● マイスターのささやき:モロッコを旅して④
世界遺産検定マイスター根本潤子
アッサラーム、アレイコム! 皆さま こんにちは。
前回は、番外編としましてモロッコの食文化をお伝えしましたが、
いよいよ今回が最終回です。
カスバ街道を通り、ワルザザード~アイット・ベン・ハドゥ~マラケシュまでご案内します。
カスバ街道:モロッコ中部のワルザザードからティネリールを経て、エルラシディアまでを結ぶ東西のルート。
カスバと呼ばれる日干しレンガの集落とその周囲を取り巻くオアシスの緑が対照的。
2月には、アーモンドの花が咲き、桜並木を思わせるのだそうです。
途中、昔の手掘り井戸と地下水道遺構を見学
遠くの川から、水を引くために深さ20~30m堀り、それを地下水路用の横穴で延々とつないで集落まで。
その途中、修理と通気用の竪穴が約10m間隔に掘ってあるとのこと。
現在では、街道沿いに貯水タンクがあり、誰でもその水を利用出来るそうです。
山岳地帯に入ると、ペットボトルの水を売る子どもの姿も目にしました。
やはり、水はとても貴重なんだなと実感です。
赤い城砦(カスバ)が続くトドラ渓谷に入ると、切り立った絶壁は圧巻でした。
{ここで、カスバとクサルの違いは?}
*カスバとは、「要塞」「砦」「城郭」のことで、地域により形は様々です。
タンジェや首都ラバトのカスバの様に、メディな(旧市街)の一画を指すものと、
南部のカスバの中でも、四隅に四角い塔があるものは、ベルベル人が築いたもので、穀物倉庫を兼ねたものがあります。
*クサルとは、「要塞化された村」。城壁で囲まれたいくつもの塔があり、複数の家族が住む村のことです。
ワルザザード:世界中の映画関係者がロケ地として熱い視線を注ぐ場所
広大な土地を利用した映画村がある所で、モロッコの人々の集落から離れた所に、
まるで、テーマパークの様なアトラス・コーポレーションスタジオがありました。
土地が広く大型のセットが組めるため、日本では見ることの出来ない壮大な風景です。
ハリウッドの数々の映画が、ここで撮られているのです。
「アラビアのロレンス」「スターウォーズ」「ハムナプトラ」「グラデュエーター」‥等
ハリウッドのスター達が、快適に長期滞在するためのホテルやレストランも完備されていますし、
日本からの観光客も大型のホテルに泊まれます。
ただし夜間は、「ホテルから一歩も外出してはなりませぬ!」と厳重な注意を受けました。
夜間外出は、強盗の恰好のターゲットになるらしく、
別のツアーの日本人が、ライトアップされたホテルの美しさに惹かれ、つい写真に撮
ろうと一歩ホテルを出た所で、身ぐるみを剥がされたケースがあったそうです。
要塞村アイット・ベン・ハドゥ:イスラムから逃れた人々が築いた要塞村(iv)(v)
さて、久々の世界遺産です!。
先住民ベルベル人が、7世紀に築いた要塞の村で、クサル(要塞化した村)がいくつもある中で、最も保存状態が良いものとされています。
小川のほとりにある丘の斜面を利用して、立体的に作られていて、迷路のように入り組んだ路地のあちこちに、今でも数家族暮らしています。
日干しレンガの質素な家々は、かなり傷みが進んでいます。
つての居住者のほとんどが、対岸に造られた村に移り住んでいるそうです。
私が訪れた時には、村の入口の巨大な門が崩れかけ工事中だったため、残念ながら、丘の頂上には登れませんでした。
このあたりの住居はどこも日干しレンガ造りで、その家ごとの玄関に工夫がされています。
要塞村を訪れる観光客に対して、川を渡る時に手を引いてチップを要求したり、
「我が家に病人あり」と言わんばかりに、わざわざドアを開け、
何とか、お金を恵んで貰いたい人も中にはいるとガイドから聞かされました。
世界遺産に登録され、住んでいる所に観光客がどんどん入り込むようになったことから、
彼らも暮らし難くなり、考えた末の生活の知恵?かもしれません。
彼らの生活の場ということを、心に刻まないといけないと思いました。
アイット・ベン・ハドゥに別れを告げ、標高2260mのティシュカ峠を越えて、話題のアルガンオイルの村へ。
アルガンオイルとは、モロッコ南部アトラス山脈近くの、スース平野にしか生育していない、
とても貴重なアルガンツリーの実の種子から抽出されるオイルのことです。
収穫が厳しく制限されている上、伝統的な製法のため、100kgの実からわずか1Lしか採取されない希少なオイルなのです。
アルガンオイルの抽出方法は、まず石で実を叩き、一粒ずつ丁寧に芯を取り出します。
それを、石臼でゆっくり挽いてオイルを抽出したものが、化粧品用。
一方、2L分の芯を1時間ほど香ばしくローストしてから抽出したものが、料理用。
古くから、ベルベル人の民間治癒薬として用いられ、最近は美容オイルとして注目を集めています。
夏から秋にかけて収穫されるのですが、ビタミンEの含有量がオリーブオイルの約2~3倍と豊富なため、
強い紫外線や乾燥対策、また、アンチエイジング効果もあるとのこと。機会がありましたら、ぜひお試しください。
アルガンでもう一つ有名なのが、「木に登るヤギ」。アルガンの実はヤギの大好物。
収穫時期の8~9月頃、木に登って食べる光景がよく見られるそうです。
う~ん、見てみたかった、、、、。
マラケシュの旧市街:南方の真珠とうたわれた赤レンガの古都(i)(ii)(iv)(v)
11世紀、ベルベル人の興したムラービト朝の首都として整備された都市で、政治・経済・文化の中心地として発展。
ベルベル語で、「神の国」を意味するマラケシュは、フェズに次ぐ歴史を持った街。
モロッコという国名は、ヨーロッパ人がマラケシュを訛って発音したことが由来とか。
街の中心的建物は、クトゥビアの塔。
12世紀半ばに建てられたこのモスクは、街のどこからでも見え、高さ69m、1番上のジャモール(イスラムの3つ玉)まで入れると77m。
幅と高さが1対5という比率が、美しく見えるヒミツだそうで、スペインのセビーリャのヒラルダの塔は、このミナレットをモデルに建てられ、
ヒラルダの塔、ラバトのハッサンの塔を共に、三大ミナレットとされています。
{モロッコのミナレットは、どうして四角いのでしょうか?}
モスクに、ミナレットが設けられるようになったのは8世紀以降で、モロッコに残る四角いミナレットは、最も初期の形を残したもの。
シリアのビザンチン教会の鐘楼がモデルだったと言われています。
涼しくなった夕方、旧市街(メディナ)を馬車でぐるっとひと回り。
馬車の椅子の高さと人々の視点の高さが合い、ちょっと申し訳ないような気持ちにもなったけれど、
イスラムでもオートバイに二人乗り、いえ、実は二人の間に子どもが乗って三人乗りです!
家路に急ぐ人、店で食べ物を買う人、、人々の生活そのものを垣間見たように感じました。、、、、。
馬車は、無形文化遺産に登録されている、ジャマ・エル・フナ広場に到着。
広場の北側に広がるスーク(市場)の規模は、世界最大とも言われています。
このジャマ・エル・フナ広場は、アラビア語で「死者たちの集会」を意味します。
ムラービト朝時代、ここは公開処刑場で、罪人の首を晒す場所でした。
今は、血なまぐさい印象はなく、時間帯により、その顔が変わるのです。
朝~昼間は、オレンジジュースの屋台やカゴ売りなど、ちょっとのどかなイメージ。
涼しくなるにつれ、太鼓を演奏する集団、猿回しの人、水売りのおじさん、ヘビ使いなどの大道芸人たちが現れ、
礼拝を告げるアザーンの音に混じり、様々な音がミックスされ、一気に賑わい始めます。
辺りが暗くなる頃、あちこちからリヤカーの屋台を引く人々が集まり、店をどんどん組み立て始めます。
それは、見事な早業!
数えきれないほどの屋台村は、全て番号の付いた巨大飲食街と化します。
屋台に灯りが点れば営業開始なのです。
タンジーヤという壷料理、エスカルゴ、スープ、ケバブ、、、。
調理する煙がもうもうと立ち上り、広場を覆い尽くす光景はとてもエネルギッシュ。
呼び込みの声も、一段と大きくなり、賑わいは最高潮に達し、夜は更けていくのです。
今回、モロッコを8日間旅して特に印象に残ったのは、2つ。
サハラ砂漠の漆黒の闇と静寂。
そして、それに対照的な、ジャマ・エル・広場の喧騒。
日本から遠く離れた土地で、自分がその中に佇んでいることに感動し、鳥肌が立つのを感じました。
様々な民族・宗教・そして人々の営みがあり、モロッコもまた、他にはないたくさんの魅力のある国でした。
短い期間でも、歩き回ると愛着が湧き、またいつの日か訪れたいと思いました。
拙い文章でしたが、最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。シュクラン!
そして、さようなら。 ブッサラーマ!