■ 研究員ブログ⑰ ■ 地震と強い意志
地震後のバム
2月22日のニュージーランドの大地震。
語学学校の入っていた、瓦礫と化した建物では、
救助活動の打ち切りが今日(3日)、ニュージーランド当局より発表されました。
亡くなられた方に哀悼の意を表すると共に、
あの中から生還された方がいる、という、
奇跡ともいうような事実に少し救われる気がします。
今回、大きな被害のあったクライストチャーチは、世界遺産はありませんが、
2007年に第31回の世界遺産委員会が開催された街です。
日本の『石見銀山遺跡とその文化的景観』の
世界遺産リスト記載が決定した場所でもあります。
地震は世界遺産にとって大きな脅威のひとつです。
最大の脅威といっても過言ではない気がします。
なぜなら、ある程度の予防は出来ても、
その被害を完全に防ぐことができないからです。
実際、地震の被害にあっている世界遺産は少なくありません。
2003年の地震被害のために暫定リストを経ないで世界遺産になった
イランの『バムとその文化的景観』を始め、
2001年に被災したペルーの『アレキパの歴史地区』、
2006年に被災したインドネシアの『プランバナンの寺院群』、
2008年に被災した中国の『青城山と都江堰水利施設』や
『四川省のジャイアントパンダ保護区群』、
2010年に被災した『琉球王国のグスク及び関連遺産群』の勝連城跡など、
少し思い出すだけでも結構出てきます。
今回地震のあったニュージーランドは日本とよく似ていて、
島の中心を大陸プレートが横切っています。
実はこれは珍しいことではなく、
地球表面の大陸プレートがぶつかる地震帯は世界中にあり、
世界遺産の約半数がその上にあると言われています。
立命館大学の研究によると、
多くの世界遺産が集まる西欧はほとんど問題ないのですが、
西欧でもイタリアやギリシャの約半数、南米の6割弱、アジアの約4割の遺産が、
地震帯の上にあると考えられているそうです。
耐震補強として手を加えるのも慎重にならざるを得ない世界遺産を、
どのように守って行くのがよいのか、
素人の僕にはまだよく判りません。
ただ、地震に関しては保全計画を各国に任せるのではなく、
国境をまたぐ地震帯を考慮した危機管理計画の作成や、
遺産の老朽化に対するモニタリングの強化など、
UNESCOやユネスコ世界遺産センター、ICOMOS、ICCROMなどが中心となって
取り組むべき課題だと思います。
「世界文化遺産を地震災害からまもる東京宣言」などがありますが、
まだまだ世界的な危機意識の形成には至っていない気がするのです。
以前、1997年のウンブリア・マルケの地震の映像を見たことがあります。
イタリアの『アッシジのサン・フランチェスコ聖堂と関連建造物群』にある
サン・フランチェスコ聖堂は、クーポラが一部崩落するなど
大きな被害にあいました。
地震の瞬間、大聖堂内にいた修復士の人が撮影した映像は、
映画『明日、陽はふたたび』で描かれたものの比ではなく、
あまりに衝撃的でした。
修復された現在のクーポラを観て、
あんなに粉々になってしまったフレスコ画を、
よく絶望せずにここまで修復したものだと、感動しました。
強い意志さえあれば、人は何でもできるのかもしれません。
また数年前のこと。友人の結婚式で新潟に行ってきました。
なぜか翌朝は新婚ほやほやの、湯気が出ているような新郎新婦と三人で朝食を食べ、
新郎の運転で山古志村へドライヴにいきました。
山古志村は2004年の新潟県中越大地震で壊滅的な被害を受けた村です。
村役場で地震当時の写真や映像を見せてもらったのですが、
災害から復興するってものすごいコトだと思いました。
あの自然の悪意しか感じられないような、
人間の非力ばかりを目の当たりにした状況から、
心を折ることなくここまで復興した人々の強さに、涙が出てきました。
これから新しい道を拓いてゆく新郎新婦と、
山古志村に来られてよかったと思ったことを、
いま思い出しました。
話がすいぶん逸れましたが、
防災をしても地震から世界遺産を完全に守ることが出来ないのであれば、
次は国際社会や地域の人々と協力して行う
修復・復興の計画も予め立てておく必要があるのだと思います。
もちろん、つよい意志を持って。