● マイスターのささやき:マイスターの弾丸世界遺産紀行 ~パリで年越し編③~
世界遺産検定マイスター 本田陽子
Bonjour!
年越しの話をしているのに、もう桜の季節……。
今回、ヴェルサイユ宮殿について取り上げるんですが、いつも以上に執筆にとんでもなく時間がかかっております。書くからには、「ベルサイユのばら」級の面白さをお届けしたいという無謀な目標を掲げ、書いては消し、書いては消し、と何度も推敲を重ねていたら……
ほぼフィニッシュに近づいていたのに、あっさり全部消えました。なぜこの指がデリートキーを押していたのか、謎としかいいようがないのですが、きれいさっぱり消えて(消して)しまいました。
なんも言えねえ……
そんな死語のひとつも言いたくなるわけで、わたしの記憶も全くあてにならないわけで、
それでも前を向いて、また綴っていくことを続けていくしかないわけで。
……この連載が月刊と化している言い訳が長すぎました。
今回は、ヴェルサイユ宮殿です!
世界遺産の登録名は「ヴェルサイユ宮殿と庭園」であり、庭園も含めての登録です。宮殿、庭園ともにフランス・バロック様式の最高傑作といわれます。バロック様式とは、王侯貴族の居館や教会に多く見られるもので、豪華絢爛、装飾過多に特徴があります。曲線を多く取り入れているので、建物のファサード(正面)が波打っているものも見られます。
言うまでもなく、ヴェルサイユ宮殿の人気・来場者数はトップクラスを誇り、まさに「世界遺産オブ世界遺産」にふさわしい物件です。世界遺産が初めて登録されたのは1978年ですが(ガラパゴス諸島など12物件が登録されました)、ヴェルサイユ宮殿は1979年に登録されています。非常に早い段階で、その普遍的価値が世界的に認められたといえるかと思います。
朝日に輝くヴェルサイユ宮殿
ヴェルサイユも、イル・ド・フランスにあります。パリから20キロと比較的近いので、日帰り旅行の定番となっていますよね。パリ中心から電車1本で1時間弱でつきます。
わたしは宮殿の9時の開館に間に合うように、7時過ぎに宿を出発しました。
今回は国鉄ではなく、RERという路線を利用します。乗車券も順調に買えて、ああ前日のフォンテーヌブロー行きはエライ目にあった(前回を読んでね!)、と思いながら電車に揺られていたら、エッフェル塔がありえない方向に見えました……。
わたしは西に向かっているから、パリを離れていけばエッフェル塔は反対の東に見えるはずなのに、南に見えるのはなぜかしら……。あらららら。
そこで、電車を乗り間違えたことを知ったのでした。
RERはA~E線まであります。ヴェルサイユ行きはC線です。みなさん気をつけましょう。
フォンテーヌブローでは下車駅を勘違いしたし、今回は電車運が悪いのでしょうか……。いやむしろ、己の方向感覚の鋭さをほめてやりたい。ともかく、9時ちょっとすぎにはヴェルサイユ駅(※)に到着したから、まあよしとします。
(※駅名は、正しくは、Versailles-Rive Gauche<ヴェルサイユ・リヴ・ゴーシュ(ヴェルサイユ左岸)>駅で、C線の終点です。)
ヴェルサイユ駅についてしまえば、観光客がぞろぞろと同じ方向に向かっているので、地図をみなくとも宮殿にたどりつけます。駅からしばらく歩いて、左折すると、宮殿の正門へとつながる道が通っています。冬のフランスの朝9時といえば、ようやく陽がさして明るくなり始める時間帯。金色に塗られた門が、そして東向きに立つ宮殿が、朝日を受けて輝いているではないですか!!
さあこの門から入場です!
さらに正門の手前には、陽光を受けてすっくと馬にまたがるルイ14世の銅像が!!ヴェルサイユの歴史の中心人物である彼の表情は、もちろん「ドヤ顔」でした。
ワシがルイ14世じゃ。そこのけそこのけお馬が通る。
あっちもこっちも太陽が
ではここで、宮殿の成り立ちをおさらいしておきましょう。
もともと、この一帯は、森と沼地しかない寒村でしたが、17世紀初頭に、ルイ13世が狩猟のための館を建てました。次に王位についたルイ14世が、17世紀中ごろから巨額の費用を投じて大改修して拡張しました。そしてパリから移り住んで、ここヴェルサイユはフランス政治の中心地となったんですね。
……なんとなくフォンテーヌブロー宮殿の成り立ちと似てるなあ、って前回のお話を思いだしてくれた方もいるかな? あそこも、狩りの館だったところをフランソワ1世が宮殿として改修したんでしたね。
ルイ14世の時代に、フランス・ブルボン王朝は全盛期を迎えます。いわゆる絶対王政を誇り、「朕は国家なり」と貴族たちに言い放ったという逸話も伝えられています。
彼は、自らを太陽王と称しました。規則正しい太陽の運行と同じように自分自身が宮殿の規範であろうとして、毎日同じ日課を繰り返しました。
8時半に寝室で「起床の儀」、9時に朝食、そしてミサ……と、夜12時までスケジュールはびっしり!! 何時にどこにいる、というのがきちんと決まってたんですね。
すごい体力と精神力だわ……。肖像画を見ても体格もがっしりしているし、威風堂々ってことばがぴったりです。王族の肖像画は、往々にして画家が脚色するものですが、ルイ14世においては、見たまま描いたような気がしてきます。
彼は、その生活すべてを公開して、王の絶対的な権力を国内外に知らしめようとしました。門前で貸してくれる帽子と剣を身につければ、平民でも宮殿に入って王の生活を眺められたんですって! 常に家来に取り囲まれ、公衆の面前にさらされ、ひとりになるのはベッドにはいっていたときだけ。王が誰でもそうかというと、もちろんそんなことはなく、次の王のルイ15世は、生活の一部だけを公開し、公人としての生活より私生活を大事にしたそうです。
なにせ太陽王ですから、宮殿の中には太陽やひまわり(=太陽の花、を紋章としたそうです)を模した装飾が至る所に見られます。宮殿のど真ん中の2階に王の寝室があるんですが、やはり太陽が昇る方向を意識して東向きにしたとかなんとか、どこかで読んだような気がします。
そうそう、宮殿内には、王の肖像画やレリーフがたくさん飾ってあるのですが、それに加え、自分を太陽神アポロンに見立てた天井画や壁画も多く描かせました。天井にも戦車に乗った神々しいばかりのルイ14世があああ……。もう強いのはわかったから、いい加減にせんかい!!
これはレリーフ。オスカルの肖像画のモデルらしいです。アンドレ~~~~!!
ゴージャス宮殿に圧倒される
さて、旅の話に戻ります。
わたしが訪問したときには、入場は比較的スムーズでした。ミュージアムパスがあれば、チケット購入の長い列に並ばなくてすみますが、その有無問わず、朝はすんなり入場できそうです。しかし、中に入るとさすがに混雑。エントランスホールは押すな押すなの大盛況です。そこで日本語のオーディオガイドを借りることができます。フォンテーヌブロー宮殿と同じく、ものすごい情報量です。
とにかく内装がゴージャスなんですわ。ヴェルサイユ宮殿について書かれたブログでは、誰もかれもが「ゴージャス」という感想をもらしていて、我ながらオリジナリティーがなくてお恥ずかしいのですが、「ゴージャス」としかいいようがありません。
ただ、付け加えておくと、1789年のフランス革命で宮殿は民衆によって破壊され、贅をつくした調度品も売りさばかれてしまったんですね。ですから、私たちがいま目にしているのは、復元された状態ということになります。
フランス革命の話ついでに、ルイ16世以降の歴史も振り返ってみましょうか。
さきほどお話した、なにもかもさらけだしたルイ14世のひ孫がルイ15世。さらにその孫がルイ16世、すなわち、マリー・アントワネットのご主人です。ふたりの生い立ち、犬猿の仲であったフランス・ブルボン家とオーストリアのハプスブルク家を結びつけるための政略結婚、そして国庫が破たんしてフランス革命へとまきこまれていく様は「ベルばら」がものすごくわかりやすい!!
かつて私も「ベルばら」に夢中になっていたときって、オスカルとアンドレの恋模様や、マリー・アントワネットとフェルゼン(スウェーデンの貴族で実在の人物)の悲恋にばかり目がいっていたように思いますが、再読して、実はかなり歴史に忠実だったことがわかりました。たとえば、当時国庫がからっぽになった原因として、アントワネットの浪費ぶりばかりがクローズアップされがちですが(マンガでもかなり強調されている部分ではありますが)、本当はフランスがアメリカ独立戦争でアメリカ側に加担したことが最も大きな要因でした。マンガの中では、フェルゼンがアメリカの戦地に赴くところなんかもさりげなく描かれています。
ところで、ヨーロッパの宮殿の構造は、扉をあけると次の部屋につながっていて、廊下がないんですね。前回も同じようなことを書いているんですが、その理由を検索して捜してみました。いくつか見てみると、「そもそも、ヨーロッパの宮殿に廊下という概念はないんでしょうか。」という記載が。おんなじこと考えてる人もいるんだなあ、と思ったら、前回自分が書いた記事でした……。
で、諸説あるんですが、太陽王として丸見えの生活(いまでいう「見える化」の超先取りかしら)を具現化するために廊下をなくしたとか、なにかが起きた時に王が逃げやすくするためとかってことのようでした。
アントワネットが愛した離宮
宮殿内を見終わった後は、広さと人の多さとオーディオガイドの情報量にぐったり。フォンテーヌブローと同じ展開だわ……。
さらに宮殿の背後には広大な敷地の庭園が広がっていて、庭園の中に、グラントリアノンやプチトリアノンといった離宮が点在しています。今回は離宮も訪問予定に入れていましたが、宮殿から1キロ以上離れているわけです。庭園も世界遺産の重要な構成要素なんですが、寒いし、小雨まで降ってきて、庭園を歩く気力など皆無ですよ。ですから、園内を走るトラムに飛びつきました。これは便利!
夏に訪問する人も、確実にお世話になるんじゃないでしょうか。
グラントリアノンは、ルイ14世が愛人と過ごした離宮です。バラ色の大理石がシックで素敵。そう広すぎず、庶民の感覚的には、住むならこのくらいの規模が便利だし落ち着きます。
そしてプチトリアノンは、宮殿での生活に疲れたアントワネットが逃避して過ごした、小さな小さな邸宅です。ここの内装や調度類にはアントワネットの好みが反映されていたそうで、彼女の洗練された美的センスがうかがえます。ヴェルサイユ宮殿の、「どうよこれ」といわんばかりの豪華さや空間づかいとは真逆です。彼女の寝室は、現代の一般的な家の寝室の広さと変わりなく、王妃がこんなに狭いところでよくぞガマンできたものだ、と思いますが、広い宮殿の中には自分の居場所を見つけられず、かえって息苦しかったのかもしれません。この離宮だけが、彼女が心から安らげる場所だったそうです。(余談ですが、彼女は宮殿で公開出産しています……。そりゃ安らげないわ……)
それぞれアントワネットの寝室です。上がヴェルサイユ宮殿で、下はプチトリアノン。
えらい違いです。
プチトリアノンの近くには、アントワネットとフェルゼンが密会した「愛の神殿」がありました。その密会シーンも「ベルばら」に描かれています。
さらに、ちょっと離れたところにアントワネットのためにつくられた農村がありました。何軒もこじんまりとした田舎家が立ち、畑や池もリアルに作られてのどかな農村の雰囲気を醸し出しています。ここで、彼女はお付きの者たちを農民に見立てて、農村ごっこを楽しんでいました。そんなおままごとみたいな生活を、庶民がしていると思っていたんでしょうね。アントワネットが、純真で快楽主義であったというのはいろんな文献が伝えるところですが、彼女のためのテーマパークとも言える農村を目の当たりにすると、ほんとうに無邪気な人だったんだろうなあ、生きた時代と場所があわなかったんだろうなあ、とちょっと切ない気持になりました。
プチトリアノンも見終わって、へろへろになりながら2時頃に宮殿を出ようとすると、長い行列ができていて渦を巻いていました。入場するまでにいったいどれだけの時間がかかるんでしょう……。ヴェルサイユに行かれる方はなるべく朝早く行くことをお勧めします。朝日に輝くルイ14世のドヤ顔もみてほしいですし。
ということで、2日連続で宮殿を見て回りました。もうおなかいっぱいです。しばらく宮殿は結構です……。
そういえば、世界遺産「パリのセーヌ河岸」の構成資産のひとつには、アントワネットが投獄されたコンシェルジェリー牢獄が含まれます。内部の見学ができるのですが、彼女の独房も再現されていました。そこに掛けられていた肖像画には、かつての華やかな女性の面影はみじんもなく、白髪の、生気を失った老婆が描かれていました。実年齢は37、8歳だったんですが……。
皮肉なことに、彼女はヴェルサイユを離れたあとに、ようやく自分の置かれた立場に気づいたのでした。すでに失墜したブルボン王朝を維持させるべく、王妃としてのプライドをかけて誇り高く毅然とふるまっていたそうです。彼女が断頭台の露と消えたコンコルド広場も、世界遺産のひとつです。
ブルボン王朝のはかなさを感じつつ、今日はここまでといたします。
次回は、「パリのセーヌ河岸」をもう少し詳しくみて、「シャルトル大聖堂」もご紹介しようかと思います。
Au revoir……