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■ 研究員ブログ136 ■ フィレンツェはかつて、見捨てられた都だった?

フィレンツェにはどこか華やかなイメージがあります。

それほど広くない旧市街は、
赤褐色の屋根瓦に統一された美しい街並だけでなく、
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂にウフィッツィ美術館、
ピッティ宮殿、ヴェッキオ宮、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会など、
重要な建造物が凝縮されて残されています。
また、ウフィッツィ美術館に多くの有名な作品が所蔵されているのに加え、
街中の至るところに、前回のブログでも書いたダビデ像やヘラクレスの像、
ダ・ヴィンチやミケランジェロの像などがあり、
「屋根のない美術館」と呼ばれるのも頷けます。

そしてトスカーナ地方は料理もワインも美味しい!
……イタリアはどの郷土料理も美味しいですが。

こうして書くだけでも、
フィレンツェが世界中の人々を魅了し続けている理由がよくわかります。

しかし、18世紀中頃のフィレンツェは、
人々から忘れ去られた都市でした。

フィレンツェは、12世紀頃から商業で発展すると、
14世紀以降はルネサンスの中心都市として輝きを放ちました。
フィレンツェのルネサンスを支えたメディチ家から
ローマ教皇が輩出されたほどですから、
西ヨーロッパ内で大きな力をもった都市であったことがわかります。

しかし、大航海時代が始まると、
交易の中心が地中海から大西洋へ移り、
フィレンツェの華々しい歴史は急速に終わりを迎えました。

当時の、18世紀中頃のヨーロッパ各地の人々は、
イタリアに強い関心はもっていましたが、
それはローマ帝国の遺跡が残るローマやナポリに対してであり、
トスカーナ地方には関心がありませんでした。
ローマ帝国以降のイタリアに見るべきものはないと考えられていたのです。

イタリアに恋焦がれて、
その旅行記を『イタリア紀行』として出版したドイツのゲーテも、
2年近くローマに滞在したのに、
フィレンツェには15日と3時間しかいなかったそうです。

また、フランスのモンテスキューが訪れたトスカーナは、
フィレンツェではなくリヴォルノでした。
リヴォルノがトスカーナ地方で最も美しい街で、
それ以外の街はホコリにまみれて眠っているようだ、という認識でした。

今とはずいぶん違う評価ですよね。

それが19世紀になると、
イタリア全土をはじめて統一したイタリア王国の首都がフィレンツェに置かれます。
これは、イタリアを統一する際の文化的な中心軸とした
ダンテやペトラルカ、ボッカッチョなどの使っていた言語が、
トスカーナ方言と近かったため、
トスカーナ方言が統一のイタリア語に採用されたこととも関係があります。

わずか6年ほどで首都はローマに遷されてしまいますが、
この頃には、英国のウリィアム・ロスコーなどにより、
フィレンツェのルネサンス期の歴史が評価され、
再び世界の注目を集めるようになったのでした。

次にフィレンツェが危機を迎えたのが、第二次世界大戦の時です。
連合国軍とナチス・ドイツとの戦闘の中で、
ポンテ・ヴェッキオの周辺が破壊されてしまいました。

戦後の再建のなかで、破壊されたポンテ・ヴェッキオ周辺を
どのように復興するかが議論されます。

アメリカ合衆国の歴史家バーナード・ベレンソンは、
以前のルネサンス時代から続いた街並に再建すべきだと主張しましたが、
パルチザンとして戦ったバンリネッリは、
戦争の傷をしっかり残すべきだと主張しました。

これは現在でも、戦争や自然災害からの復興の中で
よく議論されることです。
どちらが正しいというものではないため、非常に難しい。

歴史から切り離された美しいイタリアか、
それとも、必ずしも美しいとはいえない歴史ももつイタリアか。

結局は、かつての街並が再建され、
私たちはルネサンス期の美しいフィレンツェを
旅することができています。

最後に、フィレンツェが大きな危機を迎えたのが、
1966年に起きたアルノ川の大氾濫です。
多くの文化財や貴重な書物が水没し、失われました。

この時にフィレンツェを救ったのが、
世界中から集まったボランティアです。
彼らは泥の中から美術品を救い出し、書物を一枚一枚クリーニングし、
気の遠くなるような復興の手助けをしました。
泥まみれになって働く彼らは
「泥の天使たち(アンジェリ・デル・ファンゴ)」と呼ばれました。
また、この時の経験が、文化財の保存・修復技術の発展や、
文書のアーカイヴ作成、自然災害対策などに大きく貢献しました。

花の都フィレンツェは、美しい姿を観光客の僕たちに見せてくれますが、
その後ろには悲しい思い出もある立体的な歴史をもつ都市なのです。

いつも元気な美しい人がふとした時に見せる陰のある表情。
思わず目が離せなくなります。
フィレンツェはまさに、そんな貴婦人のようです。

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