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■ 研究員ブログ150 ■ パルテノン神殿は「負の遺産」なの?

昨日に引き続き、パルテノン神殿のお話です。

女神に美を捧げたパルテノン神殿は、
ユネスコのエンブレムのデザインにも採用されています。
しかし、今では屋根は崩れ、レリーフは剥がれ落ち、柱も倒れるなど、
いかにも「遺跡」という姿をしています。

私たちは、「遺跡」というと、
崩れて壊れかけているものをイメージしがちです。
壊れていて当たり前と思っているというか。
でもそれって本来の姿ではないですよね。

最近、「負の遺産」や「危機遺産」について考えていると、
「負の遺産」とは何か、「危機遺産」とは何か、
よくわからなくなってしまいます。

まぁ「危機遺産」については、
危機遺産リストに記載されている遺産ということですが、
それだけが「危機遺産」なのかなと。

パルテノン神殿には、古代ギリシャの輝かしい歴史だけではなく、
その後のギリシャの様々な「影」の側面が刻み込まれています。

6世紀にはキリスト教の聖堂に改変され、
オスマン帝国によって占領された15世紀には、
イスラム教のモスクとして改築されました。

ヴェネツィア共和国とオスマン帝国の戦争の中では大きな被害を受け、
まさに「廃墟」となりました。
その後、英国のエルギン伯が、
神殿から美しい彫刻やレリーフを切り出し、持ち帰ってしまいます。
「エルギン・マーブル」と呼ばれるこれらの彫刻は、
現在もギリシャに返還されることなく、
英国の大英博物館に展示されています。

こうした歴史を見てくると、
パルテノン神殿などのアテネの神殿群は、
人類の歴史の「負の側面」をよく表しているとも言えます。
そもそも古代ギリシャの民主制は奴隷労働に支えられていたわけですし。
また、人々の傲慢さによって危機に直面しているとも。

遺跡は崩れている必要はありません。
元もとの姿で残していくのが理想ですし、
それが本来の意味での「真正性」だと思います。

また以前、ナチス・ドイツによって接収され、
オーストリアのベルヴェデーレ宮殿内にある
オーストリア・ギャラリーに展示されていた
クリムトの「アデーレ・ブロッホ・バウアーの肖像Ⅰ」が、
2006年に裁判によって、アメリカに亡命していた親族の手元に戻った、
というニュースがありました。
映画にもなっているのでご存知の方も多いと思います。

アデーレの肖像画のエピソードは、
戦争が無慈悲に人々の生活を奪い去ってしまうことや、
芸術品の所有権など、色々と考えさせられます。

アデーレの例を出すまでもなく、僕は、
エルギン・マーブルはギリシャに返還すべきだと思っています。
ギリシャで生まれた芸術や建築などは、
やはりギリシャにあるべきだと思うのです。

最近、世界遺産の活動の中で重視されている、
「世界遺産から受ける恩恵は、
その地域の人々全てが受けられなくてはならない」
という考え方とも似ています。
美術品を観るために観光客が支払うお金は、
その美術品の本来の持ち主の元に行くべきです。

そうして返還していくと、
大英博物館から展示品のほとんどが無くなってしまうかもしれませんが。

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