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■ 研究員ブログ58 ■ 窓の外に広がる世界

2015.02.04

朝、カーテンを開けると、窓の外には雨が降っていました。
薄暗い部屋のベットに座って窓の外の雨を見ていたら、
自分がいる暗い部屋とは別の世界が窓の外にあるのだと、
なんだか不思議な気持ちになりました。

窓枠の外から雨が降ってきて窓枠の外に消えてゆく。
何というか、タルコフスキーの映画を観ているような感じ。
うまく言えないのですが。

IS(イスラム国)による日本人人質事件が、
ひとつの悲しい区切りを迎えました。
後藤さんが伝えてきたこと、伝えようとしたことを思うと、
残念という言葉では捉えられない暗澹たる気持ちになります。
こうした事件が続かないことを願うばかりです。

ISやボコ・ハラムなど、最近のイスラム教の原理主義組織の活動は、
これまで僕が学び身に付けてきた思考方法や論理が当てはまらず、
彼らの存在自体が恐ろしいもののように感じてしまいます。

しかし、映画やマンガと違って、
現実世界には、生まれながらの絶対悪、
地獄の大魔王のようなものは存在しません。

それなのにISやボコ・ハラムを、
まるで「絶対悪」のように考えてしまっては、
そこから話は先に進まなくなってしまいます。
「絶対悪」を打ち砕く絶対的な「正義」や「善」なんて
現実の世界には存在しないからです。

そのため、ISやボコ・ハラムを空爆したところで
彼らを壊滅させるのは難しいだけでなく、
新たに同じような別の組織を生むだけです。
軍事力では最終的な解決にはなりません。

ならば、ISやボコ・ハラムのような過激派組織に対して
僕たちができることは何なのでしょうか。

それは、理想論のように聞こえるかも知れませんが、
彼らのことを知り、考える、ということだと思います。

ISの内部や背景を分析した報道番組が
ネット上で「ISの宣伝のようだ」と批判されたと聞いて、
なんというか、笑ってしまいました。
僕もその番組を見ていたのですが、
ISを知る上で僕にはとても参考になったからです。
番組を見て、ISの行動にだって酌量の余地はある、などと
言いたいわけでは決してありません。

ただ、相手を知ることを放棄して、どのように対処するのでしょう。
「絶対悪」だとして考えることを止めるのではなく、
さまざまな情報を得て自分で考えることが重要なのです。

なぜISはイスラム教徒からも非難されているのか、
ISとイスラム教は何が違うのか、
ISが生まれた背景には何がるのか、
そもそもイスラム教とはどのような宗教なのか、
イスラム教国家の文化や歴史はどんなものなのか
キリスト教とイスラム教の関係は、
日本とイスラム教国家との関係は……などなど、
知るべきことは限りなくあります。

そしてこれらを知るためには、
自分の住む日本の文化や歴史だけでなく、
僕らが世界を知る際の規準となっている、
キリスト教や欧米の文化や歴史なども知る必要があります。

相手を知ることの重要性はISの側にもいえます。
ISの側も、もっと世界のことを知るべきです。

こうした考え方は、ユネスコ憲章の理念にそったものです。

「相互の風習と生活を知らないことは、
人類の歴史を通じて世界中の人々の間に
疑惑と不信を引き起こした共通の原因であり、
この疑惑と不信のために、世界中の人々の差異が
あまりにも多くの戦争を引き起こした」

ユネスコ憲章の前文に書かれたこの言葉は、
「諸国間、諸民族間の交流を進め、
文化の多様性を理解・尊重しあうことが、世界の平和につながる」
という理念につながります。

ユネスコ憲章の理念を共有する世界遺産は
まさにこのためにあります。

世界中に存在する世界遺産を学び、知り、考える。

このことが直ちに世界中の紛争やテロ行為を無くす、
なんてことはないでしょう。

でも、世界中のさまざまな文化や風習、民族、宗教、歴史などを
知り、考えることを始めなければ、
いつまでたってもユネスコの目指すような世界には辿り着けません。

徒にISやボコ・ハラムなどを恐れるのではなく、彼らに思いを馳せる。
彼らの行為を認めるのではなく、彼らの怒りや衝動を知ること。
それが第一歩になると僕は思っています。けっこう本気で。

思考を停止したままISやボコ・ハラムなどを非難するのと、
一度よく考えた末にISやボコ・ハラムなどを非難するのとでは、
同じ非難の言葉を口にしたとしても、内容は全く違うのですから。

窓の外では雪が降ってきました。
立春を過ぎましたが、春はもう少し先みたいですね。