whablog
NPO法人 世界遺産アカデミーTOP  >  オフィシャルブログ  >  ■ 研究員ブログ91 ■ 正しく傾くピサの斜塔……ピサのドゥオーモ広場

■ 研究員ブログ91 ■ 正しく傾くピサの斜塔……ピサのドゥオーモ広場

2016.03.18

「ここから、正しく傾いた斜塔の写真が撮れます。」
オーストラリアから来たらしいツアー客を前に、ガイドさんが話をしています。
そう、世界中からピサを訪れる観光客はみな、
「正しく傾いた」斜塔を観にやってくるのです。

現在のピサは内陸の街ですが、かつてはアルノ川沿いで海に面しており、
古代ローマ時代には軍港でした。
11世紀に自治都市となり西地中海の覇権を手にすると、
13世紀まで海上交易国家として繁栄しました。

1063年にイスラム軍をピサの艦隊が破ったパレルモ沖海戦を記念して、
戦利品や交易の富をもとにピサの大聖堂は築かれました。
どっしりと質素なロマネスク様式の外観とは裏腹に、
内部にはイスラム様式の半円アーチやビザンツ様式の華やかなモザイク画など
東方文化の影響が見られ、海上交易で栄えたピサの繁栄を伝えています。

ピサのドゥオーモ広場は、イタリアの聖堂前の広場としては珍しく、
美しい芝生で覆われています。
青々とした芝生の上に白い大聖堂や礼拝堂などが立ち並ぶ姿は、
イタリアのあっけらかんと無邪気な青空に映えて美しいのですが、
大聖堂の後ろから恥ずかしそうにこちらを覗いている鐘楼が、
この広場の一番の魅力です。

「ピサの斜塔」として知られるこの鐘楼は、地盤が均質でなかったため、
1173年に着工された当初から南に傾き始めました。
中心軸をずらしながら建設が続けられ、
14世紀後半に8層構造の現在の形で完成しました。
鐘楼内部のつるつると滑る大理石の螺旋階段を上っていると、
傾きを体感することができて少し怖くもなります。
なんて危なっかしい建物なのだろう、と。
しかしこの傾きが、ピサのドゥオーモ広場を独特で魅力的な景観にしているのです。

この「ピサの斜塔」を有名にしているエピソードが
この地に生まれたガリレオ・ガリレイの「落体の法則」の実験です。
ガリレオがこの鐘楼から2つの異なる重さの物体を落とし、
その2つが同時に着地することを証明した、というものです。
重い物体が先に着地すると考えられていたため、
この実験は大きな驚きであったと伝えられています。

僕は『ピサのドゥオーモ広場』が、
世界遺産と観光におけるモデルケースのひとつだと思っています。

なぜなら「ピサの斜塔」が他では見られない独自な景観を生み出し、
そこには人を引きつける物語が固く結びついているからです。

すべての世界遺産には物語があります。
それが世界遺産としての価値を高めているのですが、
すべての世界遺産の物語がわかりやすく
目の前の不動産と結びついているわけではありません。

「ピサの斜塔」のように子供でも見た目の独自性が理解でき、
誰もがガリレオのエピソードを話したくなる、
その両輪がよいのだと思います。

興味をもって訪れてくれれば、
そこから深く知ってもらう方法はたくさんあります。

世界遺産だけでなく、地元の文化や自然、文化財を
PRに使いたいと考えている場合は、
こうした見た目と物語のシンプルさがよい例になるのではないでしょうか。

まぁ、ピサの場合は良くも悪くもフィレンツェから近く、
宿泊客をフィレンツェに奪われてしまうという点はありますが。

ガリレオの「落体の法則」の実験のエピソードも、
ガリレオがピサの大聖堂内のランプの揺れの大きさを見て
「振り子の等時性の法則」をひらめいたとのエピソードも、
実は、後世の創作であったとされています。

アルノ川河口に土砂が少しずつ堆積してピサの街を海から遠ざけたのと同じ頃、
都市国家としてもフィレンツェの支配下に入り、
ピサは繁栄の第一線から退いていきました。

現在では「ピサの斜塔」の名声がこの街を支えています。
斜塔は倒れてしまっては駄目だけど、
まっすぐに建て直されてしまっても駄目。
ガイドさんの言うとおり「正しく傾いた」斜塔でないといけないのです。