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◇遺産復興応援ブログ:第3回 平泉、奥州藤原氏三代のLOVE&PEACE、頼朝の心意気から昭和の大修理まで。~1,000年の輝きを守り続けた真正性~

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(2021-08-31更新/ WHA 秘書

中尊寺 金色堂 外観 (by C.Murakami)

 2013年の末、敬愛する音楽家・大瀧 詠一(おおたき・えいいち)氏が、銀河へと旅立ちました。我が心の中には極寒のシベリア鉄道が駆け抜けてゆく思いでした。翌年、氏の生まれ故郷「奥州市」(旧・江刺/えさし)の図書館で、氏を記念する展示会が開かれました。その記事を目にした小生は、人生で初めて、岩手の地を訪ねることとしました。そして、その折に訪れたのが、岩手県平泉にある世界文化遺産『平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-』です。

 平泉は、平安後期、つまり今からおよそ1,000年前、藤原 清衡(きよひら)・基衡(もとひら)・秀衡(ひでひら)の奥州藤原氏三代が築き、およそ百年にわたって華開いた東北の文化エリアです。現在は、人口1万人弱の静かな平泉の町ですが、奥州藤原氏が本拠としていた平安末期には、京都に次ぐ日本で二番目の栄華を誇ったといいます。貴族政治から武家政治に転換していく時代の中、奥州で産出される金などの経済力を背景に、武力ではなく浄土思想(仏教の教え)による“平和”な統治国家を模索したといいます。まるでジョン・レノンの提唱したLOVE&PEACEそのもの思想です。

毛越寺 浄土庭園 (by C.Murakami)

 登録された5つの中世界遺産の中でも、中尊寺の金色堂は、何よりも楽しみにしていました。バスを降りて、歩く道のりは想像以上に長かったのですが、その価値は十二分にありました。その眩(まばゆ)く輝く黄金の伽藍(がらん)は、まさに、荘厳でした。この目で見ることができ、訪問した甲斐があったと、あらためて感激しました。一説によるとマルコ・ポーロの『東方見聞録』での黄金の国ZIPANGというのは、この伽藍にルーツがあるという説もあるようですね。山奥に存在する、まさに伝説の黄金郷です。

 それにしても、1,000年もの期間この金色堂は、どのようにしてこの眩い黄金色の輝きを保ち続けてきたのでしょうか? 奥州藤原氏は、源 頼朝によって滅ぼされました。しかし、その後、野晒(のざら)しだったこの金色堂を保全したのは、なんと奥州藤原家を滅ぼしたその鎌倉幕府だったというのです。鎌倉幕府が、金色堂全体を覆う初期の鞘堂(覆堂)(さやどう・おおいどう)を建立(こんりゅう)し、保存に尽力をしたのだそうです。頼朝は、奥州藤原家の希求した浄土思想(LOVE&PEACEな思想)は引き継ぎませんでしたが、平泉の素晴らしい文化的建造物群についてはその価値を認め、その保全を命じたというのです。その後も、江戸期、明治期にも数度にわたり、大規模な保全改修が行われました。

 そして、昭和37(1962)年から行われた「昭和の大修理」では、表面の金箔だけでなく、伽藍全体を分解して、徹底的な大改修が行われました。その工期は実に7年を要したといいます。保全修理に際しては、創建時の工法に徹底的に忠実に行われました。まさに、世界遺産としての必要な要件「真正性」がとことん重視されていたのです。その保全の取り組みは、記録映画としても残されています。金色堂は、実に1,000年に渡り、数え切れない多くの人々の不断の努力で、創建時からの真正性が守られ、文化財としての“普遍的価値”が守られてきたのです。もちろん、そんな事実を知ったのは、改めて調べて分かったことなのですが……。

 それにしても、世界遺産を巡る旅は本当に楽しいものです。そして、世界遺産は、ただ見るだけではなく、その歴史や背景、それにまつわる人々の物語などを、知れば知るほど楽しくなります。コロナが落ち着いてくれたら、また世界遺産を巡る旅に出たいと思っています。さて、さて、次はどこに出かけるとしましょうか? 一日も早く、コロナ君サヨウナラとなってほしいな……。岩手の生んだ偉大なる星「大瀧 詠一 師匠」の曲を聴きながら、次なる世界遺産の旅への思いを馳せています。

(村上 千明)