■ 研究員ブログ73 ■ 明治日本の産業革命遺産を世界遺産終焉のはじまりにしないために。
夏至を迎えました。いよいよ夏が始まります。
近年の暑すぎる気温には毎年うんざりするのですが、
いつも夏が過ぎると忘れてしまい、夏が来るのが楽しみになります。
今年はどんな夏になるのでしょうか。
昨日、日韓の外相会談があり、
「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録に向けて
日韓で協力していくことで一致したようです。
ほっとしました。
日本側が、朝鮮人などの強制徴用について説明を加える
という方向で調整するみたいですね。
妥当な合意ではないでしょうか。
これ以上お互いが突っ張っても、
両国間にしこりが残るだけで誰も得しません。
これで世界遺産登録に大きく近づいたと思います。
ただ、今回の「明治日本の産業革命遺産」をめぐる日韓の一連の騒動と、
世界遺産登録までの経緯をみていると、
どうもすっきりしないものもあります。
「世界遺産としての価値」なんて全く話題に上らず、
単なる国際政治の道具になってしまっていると感じるからです。
そもそも「文化遺産」として考えた時に、
明治時代が終わる1912年ではなく1910年で切ったのはなぜだったのか。
現在まで続く価値をもつ遺産を一時代だけで切り取る必要性はあったのか。
「現在も稼動している」
「(東京以上の人口密度で人々が住んでいた)高層ビルも文化的価値をもつ」
というような、わかりやすいエピソードは1910年以降のものも入れるのに、
労働争議や強制徴用、環境破壊、などの都合の悪いエピソードは
頑なに説明に入れてこなかったのはなぜなのか。
これらは「政治的」な理由からは説明が可能ですが、
「文化遺産」という観点からは納得できる説明はありません。
一方で韓国の側も、登録阻止にむけて他の委員国を説得してまわるというのは、
「世界遺産の価値を議論して理解を深める」という点からは
まったく離れた行為ですし、世界遺産条約を理解しているとは思えません。
以前も書きましたが、世界遺産条約が国際条約である以上、
「政治的でない」なんてことはあり得ません。
しかし、それでもなお世界遺産登録の本筋は、
世界が協力して顕著な普遍的価値をもつ遺産を登録し保護することにあるはずです。
政治の駆け引きの道具として利用することが
世界遺産登録の本筋になってしまったら、
世界遺産条約は終わってしまいます。
観光振興を第一義として世界遺産登録を目指す遺産も少なくない中で、
今回のようなことが大々的に行われると、
本当に世界遺産の将来が心配になってしまいます。
世界遺産の終焉のはじまりじゃないとよいのですが。
とはいえ、「明治日本の産業革命遺産」が世界遺産登録されれば、
日韓相互の歴史・文化理解の手助けになると大きな期待もしています。
世界の多様性を理解し平和な世界を築くという、
世界遺産本来の姿を取り戻す可能性をもっているのも
「明治日本の産業革命遺産」なのですから。