◇遺産復興応援ブログ:第4回 頻発する世界遺産の「見た目?」問題(前編:例えば日光東照宮について)
日光東照宮 平成の大修理後の陽明門
日本における近代資本主義の「生みの親」といわれる渋沢栄一を描いた今年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」では今までにない新しい演出が試みられています。ドラマのどこかで登場する「こんばんは、徳川家康です(演:北大路欣也)」のことです。今までの大河では考えられない演出です。渋沢栄一の誕生より237年ほど前に江戸幕府を成立させた人物が幕末ドラマのナレーションという逆転の発想が素晴らしいですね。
1615年(慶長20年)大阪夏の陣で豊臣家を滅ぼした徳川家康は駿府城で満73歳4ヶ月に渡る波乱の生涯を閉じます。家康本人の遺言により即日、遺体は久能山に移されました。一周忌を経て日光の東照社に分霊された家康は朝廷より東照大権現の神号を宣下され神様になりました。日本ではまれに実在の歴史上の人間が神になります。東照大権現を宣下した朝廷(皇室)の祖先は天照(あまてらす)大御神ですから東照(あずまてらす)とは徳川家と江戸幕府が猛烈に皇室を意識していたのかが窺えます。
死後、神となった家康が葬られた東照社を、現代まで続く豪華絢爛な東照宮に仕上げたのは家康の孫の三代将軍家光です(1636年寛永の大造替に続いて「東照社」を1645年「東照宮」に改称)左甚五郎作の「眠り猫」、「見ざる・言わざる・聞かざる」の「三猿」など多様な動物の木彫像が含まれる著名な陽明門(国宝)をはじめとする現在の社殿群のほとんどが家光によって建て替えられました。戦後は1950年(昭和25年)から着手した昭和の大修理事業が1986(昭和61年)まで続きました。そして2013年(平成25年)から2018年(平成30年)まで株式会社小西美術工藝社によって陽明門などの最も新しい修理事業が施されました。同社は「江戸時代初期の装飾技術の粋を集めた建造物として知られる日光東照宮の社殿造営に携わった喜兵衛というという一人の職人を端緒として、(中略)国宝、重要文化財などの建造物や美術工芸品の保存修理、新規調製、復元を手掛け、(中略)漆塗り、極彩色、丹塗り、錺金具(「かざりかなぐ」筆者注)、金箔押という総合装飾技術を保持する老舗企業として(後略)」(小西工藝社HPより抜粋)とあります。また2013年(平成25年)8月~2014年(平成26年)12月にはのちに世界文化遺産となる宗像大社『登録名「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群~2017年(平成29年)登録』の保存修理工事も手掛けています。つまり日本の文化財の修繕と補修に関しては相当の影響力を持つ企業と言っても過言ではないでしょう。
「見ざる言わざる聞かざる」の三猿 Wikipediaより
ところが平成の修理がほぼ終了(2017年)してすぐネット上では「三猿の顔が変わってしまった!」と話題になり、続いて終了後わずか3年後には陽明門のカビや塗装の剥離が目立つという「平成の大修理が3年前に終わったばかりなのに早くもボロボロ」などのショッキングな見出しとともに記事が週刊誌に取り上げられました。それに関連して思い出されるのは2015年、約5年に及んだ平成の大修理を終えて公開された姫路城のことです。別名の白鷺城をもじって「白すぎ城」と揶揄されるまでに「白くなった」姫路城に当時は筆者も目を見張りました。たしかに見た目の保存を重要視する世界遺産の見た目が変わることに違和感を持つのは当然と言えます。世界遺産におけるintegrity(完全性)は文化遺産では遺産の劣化をコントロールし遺産の特徴や機能が維持されることが求められます。「見慣れた」「いつもの」「見た目」が変化すると、それ自体が遺産の劣化や後退と受け止められることも多いでしょう。しかし、現場の施工業者や研究者の反論を読んでみると違和感を「感じるのはあたりまえ」という「違和感」に理解を示す論調がうかがえます。これはどういうことなのでしょうか?
(後編に続く)
特定非営利活動法人 世界遺産アカデミー 元事務局長 猪俣 浩太郎