● マイスターのささやき:GW関西世界遺産紀行 ~マイスターが限界にチャレンジ・7日でいくつ回れるか!?~その⑤
世界遺産検定マイスター 本田陽子
○ いよいよ最終回です
GW京都、奈良の旅も最終回を迎えました。
これを書いている時点ですでに夏真っ盛りだというのに、いまだにGWの話を引きずっててすんません。
つい先日、わたしは韓国へ世界遺産めぐりの旅にまた出たのですが、すでにGWの出来事が上書きされつつあります・・・。
韓国の話はおいておいて、そう、7日間のこの旅は、高野山、京都を経て奈良で締めくくります。
奈良では2日間で、「古都奈良の文化財」8か所、「法隆寺地域の仏教建造物※」2か所を回りたいわけです。
(※正確には「法隆寺に属する47棟の建造物と法起寺に属する1棟の建造物を合わせた48棟の建造物群」ですが、ひとまず2つのお寺からなるので2か所とします)。
効率よいルートを考えるために、ざっくりエリア分けしてみましょう。
「古都奈良」のほうは2つのエリアにわかれます。奈良公園界隈と、市街地からみて西側の西ノ京エリアです。
前者を第1エリア、後者を第2エリア、そして法隆寺界隈の斑鳩を第3エリアとして、1日目に第1を、2日目に
第2、第3をまとめて回ることにしました。(これは便宜上の分け方です。もちろん現地で通用しないので念のため)
○ 奈良の仏像にひとめぼれ
まず奈良1日目、第1エリア。
奈良公園は世界遺産が比較的コンパクトにまとまっていて、割と効率よく回れます。
それでも周辺の施設を含めて660ヘクタール(東西約4km、南北約2kmってなんやねん)という広大な敷地の中に点在しており、徒歩で回ってるとエライことになります。そこで今回は自転車が大活躍しました。
京都を早朝に発って奈良に到着したあと宿に行き、そこで自転車を借りて休むことなくすぐスタート!
まずは奈良公園の入口に位置する興福寺を目指します。
・・・なんか、公園内の人が多い気がする。
いや、気がするんじゃなくて、たしかに多い。多すぎて、チャリでまっすぐ進めないではないか。
まさかの想定外で、奈良中心地は京都以上の人出であったのでした。
そして人の多さもさることながら、あいかわらず鹿もたくさんいます。(ちなみに公園の鹿は「神の使い」ですよ)
軽い肩慣らしに、鹿とコミュニケーションを取っておこうと思い鹿せんべいを与えてみました。
たくさんの人がせんべいを片手にうろうろしており、満腹であろう鹿はわたしのせんべいをボトボトと落していました・・・。
興福寺は2年前に全国にブームを巻き起こした「阿修羅像」が目当てではあるのですが、
国宝館にはいろんなお宝仏像が陳列されています。
「乾漆八部衆立像(かんしつはちぶしゅうりゅうぞう、乾漆は製法のこと)」という、阿修羅像含む異教の八つの神様が立ち並ぶ様はインパクト大です。
その中に、泣きそうな顔をした、ぷっくり顔の少年のような仏像が・・・・。うう、なぜなんだ、目が離せない。
沙羯羅(さから)像、といいます。
阿修羅の悲しみを含んだ憂い顔もさることながら、この「さから像」に完全にひきつけられてしまいました。
館内は撮影禁止につき、せめてイメージだけでもみなさんにお伝えしたい。
ということでこんな感じです↓
・・・・・・・・・。なにか?
こんなに絵心がなくてもマイスターになれるんですよ!!それがなにか?
宇治平等院の「雲中供養菩薩」の浮遊感も素敵でしたが(③を読んでね!)、「さから像」は今回の旅で
たっくさん見た仏像の中でナンバーワンです。如来様とか菩薩様のような、ありがたみを感じる信仰の対象となるような
仏像とは違う系統だとは思うんですが、まだ仏像を見る目が肥えていないせいか、頭に蛇が巻きついてるぷっくり顔、というシュールさにやられてしまったのでした。(最終回だからわたしが暴挙に出たと思った人、正解です)
国宝館を昼前に出ると、入場制限で長い列ができていました。
行楽シーズンに行く方は、なるべく早い時間に行くことをお勧めします。
その後わたしは東大寺→春日山原始林→春日大社、と奈良公園内を時計回りで軽快に進みました。
・・・いえ、奈良公園の奥地はえらく起伏が激しく、ぜえぜえいいながらチャリをこぎました。
春日山原始林には遊歩道がありますよ。ここの森林のパワーは相当強いと見ました。
春日大社は、有料の本殿特別拝観にぜひ行きましょう。宮司さんの詳しい解説付きで、本殿を間近で見ることができます。
そして世界遺産仲間が勧めてくれた新薬師寺に寄り道。(ここは世界遺産ではない)
その後友人から「『新』ってどういうことですか」と聞かれたので「『あらたかな』ってことらしいよ。」と答えたところ
「新しいと何が違うんですか」と言われました。・・・すいません、よくわかりません。
ここのひなびた感じもとてもよいです。
境内は「は?」ってくらいのそっけなさですが、ぱっちりお目目の薬師如来の包容力がじわじわとしみてきます。
そうこうしてるうちにもう4時を過ぎているではないですか。なんとか4時半、今日の最終地点である元興寺に、
閉館30分前に駆け込みました!!ここには日本最古の瓦がいまだに使われています。
色の濃い瓦が飛鳥時代、白が奈良時代、灰色が現代のものらしいです。よく残ったなあ。。
脱線しますが、わたしは「最○の」とか「一番の」とかいうフレーズに非常に弱いんです。
よって「ユーラシア大陸最西端」のポルトガル・ロカ岬にも行ったし
(「深夜特急」を読んだ世代なら当然目指すであろう)、
「世界最南端の都市」アルゼンチンのウシュアイアにもいったわけです。
(さらに南に「最南端の村」ってのがあるがおいておく)
えっと、話を戻します、世界遺産です。
1日目はほぼ限界状態で第1エリアを走破したわけですが、2日目は2つのエリアに分かれているので、さらなる頑張りが必要な気がします。さらにお昼から、友人が合流することになっていました。彼女は世界遺産仲間ではありません。普通のツーリストです。彼女に天平文化のレクチャーをしたところ、「それって『てんぺい』って読むんじゃないんですか。」と言われましたが、それが普通の反応でしょうか・・・。
○ 斑鳩・西ノ京をチャリで爆走
そして奈良2日目。わたしは友人と合流する前に、第3エリアである斑鳩を周ってしまうことにしました。
朝一に電車で法隆寺駅に向かい、駅前でチャリを借り、3時間で戻ってきますから!とレンタサイクル屋に言い残して田舎道を爆走したのでした。
ここは、ぜひとものんびりと自転車でまわることを勧めます。奈良市街地とは違う、のほほんとした空気が心地よいのです。言ってることとやってることが違いますが・・・。
法隆寺の、歴史を重ねた情報量に圧倒され、田園風景の中にぽつんとたたずむ法起寺の日本最古の三重塔に
癒され、きっかり3時間後にレンタサイクル屋に戻りました。
法起寺の三重塔は高さ24メートル。見上げるような威圧感はなく、バランスも美しい。よく残ったなあ。。
それから即行で奈良駅に戻り、昼には宿で友人と合流したのでした。
そしてまたもや宿でチャリを借り、第2エリアに位置する薬師寺を目指しました。
薬師寺は、かつて修学旅行で行った人なら面白いお坊さんの説法に笑わされた人も多いんじゃないかと思いますが、
いまだそのトークが受け継がれていることに感動しました。
修学旅行生の笑いの共通体験を作ってくれたのは、高田好胤さんという管主です。自分も聞いたかも、って人は調べてみてください。トークの力で薬師寺を再建したスゴイ人です。
そして、すぐ近くにある鑑真さんのお寺である唐招提寺を詣で、ついに本日の、そしてこの旅の最後の世界遺産である
平城京跡へ向かいました!!
○ せんとくんに興奮!
事前のリサーチにより、GW中は平城京跡で「平城京天平祭」というイベントが開催され、せんとくんが会場にやってくることを掴んでいました。これはなんとしてでも生せんとくんを見ておかないと。
唐招提寺からチャリでひた走り、ようやく平城京跡の外壁までたどり着き、やっとこさ入口をみつけました。
跡地の中は広い、無意味に広すぎる。しかしこれを世界遺産と称していいのか・・・。単なる空き地とは違うのか。
いままでずっと中身の濃い寺社ばっかり見てきたので、ほとんど何もないだだっぴろい空間にどうにもなじめない。
(申し訳程度に朱雀門や大極殿は再現されているが・・・、う~~~ん)
しかも敷地内を近鉄線が通っている。景観を重要視する世界遺産的に、これはありなのか。
・・・唖然としつつも、お目当てのせんとくんを探してみる。
スタッフいわく、「いや~~~もうギリギリでしょうね」。てか実は閉園時間をまわっているらしい。ゆるい。
広すぎる敷地内で若干途方にくれていたそのとき、前方に茶色い物体がちらちら・・・
いたああ~~~~~~~~~!!!!
なぜせんとくんごときにこんなに興奮するのかわかりませんが、ともかくせんとくんめがけて突進します。
周囲には何組かの親子連れがせんとくんと微妙な距離を保って遠巻きに眺めていましたが、
我々がさっそく2ショットをものにすると、ほかの家族もだあああ~~~~っとせんとくんに突進していきました。
あるちびっこがせんとくんの隣でポーズをとって、お母さんに撮ってもらおうとしていましたが、
なんとせんとくんはちびっこを置いて走り去ってしまいました。せんとくんは閉園時間を迎え撤収モードだったのでしょう。
が、いかんせん会場が無駄に広いし、誘導するスタッフもいないという身もフタもない状況下で、せんとくんは微笑みをくずさず、ひらひら~~~~と逃走していくのでした。
なんとかせんとくんと写真をとろうとする親子連れとの追いかけっこのすえ、せんとくんはどこかへ消えていったのでした。
追いかけられつつもおちゃらけてるように見えるせんとくん・・・。
こうしてわたしの世界遺産めぐりの旅は終わりました。
逃走するせんとくんで締めたという、しまりのない終わり方ではありました。
○ 奈良を支えるあのアイドル
その夜、充実感に浸る、というより自転車をこぎすぎてぐったり疲れ切った我々は、睡魔と闘いながらもなんとか夜の「ならまち」に繰り出しました。「ならまち」は元興寺の旧境内を中心とした地域であり、おしゃれなショップやレストランが住宅街の中に点在しています。オーガニックな雰囲気を放つカレー屋を見つけて入ってみたら、どういうわけかあるアイドルの切りぬきがたくさん置いてありました。奈良出身で、日ごろから地元愛を公言している、アイドルユニットの片割れの彼。
なんとなく手にとってみたところ、オーナーさんから完全にファンの一員だと思われたらしいです。
要は、このレストランにそのアイドルくんがロケにきたことにより、ファンの間では聖地となっているようでした。
「そこ、○○くんが座った席。これ、○○くんがはいたスリッパ、写真とってもいいわよ」と言われ、
なんの抵抗もなくその席に移動してカレーを食べ、スリッパをはいて写真を撮ってもらいました。(なにか?)
その後、オーナーさんから、彼がいかにすばらしい人格者であるかというお話を聞きました。
「で、あなたたちも○○くんが好きだからうちに来たんでしょ?」
「いや、たまたまです」
「ええええ~~~~~、そんな人、はじめてよ!!!」
と変な驚き方をされたのですが、ともかく、彼の地元、すなわちお膝元で彼の悪口は言ってはいけないらしいのはわかりました。
宿に帰って宿のオーナーさんにその話をしたところ、「実はうちも・・・」と似たようなエピソードを語りだしました。
なんでもその宿のすぐ近くにある大ホールで彼のコンサート情報が流れようものなら、その宿は
あっという間にフルになってしまうというのです。
「彼の奈良に対する経済効果はすごいですよ~~~。」
翌朝、宿の共有スペースでその話を蒸し返していたところ、目の前に座っていたヒッピーなにおいを
かもしていた男子が「え??ツヨシさんですか?」と反応しました。(あ、いっちゃった)
まさか・・・
その男子もツヨシファンであり、カレー屋を教えたところしっかりメモを取っていて、その後訪問したようです。
この話にはさらに続きがあり、東京に戻った後に、「奈良まほろば館」という物産館で天河神社の禰宜さんの話を聞いたときのこと、禰宜さんがツヨシの話をするではないですか。
彼がここでインスピレーションを得て作った曲があるそうですね。(そして「奈良まほろば館」でもPVが流れて販売中)
とにかく奈良での彼の足跡というか功績に、たくさん触れました。こんな経験、日本国内でほかにあったかな?
・・・しかし、誰もかれも、彼のことを話すときには「ツヨシくんは~~~~」ととてもうれしそうな顔をして話すのが
印象的でした。彼が奈良を元気にしていることは間違いない。なんだかわたしまで気になってきたぞ。
世界遺産でもパワスポでもない話にとんでしまいましたが、旅をするとこういう副産物もあります。
そんなこんなで、さから像に会い(もう忘れちゃったって人はスクロールしてイラストを見よう!)、せんとくんに会い、
アイドル話も聞けて、なんとも満腹な、満足な旅でした。
あら、今回はあんまり世界遺産のはなしをしてないような・・・。見どころポイントが、たくさんあるんですよ!!
長くなりすぎるので、泣く泣く割愛しました。(関係ない話をカットすればいいのだが・・・)
で、結局7日間(正味6日間)でどんだけ世界遺産を周れたのか、振り返ってみようと思います。
・「紀伊山地の霊場と参詣道」を構成する資産のひとつ、「高野山」(こりゃもう1日がかり、②を読んでね!)
・「古都京都の文化財」を構成する、17の資産群のうちの11.5ヵ所(中途半端な理由は④を読んでね!)
・「古都奈良の文化財」を構成する、8の資産群の全部
・「法隆寺地域の仏教建造物」を構成する2つの寺
姐さん頑張りました・・・。いいトシしたオトナですが、「限界にチャレンジ」しつくした感があります。
(この頑張りは韓国世界遺産めぐりでも遺憾なく発揮されるのであった。)
これを可能にしたのは、やりすぎなまでの下調べと、妙に頑丈なこの体と、チャリンコのおかげではないでしょうか。
あとは要所要所のパワスポでのパワーチャージですかね(笑)。空海さんのピリピリとか。
数をかせぐことが大事だったんですか?なんでそんなに頑張るんですか?って聞かれちゃうかなあ。
そうですよ!限られた時間の中で、1件でも多くの世界遺産を見たかったんです。
だって1つ1つが本当に面白いんだもの。欲張りたくもなります。
それぞれの遺産とゆっくりじっくり向き合うような旅は、またの機会にとっておきます。
そして、当初の目的であった「関西の世界遺産の区別がつくようにする、腑に落ちるレベルにもっていく」のは
かなり達成できたんじゃないかと。
奈良時代や平安時代が、平成のいまを生きるわたしと切り離された遠い出来事であったのが、
この旅を通じて、他人事じゃなくなったというか、今につながる糸をたどれた気がしてとても興味深かったです。
奈良時代の日本人が海外と接触した中で伝わった宗教や文化が、その後京都で磨かれて日本固有の文化に昇華されていった様をリアルに感じることができたし、それぞれの世の人々の苦悩や癒しも知ることができました。
京都、奈良、まだまだ何度でも楽しめそうです。
5回の連載の間、おつきあいいただいてどうもありがとうございました。
どこかの世界遺産でがっつりノートをとっているわたしをみかけたら、ぜひ声をかけてください。
この紀行文を通じて、少しでも関西の世界遺産の魅力をお伝えすることができたなら、とても嬉しく思います。
みなさんも世界遺産学習を通じて、旅がより一層豊かで楽しいものになりますよう。ではまた!
おしまい