■ 研究員ブログ⑫ ■ ガレット・デ・ロワ から エルサレム へ
明けましておめでとうございます。
今年も新しい年がちゃんとやってきましたね。
深夜の初詣では、うっすらと雪が積もる、しんと静まり返った街と、
頭上の冷たく澄んだ三日月が、
ここ数年忘れていた、
畏れにも似た厳かな新年の雰囲気を創り出していました。
フランスでは新年になると、
パン屋やケーキ屋の店頭に、紙の王冠とアーモンドのパイが並びます。
これは「ガレット・デ・ロワ」と呼ばれるもので、
新年の風物詩です。
「ガレット・デ・ロワ(galette des rois)」は直訳すると、
「王様たちのガレット」というコトになります。
でもここでの「roi」は「王様」ではなく、
イエス・キリストの誕生を祝福しにきた
「東方の三博士(rois mages)」を指します。
なのでフランスでは、イエス・キリストの降誕を祝う
「公現祭(Epiphanie)」のお菓子として有名です。
……実際は1月6日の「公現祭」だけでなく、
1月中はいつでもよく食べています。
ガレット・デ・ロワについて書き出すとキリがないので、
「東方の三博士」に目を向けると、
「東方の三博士」は、星に導かれてベツレヘムの馬小屋を訪れ、
イエスの降誕を「新しいユダヤの王(救世主)」として祝福します。
一方で、救世主の誕生を恐れたユダヤのヘロデ王は、
「東方の三博士」に対して、幼子の誕生を知らせるように命じますが、
夢のお告げを聞いた「東方の三博士」は、
ヘロデ王を避け、幼いイエスを救いました。
現在、世界遺産『エルサレムの旧市街とその城壁群』に
ベツレヘムは含まれませんが、
登録範囲内には、ヘロデ王にまつわる遺産があります。
ユダヤの聖地である「嘆きの壁」は、
ソロモン王の建設した神殿をヘロデ王が改築した際に、
最も外側の壁として築いたものです。
その神殿は70年のローマ帝国の侵攻によって破壊され、
西のはずれの壁の一部だけが、かろうじて残りました。
その後、ユダヤの人々はエルサレムへの立ち入りを禁じられ、
民族離散(ディアスポラ)となるのですが、
4世紀に、年に一度の立ち入りが許されるようになると、
ユダヤの人々は残された西の壁(嘆きの壁)で
祖国の喪失を嘆くようになり、
現在まで続く祈りの場となりました。
エルサレムは「祈り」と「悲しみ」という、
人間にとって大切なふたつの感情を
強く含んだ遺産だと言えます。
世界遺産登録は基本的に、自国からの推薦です。
しかしエルサレムは例外として、隣国ヨルダンが申請しました。
「ヨルダンによる申請」という注記がついています。
その背景にあるのが、
深刻な国際問題となっているエルサレムの帰属問題です。
現在のエルサレムは、イスラエルが首都として実質的に支配していますが、
パレスチナもその領有権を主張しており、
イスラエルの支配は国際的には承認されていません。
キリスト教、イスラム教、ユダヤ教という、
三つの大宗教の共通の聖地として歴史的、文化的に価値の高いエルサレムを、
国際社会のネットワークの中で保全していくために、
隣国のヨルダンが申請し、世界遺産となりました。
しかしその帰属問題は、保全体制にも暗い影を落とし、
世界遺産登録の翌年には危機遺産リストに登録されました。
それから29年間、危機遺産リストに登録され続けています。
エルサレムの問題は、
宗教だけでも、政治だけでも、経済だけでも、
解決できるものではありません。
人々がエルサレムの問題を「知り」、「考える」というのが、
まず長い道のりの第一歩だと思います。
「世界遺産」という冠はその広告塔となり得るのです。
ガレット・デ・ロワを食べてエルサレム問題を考える。
……なんてのは、さすがに僕もちょっと遠慮したいので、
ただただ幸せ気分で美味しくいただきましたが。