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■ 研究員ブログ109 ■ 世界遺産委員会の決議は本当に偏っていたの?……エルサレムの旧市街

2016-11-01-2

10月24日から26日にかけて、第40回世界遺産委員会の臨時会合が開かれました。
これは7月にイスタンブルで開催された世界遺産委員会が
クーデタで中断されたため、それを補完したものです。

ここで話題になったのが、
『紀伊山地の霊場と参詣道』が「軽微な変更」で登録範囲拡大になったことと、
2020年に審議される遺産から、審議数の上限が35件に制限されたこと、
そして、イスラム圏の国々が提出した
『エルサレムの旧市街とその城壁群』の保全に関する決議書が採択され、
それが政治的でイスラム寄りであると、イスラエルが強く反発したことです。

エルサレムの件は、
ユネスコが「また」政治的に偏った行いをしたのでは? という論調で、
日本でもいくつか報道されていました。
背景には、前回の研究員ブログでも触れた
「世界の記憶」を巡る、ユネスコへの疑念もあったのかもしれません。

しかし、今回の決議書の採択で、
ユネスコは本当にイスラム教に偏っていたのでしょうか。

この決議書は、アルジェリア、エジプト、レバノン、モロッコ、
オマーン、カタール、スーダンの7カ国から提出され、
賛成10、反対2、棄権8、欠席1で可決されました。

この決議書で一番の問題となったのが、
「神殿の丘」という名でユダヤ教の聖地になっている場所を
「アル・ハラム・アル・シャリフ」というイスラム名だけで記載していた
という点です。

この点について、イスラエルのネタニヤフ首相は、
エルサレムとユダヤ教の歴史的・文化的なつながりを
無視し、否定していると強く非難しました。
ユダヤ教やキリスト教にとってもエルサレムが大切な聖地であることが
決議書には書かれていないという点も問題視されました。

こうしたことだけをみていると、
確かにイスラム教に偏っているようにも見えますが、
そこには、「ユネスコとエルサレム」の歴史的な視点が抜けています。

「エルサレムの旧市街」の保護・保全がユネスコで課題となったのは、
世界遺産条約が誕生するよりも前のことです。

第三次中東戦争でイスラエル軍が、
エルサレムの旧市街を含む東エルサレムを占領した翌年の1968年、
第15回ユネスコ総会にて、旧市街の文化財保護を
イスラエルに求める決議が出されました。

そして、1972年に世界遺産条約が誕生すると、
1980年に「エルサレムの旧市街とその城壁群」が推薦され、
1981年の世界遺産委員会臨時会合で、世界遺産に登録されました。

推薦したのはヨルダンで、保有国はエルサレムです。
自国領にない遺産を推薦することも、
実在しない国が保有国になることも、
後にも先にも例のないことでした。

イスラエルが「エルサレムの旧市街」を実効支配しているものの、
国際社会はそれを認めていないこと、
そもそもイスラエルが世界遺産条約を批准していなかったこと、などに加えて、
ユネスコの決議に反して、イスラエルがエルサレムの文化財保護を
充分に行っていないという問題が理由としてありました。

そのため、『エルサレムの旧市街とその城壁群』は、
世界遺産登録翌年の1982年には危機遺産リストに記載されます。

しかし、ここで問題になったのは、
危機遺産リストに記載するための明確な基準がない、ということでした。
そこで、ICOMOSとIUCNが中心となって、
危機遺産リスト記載のための登録基準が決められました。
『エルサレムの旧市街とその城壁群』がきっかけとなって、
危機遺産リストの運用基準などが決まったのです。

世界初の危機遺産『コトルの文化歴史地域と自然』の時には、
明確な基準がまだありませんでした。

エルサレムが危機遺産リストに記載された理由は、
急速な都市化による建築物の破壊、宗教施設の破壊、
保全管理体制の欠如などでした。

急速な都市化は、イスラエルがエルサレムを支配し入植を進めたことが原因で、
保全管理体制の欠如は、ユダヤ教とイスラム教、キリスト教の組織が
それぞれで文化財の管理を行っており、
協力的な対話がなされていないことが原因でした。

その後、松浦晃一郎ユネスコ事務局長の提案などで、
保全管理体制の枠組みが動き出しつつありましたが、
それに急ブレーキをかけたのが、
今回も問題となった「神殿の丘/アル・ハラム・アル・シャリフ」での
イスラエルの行動だったのです。

イスラエルは、エルサレム占領以来、
「神殿の丘/アル・ハラム・アル・シャリフ」への主要ルートである傾斜回廊へ
イスラム教徒が立ち入ることを禁止していました。
その傾斜回廊にはイスラム建築の遺構なども含まれていたのですが、
イスラエルは傾斜回廊に新通路を建設するための工事計画を立てます。

2006年の世界遺産委員会では、この工事計画が問題視され、
イスラエルに対し建設計画と保全計画に関する情報提供が求められました。
しかし翌2007年に、イスラエルはユネスコに対して何の報告もないまま、
工事を実行に移してしまったのです。

2006年の世界遺産委員会では、イスラエルも委員国に入っており、
決議に関わっていたのに、それを無視したことは、
当然、世界遺産委員会でも問題視されました。
松浦事務局長も、イスラエルの首相に対して深刻な懸念を示す文書を送っています。

2008年の世界遺産委員会では、イスラエルに対して、
ヨルダンやイスラム教関係者、専門家との協議をするよう決議が採択されましたが、
その採択の1ヵ月後にはイスラエルが一方的に建設を再開しました。
これにはユネスコが「深刻な懸念」を表明する決議を出しています。

その後も、イスラム教国を中心として、
イスラエルの都市開発や文化財保護方法などを問題視する決議書が出されており、
今回の決議書もその延長上にあります。

決議書にイスラム名しか出てきていないことについては、
確かに問題あるだろうなと思いますが、
決議書には、エルサレムがユダヤ教とキリスト教、イスラム教にとって
重要な場所であることは一応触れられています。
アルアクサ・モスクへのイスラム教徒の立ち入りが禁止されている点を
決議書で非難しているのに、ユダヤ教施設の保護について触れられていないのは、
上記のような背景が理由なのは明らかです。
そして、決議書の中心はエルサレムの保全についてです。

ユネスコ事務局長のイリーナ・ボコバさんが、
この決議書の採択を受けて出した声明中で、
この地は、ユダヤ教にとっては「神殿の丘」、
イスラム教にとっては「アル・ハラム・アル・シャリフ」、
キリスト教にとっては「オリーヴの丘」と呼ばれる地域であり、
それぞれの名前を尊重し、使用することが重要である、と述べています。

これをもって、ユネスコ事務局長もこの決議書には疑問を呈している
という論調が見られますが、
ボコバさんの声明をよく読むと、
エルサレムが、人類の精神世界や信仰、文化の多様性を示す場所で、
どの宗教の人も互いに尊重しあわなければならない
ということが強調されていることがわかります。

これは、イスラム教徒にもユダヤ教徒にも、キリスト教徒にも
同じく向けられている言葉です。
イスラエルも、これはよく考えるべきことだと思います。
もちろんイスラムの人々も。

この難しいエルサレム問題において、明瞭な解決策がない中で、
ユネスコは両者の間に入り、本当によくやっていると、
僕は思っているのですけどね。