■ 研究員ブログ106 ■ 同級生はマリー・アントワネット……ヴェルサイユ宮殿と庭園
うちの近くに女子高があるのですが、
新学期がもう始まったのでしょうか、
今朝は久しぶりに駅に向かう道で多くの学生さんたちとすれ違いました。
うんざりするような大雨の中、
友人たちと楽しそうに盛り上がりながら通学する彼女たちが羨ましく思えました。
あの世代にはあの世代特有の華やかさがあると思います。
……なんて、中年にさしかかった僕が書いてるとあやしいですが。
これは歴史上の人物であっても同じです。
よく奔放な浪費家の例として槍玉に挙げられるマリー・アントワネット。
オーストリアのハプスブルク家の皇女として生まれた彼女が、
国家の政策として、後のフランス国王ルイ16世のもとに嫁いだのは、まだ14歳の時です。
壮大な結婚式が執り行われたのが、
第26回世界遺産検定のメインビジュアルにもなっている、ヴェルサイユ宮殿でした。
今の日本で考えると中学生でしょうか。
まだフランス語も流暢に話せるとはいえないマリー・アントワネットは、
オーストリアとフランスの、宮廷文化や生活習慣などの違いに戸惑いながらも、
若さ特有の力強さと華やかさで人々の注目を集めていきます。
彼女は19歳でフランス王国の王妃となりますが、
現代の若い女性と同じように、おしゃれが好きで、お菓子が好きで、
音楽やパーティが好きな女性でした。
マリー・アントワネットが着たドレスや髪型、身に付けた宝石などは、
各国の上流階級の女性たちにも流行しました。
そんな華やかなファッション・リーダー的な子って身近にもいますよね。
しかし、彼女が歴史上に類を見ないような浪費家だったかというと、
そうではないと思います。
彼女がルイ16世と暮らしたヴェルサイユ宮殿は、
『ヴェルサイユ宮殿と庭園』として1979年に世界遺産登録されています。
この宮殿と庭園を築いたのは、フランス王国最盛期の王、ルイ14世。
「王の権力は神から授かったもので、王は神に対してのみ責任を負い、
人民は王権を制限することはできない」とする、王権神授説をとって自ら政治を行い、
新しい宮殿をヴェルサイユに築くことを指示しました。
ルイ・ル・ヴォーやシャルル・ル・ブラン、アンドレ・ル・ノートルら一流の建築家や芸術家に、
ロマネスク様式の宮殿やロココ様式の内装、噴水など多くの水を用いた幾何学庭園を築かせました。
庭園の水は、約10kmも離れたセーヌ川から揚水機で運ばれてきていました。
中でも有名なのは、
第一次世界大戦の講和条約であるヴェルサイユ条約が結ばれたことでも知られる「鏡の間」。
アーチ形の17枚の窓の反対側の壁に17枚の鏡がはめ込まれ、
窓から差し込んだ光りが鏡に反射して豪華絢爛な室内を照らす造りになっていました。
『ヴェルサイユ宮殿と庭園』は、まさにフランス王国の贅の限りをつくした宮殿だったのです。
しかし、ルイ14世の治世が終わると、
他国との戦争の経費や宮殿建設費用などが国の財政を悪化させ、
ルイ14世の曾孫のルイ16世の時代にはとうとう国民の不満がフランス革命として爆発しました。
ヴェルサイユ宮殿から逃れたところをマリー・アントワネットと共に捕らえられ、
ギロチンで処刑されたルイ16世の罪状は、「人民がもっていた主権を奪ったこと」でした。
マリー・アントワネットは、貧しい人々のために慈善活動を行い、
国王に自分用の宮殿の新築を求めることもなく、
世界遺産の構成資産になっている小さな離宮「プチ・トリアノン」を与えられると、
子どもたちとそこで過ごしながら、
近くに農家と農園を作り、自然と共に暮らすことも楽しみました。
こう考えると、現代の女性の生活と通じるところもあると思います。
もちろん王妃として使った金額は比にならないほど大きく、
華やかなモノが好きな性格であったことは確かですが。
ヴェルサイユ宮殿を実際に訪れて、
窓から地平線まで続いているかのように見える庭園を眺めていると、
「そりゃあ、革命も起こるでしょう」なんて思ってしまいます。
しかし、ヴェルサイユ宮殿には、
まだまだ面白いエピソードがたくさんあります。
事象を追うことが主眼の教科書などの記述からは見えてこない、
歴史上の人物の「人間らしさ」があります。
中学から大学くらいの女の子……といわず、男の子も、
ぜひヴェルサイユ宮殿について学んで訪れて、
同世代のマリー・アントワネットが何を感じ考えていたのか、
歴史を身近に感じてもらいたいと思います。
歴史上の人物だって、僕たちとあんまりかわらないのです。
同級生がマリー・アントワネットだったり、
先生がナポレオンだったり、
恋人がサンタクロースだったりしたらわくわくしません?
妄想が過ぎますね、すみません。