■ 研究員ブログ30 ■ ヴェネツィア憲章と真正性
この季節、天気がよいと皇居本丸跡の芝生の上でお昼を食べたりします。
八重桜も咲いていて風も爽やかで、とてもよろしい。
午後からの仕事に戻りたくなくなります。
かつての城跡がこうして残されている、というのは
とてもよいことだと思います。
遺産や自然環境を残し、未来の世代へと受け継いでゆくのが
世界遺産条約の理念ですが、
その理念の基にはふたつの憲章があります。
ひとつが1931年に採択された「アテネ憲章」、
もうひとつが、アテネ憲章を批判的に継承した
1964年採択の「ヴェネツィア憲章」です。
このふたつの憲章に共通しているのは、
「記念物や建造物、遺跡を保護・保存してゆく」という理念ですが、
その方法において、ふたつの憲章は大きく異なっています。
アテネ憲章では、修復の際に近代的な技術や素材の使用を認めている反面、
ヴェネツィア憲章では建築当時の工法や技術、素材を使用することが求められます。
ヴェネツィア憲章では基本的に、伝統的な技術が明らかに不適切な場合にしか、
近代的な技術を用いることができないのです。
この違いは非常に大きい。
例えば、名古屋城や大阪城は空襲などで焼けた後、
伝統的な素材ではなくコンクリートや鉄筋などを用いて再建しているため
ヴェネツィア憲章を受け継ぐ世界遺産リストに記載されるのは難しいのですが、
跡地を商業施設やマンションなどにするのではなく、
城として再建しているために、アテネ憲章の考え方には合致しています。
こうしたヴェネツィア憲章の保護・保存方法が求めているのが「真正性」です。
しかし実際は、全くゼロの状態になったものを再建しても、
「真正性」が認められるのは非常に難しいのです。
ナチス・ドイツに徹底的に破壊された『ワルシャワの歴史地区』の
世界遺産登録の審議をしているとき、真正性の解釈で意見が分かれ、
都市全体を再建・復旧した遺産を登録するのはワルシャワ市以外に認めない、
ということになりました。
つまりゼロになってしまったものは基本的に、
世界遺産になることはできない、ということです。
ここで疑問が出てきます。
同じく第二次世界大戦で壊滅的な被害を受けたフランスのル・アーヴルや、
リトアニアのビリニュスはどうなのかと。
これは、「修復した」というのをどのように評価しているかの違いです。
ル・アーヴルは確かに街全体が破壊されましたが、
戦後にオーギュスト・ペレによって再建された「20世紀の近代的都市」
として評価されました。
再建されたワルシャワが再建前の「中世から19世紀の都市」として
評価されているのとは異なります。
またビリニュスも多くの建造物が被害を受けましたが、
聖アンナ聖堂など主要な建造物が残っていたため、
中世都市としての価値が認められました。
姫路城は「昭和の大修理」で大きく改修されましたが、
「昭和の建造物」ではなく「17世紀の建造物」という評価。
一方で『古都京都の文化財』では7世紀に建てられ何度か炎上した後に
17世紀に立て直されたものは、「17世紀の建造物」として評価され、
ノルウェーの『ベルゲンのブリッゲン地区』も11世紀に建造された遺産ですが、
火災を経て再建されたので「18世紀の建造物」という評価になっています。
このように、「真正性」の解釈については、
世界遺産委員会でもいつも重要な論点になっており、
世界遺産としての遺産の価値を左右する大きなポイントといえます。
世界遺産を訪れたり、書籍やテレビで見るときはぜひ、
その遺産がどの段階の建造物として評価されているのか注目してみてください。
今回残念なのは、僕の故郷の名古屋城が世界遺産になることはないんだろうなぁ、
ということだけです……。