■ 研究員ブログ145 ■ 日光東照宮は寺院か神社か?
先日、『神様メール』というベルギー映画を観ました。
世の中に溢れている理不尽なことは全て
神が気まぐれで決めたことだ、ってところから始まるコメディなのですが、
これが、もう、かなり面白かったんです。
キリスト教徒が見たら卒倒するんじゃないかって姿で神様が描かれていて。
キリスト教のような一神教の世界では、全知全能の神が全てを作り上げるので、
このような話も成り立つのですが、
日本の神道のような多神教の世界ではこうはいきません。
そして日本の神々には、大陸から伝わってきた仏教や、
仏教の中に入り込んでいるヒンドゥー教などの要素も
分かちがたく混ざり合っているため、
もう、日本古来の純粋な神というのは、
自然に対する「畏敬」という姿でしか残っていない気がします。
日本ではそうした神仏習合の長い歴史があるために、
明治政府の神仏分離政策の後も、
信仰をすんなりと分けることができない状況が続いてきました。
例えば、日光東照宮。
ここは神社なのか寺院なのか。
最後に「宮」がつくので神社かな?とも思いますが、
五重塔があるので寺院のような気がするぞ、とも思います。
一緒に世界遺産登録されている「輪王寺」や「二荒山神社」は
名前からも分かりやすいのに。
日光の東照宮に祀られているのは徳川家康です。
家康の諡号(死後のおくり名)は「東照大権現」といいます。
権現とは、「権(かり)」の姿で「現」れるという意味で、
仏さまが神の姿で現れるという神仏習合の考え方からきています。
大陸から仏教が伝わってきた時、
日本人はそれまで信じてきた日本古来の神々とどう折り合いをつけたらよいか考えた末、
神道の神々は仏さまが仮の姿で現れたものだと解釈しました。
「東照大権現」は、「東から人々を照らす権の姿で現れた神」という意味ですが、
仏教において東方から人々を救う光りを放つのは、薬師如来です。
正式名称は、東方薬師瑠璃光如来(とうほうやくしるりこうにょらい)。
家康は、母のお大の方が鳳来寺の薬師如来に祈願して授かった子との伝承があり、
薬師如来の生まれ変わりだと考えられてきました。
実際、家康は薬に詳しく、「万病円」という薬を調合して
家臣や大名にも与えていたそうです。
東照宮の有名な陽明門の近くに、薬師如来が祀られる本地堂があります。
東照大権現である家康の「本来の姿(本地)」が祀られているため
本地堂と呼ばれています。
日光東照宮にはかつて神道と仏教が混在していましたが、
明治政府の神仏分離令によって仏教の要素が切り離されました。
しかし、長く続いてきた信仰がそんなにすっきりと分けられるはずもなく、
本地堂や五重塔などの仏教の要素が残されました。
こういう日本の曖昧なところ、というか、柔軟なところ、
僕は結構好きです。
クリスマスを祝って、正月には初詣に行くって
節操がないとか言われたりもしますが、いいじゃないですか。
日本の文化の中には多様性を受容する素地があるのですから、
定義の難しい「日本古来の日本人らしさ」を目指すのではなく、
肩の力を抜いて柔軟に多様性を受け入れていけたらよいと思います。
経済力や政治力で日本が世界のリーダーになるのは難しいと思いますが、
多様性のある社会の実現においてはいけるかもしれませんよ。