■ 研究員ブログ115 ■ 春の訪れを祝うイースター あるいは ラパ・ニュイ島の皮肉
長く楽しませてくれた桜の季節もようやく終わりつつあり、
東京は本格的に次の季節に入った気がします。
それなのに北海道ではまた雪が降ったみたいですね。
4月もこんなに過ぎてまだ雪が降るんですね。
もう4月だよ、って教えてあげたくなります。
しつこいのは嫌われるよ、って。
この季節、春を祝う行事は世界中でさまざまありますが、
春が来たことを告げるお祭りとして日本でも定着してきているのが、
「イースター(復活祭)」です。
イースターはもともと、十字架にかけられたイエスが
3日後に復活したことを祝うキリスト教の祝祭でした。
もちろん今でもキリスト教の文化圏では、
イエス・キリストの復活を祝う礼拝が行われています。
しかし、今ではキリスト教文化圏以外にも広がり、
「春を祝うお祭り」という側面が強くなってきていると思います。
これは「商業的に」ということではありません。
キリスト教は一神教の確立された宗教であり、
確固たる教義で世界中に広がっていったと思われがちですが、
そんなことはなく、キリスト教も地理的に広がっていく中で、
さまざまな地域文化を吸収しながら、
世界的な宗教となっていきました。
「イースター」という名は、
ゲルマン民族の神話に登場する春の女神エオストレに由来するとされ、
春を告げるゲルマン民族のお祭りと混ざり合う形で、
キリスト教の復活祭(イースター)が根付いていきました。
イースターといえば、イースター・バニーとイースター・エッグです。
これは多産と生命の象徴であるウサギと、誕生の象徴である卵からきており、
長く厳しい冬が過ぎて、ようやく生命のみなぎる春が来たことを
心から喜ぶ人々の気持ちがよく表われています。
さまざまな花が咲き誇り新芽が芽吹き、動物たちが冬眠から目覚める
春の訪れの象徴なのです。
イースターはこうした春の訪れと、
それを待ちわびた人々の気持ちと強く結びついているため、
現代においてはキリスト教的な側面が少しずつ薄れてゆき、
キリスト教文化圏以外でも定着した行事となりました。
このイースターの日に、ヨーロッパ人が発見した島がパスクワ島。
『ラパ・ニュイ国立公園』としてチリの世界遺産になっている島です。
この「パスクワ」とは、スペイン語で「復活祭」を意味する言葉で、
ユダヤ教のお祭り「ペサハ」を語源としているとされ、
英語圏とドイツ語圏以外のヨーロッパの国々ではたいてい、
この「パスクワ」に近い言葉で「復活祭」が表現されています。
ラパ・ニュイは、1722年の復活祭の日に、
オランダ海軍提督によって「発見」されました。
その時のラパ・ニュイは、きわめて豊かな島であると報告されています。
しかしその後、人口増加による森林破壊や部族間の衝突などにより土地の荒廃が始まり、
1774年にこの地を訪れたイギリスのジェームス・クックは、
乾燥して荒涼とした印象であると書き記しました。
さらに19世紀にはいると多くの島民が奴隷として連れ去られ、
ヨーロッパ人が持ち込んだ天然痘の流行などで人口が激減すると、
島の文化も途絶えてしまいました。
生命の象徴である「イースター」と名づけられたのを境に、豊かさを失っていったのです。
これはヨーロッパとの接触だけが理由ではありませんが、
とても皮肉なことのように感じます。
文化の接触により何が残り何が失われるのか。
強い文化の中にも確かに古の小さな文化の痕跡はあり、
混ざり合っていない「純粋な文化」などというものは存在しません。
僕たちが今、目にしている「イースター」も、
とても日本的な、宗教色がきれいになくなった行事になっています。
それは別に悪いことではありません。
文化はそうして受容されていくのですから。
イースターは「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」という移動祝日です。
今年は明後日の日曜日、4月16日です。
春が来た喜びを感じる日にしたいですね。