■ 研究員ブログ83 ■ 世界遺産は何のため?……ヴェズレーの教会と丘
年末も近づき、今年も残すところあとわずかとなりました。
今日の東京の晴天と冷えた空気は、
今は冬なんだと実感させてくれるもので、嬉しくなります。
世界遺産の話などをしていると、
世界遺産は何のためにあるのですか? とよく聞かれます。
今年はさまざまな場面で世界遺産が話題になることも多く、
それだけ「世界遺産」そのものに関心が集まった年でした。
世界遺産の一番の存在意義は、
世界中で長い年月、守り伝えられてきた文化財や自然を、
後世に確実に伝えてゆくこと、だと思います。
しかし僕は、それよりも
世界中の文化や歴史、自然環境に出会い知るためのシンボルとしての意義が、
今を生きている僕たちには重要だと考えています。
それが結果的に、文化財や自然の保護にもつながるわけです。
僕は一番好きな世界遺産を聞かれると
必ず「ヴェズレーの教会と丘」と答えています。
ヴェズレーに行ったのは、フランス留学中のことです。
レンタカーでヴェズレーに向かっていたのですが、
車の中から携帯で問い合わせても、復活祭のお祭りの時期だったので、
ガイドブックに載っているホテルはどこもいっぱいでした。
とりあえず街の入り口に車を停め、宿を求めて入った小さなホテルは、
先ほど電話で断られたところでした。
猫が丸くなって眠る受付カウンターの奥で、
おじさんが「○○ホテルならまだ空きがあるかもしれない」と話している声が聞こえます。
微かな期待を胸に、そのホテルへ行こうとすると
「電話してあげるからそこで待ってなさい」と2軒ほど電話をかけてくれ、
どちらも空きがないことが判ると、
「ここで待ってて」と言い残して出て行ってしまいました。
何だ何だと思っていると、「隣の客間に泊めてもらえることになったよ」と、
すぐ隣の民家へ案内してくれたのです。
結局、その普通の民家の客間に泊めてもらうことになり、
諦めかけていたヴェズレーでの宿は、
受付の前で猫を撫でている間にすんなりと決まったのでした。
12世紀頃、ヴェズレーには多くの巡礼者が溢れていました。
キリストの復活を最初に目撃したとされる
マグダラのマリア(フランス語ではマリー・マドレーヌ)の聖遺体が、
ヴェズレーのサント・マドレーヌ教会に祀られていると信じられていたからです。
また同じくキリスト教の聖地である
スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路の起点としても巡礼者が集まり、
キリスト教信仰の中心地のひとつとして栄えました。
ヴェズレーの人々は昔から、見ず知らずの僕を受け入れたように、
世界中から集まる巡礼者を暖かく迎え入れていたのでしょう。
サント・マドレーヌ教会は、天井は高いのですが窓が小さく、ステンドグラスも控えめで、
石の色と太陽の光りのために内部は淡いクリーム色に見えます。
訪れるとちょうど復活祭のミサが行われており、
物質的に静かな空間を聖歌が少しずつ埋めてゆくのはとても心地よいものでした。
僕たちは「フランス」や「アメリカ」、「中国」というように、
まるでひとつの実体のように「国家」を捉えがちですが、
その中には、さまざまな文化があり自然があり歴史があり、
さまざまな人が暮らしています。
ひとつひとつの文化にアクセスして、その全てに触れることは難しいですが、
世界の多様性のシンボルとしての世界遺産を通せば、
世界の文化や自然の豊かさに少しは触れることができるのです。
世界遺産の存在意義は、まさにこれだと思っています。
素敵な人々に出会うと、その街は一段とよい街に思えてきますよね。
人って単純なものです。
もちろん、知れば知るほど良いところも悪いところも見えてきますが、
単純な二元論では説明できない世界のシンボルとして、
世界遺産を守っていけたらいいなと思います。