとクロアチアを旅しましたので、                         最終回は、中欧の旅 スロベニアとクロアチアを御紹介させていただきます。

 クロアチアの南部は縦に長く、アドリア海に面している。その南半分はダルマチア地方で、その中心部のスプリト地域には2つの世界遺産がある。ドゥロヴニクから北へ約200kmにある「スプリトのディオクレティアヌスの宮殿と歴史的建造物」、それから30kmにある「トロギールの歴史地区」である。

 ディオクレティアヌスは284-305年に在位した古代ローマの皇帝で、広大なローマ帝国を二人の正帝と二人の副帝による四分割統治をおこなった。此の後、コンスタンティヌスによってコンスタンティノーブルに遷都され、ローマ帝国は東西ローマに分かれてゆく。ディオクレティアヌスは、歴代のローマ皇帝の中で唯一自発的に帝位を譲ったことでも知られていて、その退位後の余生を送るために、このスプリトに宮殿が造られた。宮殿はディオクレティアヌスの没後、一時荒廃したが、7世紀ごろから人が住み着き、その後、街が出来、教会が出来、歴史的建造物になった今でも多くの人たちが暮らしている。

 宮殿は一辺200m程の四角形で、海岸に面した南側には、周りを囲んでいた当時の防壁の一部が今も残されている。4階建ての石造りで、一階部分はそのまま店舗として利用されている。街はこの宮殿を中心にして広がり、現在、宮殿前の海岸沿いは観光客で賑わい、大型のフェリーや多数のヨットが係留されている。このローマ遺跡は、古代ローマと現代が自然に融合していて、違和感は全く感じられない。南門を入ると、地下ホールになっていて、土産物店があり、それを過ぎ、階段を登ると広場になっている。列柱広場と呼ばれ、右手にはアーチで結ばれたコリント式列柱があり、正面には聖ドムニウス大聖堂とロマネスク大鐘楼がある。大聖堂はディオクレティアヌスの霊廟を改築したものだが、当時キリスト教を弾圧したディオクレティアヌスにとっては、針の筵とは言えないが、何となく居心地は良くないのかもしれない。

 宮殿内は、多くは中世のものだが、古代ローマ時代に由来する石造りの古い建物が並ぶ。一部は崩れて、一部はこの度の紛争で破壊され、輪郭だけを遺しているものもある。入り組んだ石畳の細い路地を行くと、また広い場所に出る。右手にある城壁の窓は当時のもので、鉄の格子から外の美しい町並みが見える。左にはローマ時代の兵舎で、古い石造りの三角屋根が連なっている。振り返ると12世紀の鐘楼が背景にあり、我々に迫っている。

 まさにこの場所は古代ローマと中世の歴史の中にタイムスリップ。然し、その横の古そうな石造りの建物には洗濯物がたなびいていて、此処にも人が住んでいる。再び路地に入ると石造りの建物が並び、由緒ありげな間口の小さな店や、小さなレストランやコーヒー店、驚いたことに小さなホテルまであり、現在良く見る欧州の町並みと変わらない。塁壁に囲まれた宮殿には4つの門があり、私たちは南の真鍮の門から入り、東の銀の門を通り、西の鉄の門から出たが、東門にはしっかりした石組みが残されていた。当時の建築技術に感銘を受けたが、アドリア海沿岸最大のローマ遺跡も先のクロアチア紛争で被害を受け、まだ完全に修復されていない。我々はこの貴重な遺産を是非守らなければならない。

 古代ローマの遺産であるディオクレティアヌス宮殿の北30kmには、古代ギリシャに由来する古都トロギールがある。紀元前4世紀に古代ギリシャの植民地として建設され、その後の古代ローマ、中世と続く歴史が見られる。中でも、橋で結ばれている小島には各時代の遺産が数多く遺されている。此の島はもともと半島の一部であったが、敵から守るため、中世に人工的に切り離されたものである。遺産の中心は13-15世紀に建てられたという聖ロヴロ大聖堂で、正面を飾るロマネスクの扉口と天蓋付きの祭壇が有名である。大聖堂と市庁舎に囲まれた広場には野外のレストランもあり、地元の人に混じって観光客も歴史に囲まれて寛いでいた。

 此処を出て小さな島を歩くと、50m位の間に碁盤目状の路地があり、シーフードの店や土産物店が並んでいた。海岸には要塞と思われるカメルレンゴ塔があり、その隣はサッカー場になっていた。島は30分も歩けば一周できるが、ここでの滞在時間は1時間ほどであったため、個々の遺産を鑑賞することは難しい。島の周りの海岸はバカンス・モード、多くのヨットの係留が目立った。此処は東欧と言うより全くの西欧のリゾート地と言った感じである。今年、ドイツのドレスデン・エルベ渓谷が、新しい橋の建設により景観が損ねるといって世界遺産から抹消されることが決まったが、此処は、小さな島だけに、このような古代と現代の共存は、行過ぎると問題になるかも知れない。ふと、そんな気もした。

旅の最後はクロアチアの首都、ザグレブである。此処は比較的小さな町で、16世紀の遺産が並ぶゴルニ・グラド(アッパータウン)と19世紀末から20世紀の建物があるドニィ・グラド(ローワータウン)に分かれている。現在の経済、商業の中心はローワータウンだが、アッパータウンを含め、徒歩で散策、見学が出来る。アッパータウンは2つに分かれ、東側は宗教施設が多いカプトル地区である。中でもシンボル的な建物は2つの尖塔を持った大聖堂で、11世紀に建造され、19世紀に今の形になったと言われるが、正面左の塔は今も改修が行われている。

 

西のグラデツ地区へは細い石畳の道を行くのだが、途中石の門を通る。この市門は小さな礼拝堂になっていて、聖母の絵があり、多くの人がキャンドルを捧げ、祈っていた。其処を過ぎ石畳をあがると、聖マルコ教会がある。屋根にはクロアチアとザグレブを示す赤と白と青のカラフルな紋章があり、市民に最も親しまれている教会だそうである。散策の初めは曇っていたが、この頃から雨が一段と強くなり、滑りそうな石畳の道に注意しながらローワータウンへの階段を下りる。其処は中央広場で、経済、交通の中心になっていて、19世紀から現代までの建物が並んでいる。広場にはクロアチア総督、イェラチチの騎馬像が立っていて、イェラチチ総督広場とよばれている。この街は比較的新しく、古代ギリシャや古代ローマの遺跡は無いが、中世と近代、それに現代がうまく調和して、緑が多く、落ち着いた町になっていた。今回は激しい雨に加え、見学時間が少なかったため、この素晴らしい街を充分見ることが出来なかったが、折を見てじっくり此の街の歴史に浸ってみたいと思っている。

 中欧の比較的小さな国、スロベニアとクロアチアは世界の歴史に登場することは少なく、私も最近のクロアチア紛争で、初めてその存在を認識した程度であった。それだけに今回の旅行は衝撃的であった。自然の美しさはもとより、その文化の多様さ、古代ギリシャ、古代ローマ、キリスト教への関わりなど、どれ一つをとっても欧州の歴史に欠かせないものである。両国は地理的にも東西キリスト教の境界にあり、欧州の三大民族であるスラヴ系、ラテン系、ゲルマン系の接点にもなっている(クロアチア政府観光局、クロアチアの文化遺産より引用)と言われ、その多様な文化は他の欧州各国と比べ遜色なく、存在感はより大きいと思われた。こんな意味からも、この両国は東欧にあると言うより、中欧にある国としたほうがより相応しいと思われた。これらの遺産は人類共通の宝物として、次の世代に引き継ぎたいものである。

最後までお読みいただき有難うございました。終