■ 研究員ブログ③ ■ 世界遺産は本当に「平和のとりで」か!?
今年の第34回世界遺産委員会では、
印象に残るコトがいくつかありました。
中でも特に気になったのは、
カンボジア王国の世界遺産『プレア・ビヒア寺院』を巡る
カンボジア王国代表とタイ王国代表の攻防でした。
『プレア・ビヒア寺院』が世界遺産登録されたのは、
2008年の第32回世界遺産委員会です。
今回の第34回世界遺産委員会では、
カンボジア王国から管理計画が提出され、検討されるはずでした。
しかし『プレア・ビヒア寺院』周辺の領有を主張するタイ王国は、
その管理計画が承認されると、領土が侵犯されるとして、
ユネスコからの脱退までもほのめかして強く反対します。
今回の世界遺産委員会委員国の21カ国に、
カンボジア王国もタイ王国も含まれていたことが、
問題を複雑にしたとも言えます。
そもそも、『プレア・ビヒア寺院』は、
世界遺産登録時点から問題を孕んでいました。
カンボジア王国とタイ王国の国境に位置するプレア・ビヒア寺院は、
長年、両国が領有を主張しており、
1962年にハーグの国際司法裁判所でようやくカンボジア王国領と認められます。
しかしカンボジア王国領と認められたのは、プレア・ビヒア寺院内のみで、
山上のプレア・ビヒア寺院へ向かう参道はタイ王国の領土であり、
タイ王国領内を通らずにプレア・ビヒア寺院を訪れることは、
現実的に難しい状態です。
その困難さは、世界遺産登録にも影響します。
当初、プレア・ビヒア寺院は、
登録基準(i)(iii)(iv)での世界遺産登録を目指していました。
しかしICOMOS は、登録基準(iii)と(iv)の価値を認めつつも、
タイ王国領土を抜きにしてはこの登録基準が成立しないと判断し、
カンボジア王国とタイ王国の関係も鑑みて、
登録基準(i)のみで世界遺産登録することになりました。
しかしこの世界遺産登録が、
カンボジア王国とタイ王国の紛争を再燃させます。
「平和のとりで」であるはずの世界遺産が、
紛争の引き金となったわけです。
この『プレア・ビヒア寺院』に関しては、
ユネスコは少し楽観的過ぎた気がします。
2007年に世界遺産登録できたものを、
両国の協議を待って2008年の登録にまで延ばしたのはよかったのですが、
世界遺産登録をすれば問題が起こることは判っていたはずです。
遺産の保全計画に含まれるべき周辺地域が、
国境未確定地域であり、そこで両国が対峙しているのに、
世界最大規模の国際機関であるユネスコが
「カンボジアの世界遺産」として認めることは、
国際社会が片方の肩を持ったようなものです。
ユネスコにしてみれば、両国への内政干渉は出来ないし、
世界遺産登録をきっかけにして両国の対話を求めたのでしょうが、
そう簡単にはいきません。
世界遺産委員会終了後、
カンボジア王国政府は国連やASEAN に調停を求めています。
厳密な意味での「国境」を持たない日本人には、特に僕には、
本当の国境問題の難しさはよく解りません。
ただ西欧発の「文化相対主義」批判として
かつて青木保さんが『文化の否定性』の中で述べたような、
自文化の主張を抑えて多文化共存を図る、という
少々、理想主義的な考え方も必要なのだと思います。
『プレア・ビヒア寺院』に関して
ユネスコがすべきことは多いです。
こここそがユネスコの平和理念を体現できる場所だからです。
世界遺産パワー(?)の見せ所なのです。