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● マイスターのささやき:モロッコを旅して②

世界遺産検定マイスター根本潤子

アッサラーム アレイコム! みなさま こんにちは。

モロッコの旅の2回目は、首都ラバトを出発し、世界遺産のある街を巡ります。

◆◆

モロッコでは、全てバスでの移動でしたが、車窓からの眺めは変化に富み、飽きるこ
とはありません。

少し大きな街には王宮があり、市街地を抜けると、乾いた大地でも育つオリーブ畑が
広がります。

さらに行くと、石がゴロゴロする荒地になり、所々クッションのような植物が生えて
います。

そのうち、砂漠のような大地が続き、峡谷や山脈地帯に入ります。また平らな砂漠に
戻り、オアシスが近づくと植物が増え始め、その先に次の街があるのがわかるのです。

◆ ミクナースの旧市街

ラバトから約140kmで、メクネス(ミクナース)に到着。

『ミクナースの旧市街』(iv)

北アフリカのヴェルサイユと言われるように、約40kmの城壁に囲まれた旧市街に
は、ヨーロッパとイスラム建築が融合したマグレブ建築が現在も残っています。

メクネスは、気候の良さと水の美味しさで有名。古くからオリーブやブドウの栽培で
知られ、メクネス・ワインの名産地です。

最盛期の17世紀、アラウイー朝のムーレイ・イスマクルは、古い建物を次々と壊
し、数多くの城壁や門、モスクなどを建築し、豪華な王国を作ろうとしました。

それは、同時代ルイ14世が造ったヴェルサイユ宮殿に対抗したのだと、
今でも語り継がれています。

これは、マンスール門。北アフリカで最も美しく有名な門の1つ。
いつもは閉められているそうですが、半分だけ開いていました。

たまたま通り過ぎる女性が写っていますが、イスラム圏では女性にカメラを向けるの
はご法度。

この女性は、黒い“カフタン”を着ているのでアラブ系。黒以外の色の“カフタン”
を着る女性はベルベル系の人々。

おじさんが着ているのは、“ジュラバ”と民族衣装。衣服を普通に着た上から、スト
ンと上着として着ています。

暑くないのかしら?と思いたくなりますが、強い日射しと砂埃から身を守る効果があ
るのです。砂漠地帯に暮らす人々の知恵ですね。

◆ ヴォルビリスの考古遺跡

つづいて約60km移動し、ヴォルビリスへ。

『ヴォルビリスの考古遺跡』(ii)(iii)(iv)(vi)

総面積40万km2にもおよぶ、モロッコ最大のローマ帝国の都市遺跡です。

先史時代から集落ができ、BC40年頃、ローマ帝国の属領に。
8世紀にはイスラムの支配下となり、首都になったものの、
18世紀に起きたリスボン大地震後は廃墟となり、現在も発掘調査中です。

ヴォルビリスは、ベルベル語で「夾竹桃」の意味。荒地にも関わらず、たくさん咲い
ていました。

ほかにも、テキーラの原料で知られる、リュウゼツランやウチワサボテンもあり、
ちょうど収穫していたサボテンの実を1つ購入(200円位)して食べてみました。
味は干し柿のように甘く、種があるのでザクロの食感でした。

◆ フェズの旧市街

さらに走ること1時間半。ようやくフェズに到着です。

『フェズの旧市街』(ii)(v)

モロッコ最大のイスラム都市。宗教・文化・学問・商業の中心として発展した旧市街
には、今も中世のイスラム都市がそのままです。

街全体の色はグレー。城壁で囲まれ、敵の侵入に備えて迷路のような作りになってい
るので、世界でも有数の複雑さ。

道は狭く坂が多いため、上がったり下ったり曲がったり、、、。同じ場所をグルグル
回っている錯覚に陥るのです。

迷宮都市を1人で歩く自信は、私にはありませんでした。

訪れたのが金曜日、安息日にあたるため、休みの店舗はありましたが、
北アフリカ最大のモスク:カラウィン・モスク

イスラム最古の大学の前身となった神学校:ブー・イナニア・マドラサ

などに混じり、人々の日常生活に欠かせない食料品、衣料品、パン屋、お菓子屋など
の店舗がひしめきあって建っていました。

イスラムの人々は、お酒を飲まないかわりに、お菓子をよく食べるのです。

かなり奥に進むとタンネリ地区があり、なめし革職人の人々は革製品の製造を、当時
とほとんど変わらない手法で、作業を続けています。
中には10代の青少年たちが、革なめしの薬品につかりながら、危険な作業をしていました。

狭い路地は、牛や羊の皮を載せたロバが通り、革なめしの薬品と混じったニオイはか
なり強烈なため、旅行者のほとんどは、鼻の穴に生ミントの葉を詰め、しのぎながら見学するのです。

私は、ミントのお世話にはならなかったのですが、気温37度の暑さに加え、
皮やロバ、その辺に捨てられたゴミやパンの焼けるニオイが入り混じる中、
まとわりつく蠅には参りました。

約30万人が居住するこの地区の環境は、決して良好とは言えません。

ところが、店の呼び込みや物売りの少年たちは、
「コンニチハ! ビンボープライス!」どこで覚えたのでしょう?

予期せぬ日本語に驚きつつも、無視して歩き続けると、

今度は、「ニーハオ!」やら「アンニョンハセヨ~」
とりあえずアジア人と見てもらえたらしいけれど、、、。

日本人女性と結婚すると、裕福な日本で生活出来ることを
モロッコの青年たちはよく知っていて夢みています。
とにかく、笑顔で優しく、親切を猛アピールなのです。

次回は、フェズの手仕事編~いよいよサハラ砂漠への旅です。

シュクラン! ありがとうございました。

<続く>