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■ 研究員ブログ⑩ ■ 遺産を受け継ぐ、というコト


先週末の12月4日、小春日和の大阪梅田で、
東大寺清涼院住職 森本公穣 氏による特別講演会が開催され、
『平城京遷都1300年と東大寺』というテーマを、
「繋ぐ」と「継ぐ」というキーワードでお話いただきました。

「1300年前には東大寺はまだなかったんですけどね(笑)」と、
笑顔で始まったお話は、
「東大寺」という、ひとつの寺院にまつわる話でありながら、
世界遺産や、長い歴史の上に立つ現代の自分、縁など、
様々なコトに思考もイメージも膨らむ、興味深いものでした。

聖武天皇による「盧舎那仏造顕(大仏造立)の詔」からは、
深く仏教に帰依した聖武天皇の思いが伝わってきます。

前回も取り上げた「動植咸く栄むとす」というのは、
ある意味、現実とは異なる理想の姿です。
人間が栄えてゆく上で、同時に、
同じように動物や植物が栄えるというコトは
果たして可能なのでしょうか。
しかしこの聖武天皇の理想は、世界遺産のそれでもあります。

また聖武天皇は
「天下の富を有つは朕なり。天下の勢いを有つは朕なり。
この富と勢いとを以てこの尊き像を造らむ。
事成り易く、心至り難し。」と続けます。

天下の富と勢力を持つ天皇が命じれば、
大仏を造るのは簡単だけれど、それでは心がこもっていない。

だから「一枝の草、一把の土を持ちて、
像を助け造らむと情に願はば恣に聴せ。」と、
小さな力を集め、人々の思いの集大成として
大仏を造ることを望みました。

記録によれば、当時の総人口の約半分にあたる
延べ260万人の人々が何らかの形で協力しています。
生まれたばかりの赤子から亡くなる寸前の老人まで含めた
総人口の約半分ですから、これってすごいことです。

「同じく利益を蒙りて共に菩提を致さしめむ。」
そして、こうした人々が大仏を造るために力を貸すだけでなく、
大仏を造ったことによる利益を得て、
同じように理想に近づかなければならない。

遺産を守ったり自然を保護することは、
お金も労力もかかるし、便利な生活を手放すことになるかもしれない。
しかしそれが遺産や自然にとってプラスであると同様に、
自分にとってもプラスであり、将来の子供たちにとってもよいことである、
という発想の切り替えは、
危機に面している多くの世界遺産を考える上でもとても重要です。

自己犠牲の意識が強すぎる世界遺産の保護や保全は長続きしません。

752(天平勝宝4)年の盧舎那仏開眼供養会で、
大仏の目に瞳を入れるのに使われた大筆には、
開眼縷(かいがんる)と呼ばれる何本もの長い紐がついていました。
それぞれの紐を約一万人の参集者が手にして、共に開眼の作法を行ったとされます。
多くの人々の思いの上に奈良の大仏はいるのです。

また東大寺二月堂修二会(お水取り)で
初めて練行衆として参籠する際に署名する
「牛玉誓紙(ごおうせいし)」の写真も見せていただきました。

戦国時代から大戦中も欠くことのなかった
東大寺二月堂修二会に参籠した練行衆の署名の中には、
大仏や大仏殿を再建した公慶上人(1648~1705)のお名前や、
今回お話いただいた森本公穣氏、その尊父森本公誠氏のお名前もあります。

歴史というのはなかなか「実感」することがないのですが、
「牛玉誓紙」を観ていると、実際に存在するその歴史の重みに
全くの傍観者である僕までが震える思いがしました。
森本公穣氏も初めて署名した時は手が震えたそうです。

当時の人々が残した有形の遺産だけでなく、
その「思い」まで受け継いでゆかなくてはならないのです。
今回、森本公穣氏は、特に世界遺産について語られることはなかったのですが、
世界遺産を考える上でも非常に示唆に富んだお話でした。

まだまだ興味深いお話満載だったのですが、
今回はこの辺で。
続きはまたいつか……。

森本公穣さま、ありがとうございました。