■ 研究員ブログ80 ■ サンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ修道院と『最後の晩餐』そして 龍安寺
今年は夏の終わりから雨が多く、
駆け足で秋に入ってしまったような感じですね。
秋は大好きな季節なのですが、もう少し夏の余韻を楽しみたかった気もします。
ともあれ、秋です。
芸術の秋らしく、今回は『最後の晩餐』について考えてみたいと思います。
12月13日に開催される第22回世界遺産検定のメインビジュアルにもなっている
レオナルド・ダ・ヴィンチ作の『最後の晩餐』は
写真などでご覧になったことがある方も多いと思います。
イエス・キリストが磔にされ処刑される前夜、
イエスは12人の弟子たちと共に食事をしています。
その場で、イエス自身の口から、
弟子のひとりがイエスを裏切り、残りの弟子たちもイエスの苦難を前に逃げ惑う、
ということが告げられます。
それを聞いた弟子たちの驚きや動揺する姿を描いたのが『最後の晩餐』です。
『最後の晩餐』はキリスト教絵画のテーマとしては有名なもので、
レオナルド・ダ・ヴィンチ以外でも、多くの人が作品に残しています。
しかし、最も有名な『最後の晩餐』がレオナルド・ダ・ヴィンチのものではないでしょうか。
レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』は、
北イタリアのミラノにあるサンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ修道院の
食堂の壁に描かれています。
この絵画は数々の危機に直面してきました。
レオナルドは、重ね塗りや繊細な色の使い分けをするために、
漆喰に顔料をまぜる一般的な壁画の画法であるフレスコ画の技法ではなく、
顔料を卵や膠などに溶いて描くテンペラ画の技法で描きました。
これにより、絵画としての繊細さを手に入れたものの、
テンペラ画の画法は壁面への顔料の接着が弱く、
レオナルドが生きているうちから、顔料の剥落が始まってしまいました。
また食堂に描かれているため、
人々の呼気や食べ物の湿気などでカビが発生したほか、
壁に扉をつけるために絵画中央の下の部分に穴が開けられ、
ナポレオンの時代には馬屋として使用され、大洪水の際には水没し、
第二次世界大戦では建物が破壊され雨ざらしにされていました。
15世紀末にレオナルドが描いた『最後の晩餐』が
現在でも残されていること自体が奇跡的なことだといえるのです。
こうして残されたレオナルドの『最後の晩餐』には
いくつか画期的な表現があります。
まずひとつめは、イエス・キリストや弟子たちを
「人間らしく」描いている点です。
レオナルド・ダ・ヴィンチが活躍した時代は、
ルネサンスと呼ばれる時代です。
ルネサンス以前のヨーロッパは、人々の毎日の生活も思想も、建築も芸術も、
すべて神が中心にあり、神に捧げられた時代でした。
それが、商業を通じて発展したフィレンツェなどで、
教会のしがらみに囚われない自由な気風が生まれ、
人々は人文主義(人間主義)を中心とした思想や建築、芸術を生み出しました。
それがルネサンスです。
ルネサンスとは、神から人への文化運動である、ということができます。
このモザイク画は、ルネサンス以前の12世紀に描かれたものです。
これを見ると、イエスには光り輝く「光背」が描かれ、
聖なる人物であることが強調されています。
それに対して、ルネサンス期に描かれたレオナルドの『最後の晩餐』では、
イエスは「普通の人間」と同じような姿で描かれています。
神から人へ。いかにもルネサンスらしい描き方であるといえます。
もうひとつは、ルネサンス期に確立した「遠近法」が使われている点です。
レオナルドの『最後の晩餐』では、
イエスの顔の辺りに向かって直線が集まっており、
イエスの背後に広がる窓の外までの空間的な広がりが表現されています。
「遠近法」は、現在では絵を描くときの基本のひとつとして、
小学校などでも習うと思うのですが、
それが絵画の中で確立したのがルネサンス期でした。
こうした時代背景を知ってから、レオナルドの『最後の晩餐』を見ると
また深く楽しめると思います。
因みに、日本の世界遺産で「遠近法」が使われている遺産をご存知ですか?
実は『古都京都の文化財』の龍安寺の有名な石庭。
あの石庭には、ヨーロッパから導入された遠近法が用いられています。
石庭の地面は、方丈から見て右奥に向かって少しずつ高くなっており、
逆に壁は右奥に向かって少しずつ低くなるように作られているのです。
限られた石庭の中で、遠近法を用いながら奥行きが出るように設計されているなんて、
龍安寺の石庭は「モダン」ですね。