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■ 研究員ブログ107 ■ ニコラス・ウィントン あるいは 人を育てる世界遺産

2016-10-06

ニコラス・ウィントンという方をご存知ですか?
1909年生まれの英国人で、
第二次世界大戦直前に多くのユダヤ人の子供たちを
ナチス・ドイツの手から救った方です。

彼の活動は、ドイツやオーストリアのユダヤ系の子供たちを英国に避難させる
「キンダートランスポート」と呼ばれるものの一環でした。

第一次世界大戦があり、大恐慌があり、
当時の各国の社会や経済は不安定な状況にありました。
そのため、いよいよナチス・ドイツによる迫害が強まった時に、
ユダヤ人の難民を多く受け入れてくれる国はほとんどありませんでした。
難民が国内の失業者を圧迫し、内政がさらに不安定になる危険性があったからです。

そこで、なんとか子供たちだけでも避難させられないかと始まったのが、
キンダートランスポートでした。
開戦前の約9ヶ月間で、
0~17歳の子供たちが親元を離れて英国に避難しました。

チェコにおいてその活動に関わったのがウィントンでしたが、
チェコでのキンダートランスポートは、
公的な支援の下で行われたドイツやオーストリアのそれとは異なり、
ウィントンや他の支援者たちが立ち上げた民間団体が、
手続きから経費の負担、里親探しまで全て行わなければなりませんでした。

公的書類の偽造まで含む、ウィントンたちのたいへんな努力により、
669名もの子供たちが英国に避難し、ホロコーストを逃れることができました。

英国に避難した子供たちは、
敵国からきた子として差別されたり、
親の名前や顔すら思い出せなかったり、
アイデンティティで悩んだりと、
必ずしも全員が幸せだったとはいえないと思いますが、
それでも、子供たちに未来を託したいという、
親たちの熱い気持ちと人々の協力が、彼らの命を救いました。

ウィントンとその活動のことを、
ニコラス・ウィントンと669人の子どもたち』という映画を観るまで
恥ずかしながら僕は知りませんでした。

映画を観て感じたのは、
大切なのは「人」である、ということです。

チェコでのキンダートランスポートも
ウィントンひとりの力でできるものではなく、
多くの人々の協力があって成し遂げられたものです。

また「ナチス・ドイツ」という言葉でひとくくりにされてしまいますが、
「ナチス・ドイツ」の中には多様な人々が含まれています。
迫害やホロコーストに積極的に参加した人もいれば、
何も考えずただ時代に流されていた人、
ヒトラーの政策に疑問を抱きつつも従っていた人も。

他にも、ホロコーストで命を落とした人、
奇跡的に生き延びることが出来た人、
戦争で利益を得た人、全てを失った人、
善意の活動を受け継いでいっている人。

歴史も文化も社会も、全て「人」が作り上げたものなのです。

僕が世界遺産を考える上で、
最近感じていることが、まさにこの点です。

世界遺産を守り受け継ぐというのは、
不動産である建物や自然を劣化させずに残すということではなく、
続く世代の人々が世界遺産から歴史や文化、
そこに暮らしてきた人々の思いを
知り、学ぶことが出来るようにすることです。

世界遺産から、世界の多様性を学び
それを個々人が尊重できるようになる。
世界遺産活動は、「人を育てる」活動だといえます。

「アウシュヴィッツ・ビルケナウ」を保護・保全するのは、
ナチス・ドイツを断罪するためではなく、
次に同じようなことが起こらないように学ぶためです。

戦時下では、自分の信念に基づき、それを貫くということは
本当に困難なのだと思います。
いや、戦時下でなくても、身近ないじめなどでもそう。

積極的に抗うことなければ
消極的であれ賛同しているのと同じです。
そういう時代だった、では済まされません。

全ての人が多様な意見をもち、
それを表明することが許されるような、
互いを認め合う世界が理想です。

世界遺産の保護・保全というと、
不動産としての文化財をいかに守ってゆくか、
ということに主眼が置かれますが、
世界遺産活動にとって最も重要なのは、
多様な世界遺産が守られるような「人」を育てることなのだと、
考え方が変わっていくといいなと思います。
世界遺産を学ぶことが、流されることのない自分の軸となるように。

人が育てば、おのずと世界遺産も守られていくのですから。