■ 研究員ブログ108 ■ ユネスコ分担金の拠出を止める前にすべきこと
先週の報道で、ユネスコ分担金の拠出を日本が留保している、
というものがありました。
「世界の記憶」に南京大虐殺の文書が登録されただけでなく、
慰安婦関連資料が登録に向けて動いていることに対する反発で、
ユネスコに対し制度の改善を促しているということでした。
中国や韓国が、「世界の記憶」でやろうとしていることは、
「世界が政治以外のことで協働し平和な世界を目指す」
というユネスコの理念に沿っているとはいえず、
日本政府が反発するのもわかります。
しかし、ユネスコ分担金を拠出しない、というのは
主張の方法として、やり方が違うと僕は思います。
そもそも怒りの矛先が違う。
国際機関で主張が通らないのも、
国際機関内部の情報が入ってこないのも、
分担金の金額がどうのこうのではなく、
国際機関で働く日本人の数が少ないからです。
それも上級スタッフの。
国際機関で働く日本人(国際公務員)は、
各国政府から独立した存在なので、
日本政府の利害に従って行動するわけではありませんが、
上級スタッフと日本政府関係者の公私両方における会合で、
さまざまな情報が日本にもたらされるし、
上級スタッフを通じた働きかけも可能になります。
これは別に小狡いやり方ではなく、
外交手法として当たり前のことです。
ですから各国は、国が全面バックアップして、
上級スタッフに人を送り込もうとしているのです。
国際機関での昇進は、
日本の会社のように内部から順次昇ってゆくのではなく、
空席が出るたびに国際公募が行われて、
世界中から優秀な人材が応募してきます。
多くの国で、政府機関の重要なポストにいた人材が、
国のバックアップを得て国際機関のポストに就いており、
それが国益へとつながっています。
話を聞いていると、日本はあまり国際経験が評価されず、
ハイ・レベル・ポスト以外の
P1~5(専門職)からD1、D2(管理職)のポストへの
バックアップが十分だとはいえないようです。
実際、日本は分担金の比率に対して、
国際公務員数の比率が少なすぎます。
数年前のユネスコでは管理職の日本人は全体のたった0.4%。
P1以上全てで見ても日本人は6.5%しかいませんでした。
分担金は10%ほども払っているのに。
これでは、ユネスコ内部の情報は十分に入ってこないし、
ユネスコに対しても十分な働きかけは出来ません。
これは分担金の拠出を止めたからといって
意見が通るようになるものではないのです。
アメリカ合衆国はパレスチナのユネスコ加盟を受けて
分担金の拠出を停止していますが、
アメリカ合衆国の場合は、
パレスチナが正式加盟する国際機関に資金を出すことが
法律で禁じられていますから、日本とは状況が違います。
またアメリカ合衆国は、19世紀以降モンロー主義という孤立主義で、
もともと国際機関からは距離をとっている国です。
それでも彼らは最も多くの国際公務員を送り込んでおり、
国際的な存在感をもっています。
最近それが揺らいできているとはいえ、まだまだ影響力は大きいです。
そんなアメリカ合衆国の一部分だけ真似して
国際機関への分担金の拠出を停止したら、
日本は存在感をさらに失うだけで、
よいことは何ひとつないと僕は思います。
世界遺産と無形文化遺産、世界の記憶(世界記憶遺産)は、
ユネスコの文化三大事業と呼ばれたりもしますが、
世界遺産と無形文化遺産が国際条約で条文化されているのに対し、
世界の記憶は、「プロジェクト」にすぎません。
国際条約とは異なり厳格に内容が定められていないため、
どうしても審査過程が不明瞭になるし、
審査においても他国の「文化(ソフトの面)」を否定しにくいので、
書類の不備がないかどうかなどの形式重視の審査になってしまいます。
このプロジェクトを立ち上げたユネスコの理念は、
失われる恐れのある文化を守るという素晴らしいものですが、
それは性善説に基づいていて、
ナショナリズムに基づく登録が求められた時に
対応できないという問題点が確かにあります。
ユネスコにも多くの課題があることは確かです。
しかし、その課題を解決させるために、
活動の資金を止めるということは、
課題を解決する以前に、別のより多くの問題を生み出すことになります。
僕は、ユネスコは課題も多いけれど、
評価すべき活動はもっともっと多いと思っています。
そうしたユネスコの活動の下で守られている
文化活動や文化、教育などが停滞してしまうことは、
日本にとっても他人事ではありません。
日本とユネスコの関係は深く、
日本は国連加盟よりも先にユネスコに加盟しています。
そのユネスコとの関係を簡単に壊すのではなく、
松浦晃一郎さんが言うように、
分担金を拠出してから言いたいことを主張すればよいのです。
ユネスコの課題を解決してゆくことは必要なのですから、
日本は議論のレヴェルを下げることなく、
筋を通して主張していって欲しいと思います。
そして、日本は国際的な存在感を出したいのであれば、
国際機関で働く人をもっと重視すべきです。
留学経験者がその経験を重視されないという時点で、
日本の社会は、国際的な競争力を失っていると思うのですが。
国際機関が思い通りにならない怒りの矛先は
この辺りに向けるとよいのではないでしょうか。