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■ 研究員ブログ149 ■ 神に美を捧げたパルテノン神殿

もう8月が終わろうとしています。
今年の夏は暑かったですね。
じりじりと照りつける夏の陽射しは、
僕の知らない夏のようでした。

じりじり照りつける陽射しで思い出すのは、
ギリシャのアテネです。

平野が少なく複雑な海岸線が続くギリシャでは、
紀元前2000年頃から人々が住み始めましたが、
一ヵ所に集まって住むのではなく、
方言の違いによってイオニア人やアイオリス人、
ドーリア人などに分かれて住んでいました。

紀元前750年頃になると、
それぞれのギリシャ人がアクロポリスと
アゴラ(アクロポリスの下にある広場)を中心にポリス(都市国家)を形成し、
多くのポリスが互いに競い合うようになりました。

そのポリスのひとつが、アテネです。

多くのポリスが、貴族と平民の間での争いや、
負債を抱えた市民の奴隷化、非合法に独裁権を握る僭主の出現などの問題を抱える中、
アテネではソロンが貴族と平民の争いを調停し、
市民の負債を帳消しにして奴隷化を防いだほか、
クレイステネスが僭主になりそうな人物を投票で国外に追放させる
陶片追放(オストラシズム)を導入するなどの大改革を行い、
民主政治の基礎が築かれました。

紀元前5世紀にアケメネス朝ペルシアとのペルシア戦争が始まると、
アテネはマラトンの戦いやサラミスの海戦で勝利を収め、
デロス同盟の中心として他のポリスを支配しました。

このペルシア戦争の勝利を祝って女神アテナに捧げられた神殿が、
アクロポリスの上に建つパルテノン神殿です。

パルテノン神殿には、ギリシャ人の美意識が詰め込まれています。
ヨーロッパ人が最も美しいと考える黄金比が神殿の各所に用いられたほか、
柱に見た目の安定感を与えるエンタシスや、
中心から端にいくにつれて間隔が狭くなる円柱、
美しいペディメント(屋根の一部の飾り)のレリーフなど、
神に美を捧げたギリシャ人の文化が伝わってきます。

黄金比については偶然の側面も大きいですが、
それも美しさを追求していった結果とも言えます。
女神に美を捧げるなんて素敵じゃないですか。

ギリシャ神話の中に、
アテネのあるアッティカ地方の守護神の座をかけて、
女神アテナと海神ポセイドンが競い合うエピソードがあります。

より市民に喜ばれる贈り物をした方が勝ちという争いで、
ポセイドンが三叉の矛で岩を打ち、海水の泉を湧き出させたのに対し、
アテナは杖で大地を突き、オリーヴの樹を芽生えさせました。

当然、飲むことの出来ない塩水の泉よりも、
オリーヴの実がなり、木陰で休むことも出来るオリーヴの樹を市民は選びます。
ギリシャは日差しが強くても乾燥しているので
木陰は気持ちいいでしょうね。

それにしても、海神ポセイドンって不器用な人……いや、神様ですね。
海水の泉って……。

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